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城之崎城はなぜ未完に終わったのか ── 武田信玄・天竜川・水不足
「秀吉に配慮した」という伝承を時代順に検証し、城之崎城が未完に終わった直接の理由を、武田信玄への備えと天竜川の位置関係、丘陵地の水不足から整理する。
なぜ家康は見付を選んだのか ── 国府・東海道・今之浦の地政学
遠江国府、東海道見付宿、今之浦の水運。徳川家康が遠江支配の拠点候補として見付を選んだ地理的な理由と、馬伏塚城・横須賀城・高天神城とのネットワークを整理する。
見付に残る幻の城 ── 徳川家康の築城伝説と城之崎城
磐田城山球場・城山中学校周辺に伝わる、徳川家康の築城伝説「城之崎城」。秀吉配慮説の検証、地政学、対武田戦、中泉御殿との混同まで、見付に残る幻の城をたどる特集の入口。
磐田原の水不足と開発史 ── 水に恵まれなかった台地の記憶
磐田原台地の水不足の背景と、寺谷用水・磐田用水・赤松則良の茶園開拓という複数の対応策を俯瞰する。
磐田原台地と古墳分布 ── 台地の縁に眠る、時代の異なる王たち
新豊院山古墳群・御厨古墳群・兜塚古墳など、磐田原台地の縁に点在する古墳群を俯瞰し、弥生末から古墳中期までの分布と時代の推移をたどる。
遠州灘の砂丘・海岸線・防潮堤 ── 令和の「静岡モデル」がつなぐ防災の記憶
明治以来の黒松防風林の伝統から、南海トラフ地震に備える令和の防潮堤「静岡モデル」まで。福田・竜洋の海岸線と防災の歴史を俯瞰する。
廃線後の中泉軌道 ── 遠足・祭り・石碑に残った細い鉄路
1930年の営業休止と1932年の全線廃止のあと、軌道敷が遠足コースや祭りの巡行路として使われ、池田橋・亀文商店北側・豊田会社北側の碑に記憶を残した経緯をたどる。
中泉駅北の歴史地層 ── 御林・赤煉瓦・中泉御殿のそばを通った軌道
中泉軌道が抜けた磐田駅北一帯に重なる、御林、赤煉瓦、中泉御殿の堀跡、大乗院坂の記憶。近世と近代が交差する駅北の歴史地層を整理する。
車丁が押した鉄路 ── 中泉軌道の人車・馬力運行と旅客利用
軌間762mmの人車軌道、車丁による2人がかりの手押し運行、貨物と旅客の輸送実態、1925年の馬力化申請から、中泉軌道の運行を読む。
中泉軌道の会社史 ── 地域資本が敷いた5.8kmの人車軌道
1907年の株式会社中泉軌道設立、地域有力者による発起、資本金5万円、人車軌道という選択、中泉軌道運送・中泉合同運送への変遷を、会社史として整理する。
久根鉱山、木材、天竜川 ── 鉄道が運ぼうとしたもの
天竜川の水運、久根鉱山の鉱石輸送、木材と地域産品。中泉軌道と光明電気鉄道が支えようとした天竜川流域の産業と、磐田駅が果たした積み替えの役割を読む。
旧東海道を走った軌道 ── 中泉軌道のルートと松並木の記憶
中泉駅付近から旧東海道、一言橋、森下、池田橋へ。中泉軌道が通ったとされるルートを現在の地名でたどり、松並木伐採の伝承についても書き分けて整理する。
中泉軌道とは何だったのか ── 天竜川水運と磐田駅を結んだ細い鉄路
1909年に中泉停車場から池田橋方面へ開通した中泉軌道。天竜川水運と東海道本線を結んだ細い軌道の役割と、人車から馬力へ、旅客も担った歩みをたどる。
行興寺の近世史 ── 徳川家康の伝承と朱印地の古文書
慶長8年の朱印地寄進伝承を、江戸期の嘆願書・減免願という実際の古文書に基づいて掘り下げる近世文書編。
熊野道場由来記と熊野寺旧跡之畧縁起 ── 行興寺草創の二つの物語
行興寺に伝わる内容の食い違う二つの草創縁起を、断定せずに読み比べる寺院縁起編。
熊野絵巻の成立をめぐる論争 ── 室町か、江戸か
県指定文化財としての「室町時代」という指定を否定せず、熊野絵巻の制作年代をめぐる室町期説・江戸期説と、熊野御前の実在性をめぐる史料批判を紹介する学術史編。
熊野絵巻を読む ── 熊野・千手・朝顔、三人の女性たちの物語
行興寺の熊野絵巻の詞書に基づき、熊野だけでなく千手・朝顔を含む三人の女性と平宗盛の物語を、t033・t002とは重ならない範囲でたどる文学編。
竜洋を治めた人達 ── 遠州の藩主・中泉代官・明治以降の首長一覧
原資料に記された遠州の藩主一覧、中泉代官の在任期間、明治以降の知事・郡長・町村長・議員の一覧を、史料として整理する資料編。
掛塚・袖浦・十束の村域変遷と石高 ── 江戸期の村組織史
竜洋を形づくった掛塚・袖浦・十束3地区の江戸期の村域変遷と石高データを、明治22年の町村制施行までの組織再編とあわせて整理する行政村史編。
池田荘と掛塚湊の起源 ── 竜洋の中世荘園史
京都・松尾神社の社領であった中世荘園「池田荘」と、平重盛の遠江守補任、保元・平治の乱の経緯を、竜洋町中島の蓮覚寺の伝承とあわせてたどる荘園史編。