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終戦の日 ── 玉音放送とその後
終戦の日 ── 玉音放送とその後
銃後を守る ── 疎開・勤労動員・女性たちの戦時生活
銃後を守る ── 疎開・勤労動員・女性たちの戦時生活
職業紹介と戦後雇用 ── 磐田で仕事を探す仕組みの成立
職業紹介所は求人と求職を結ぶ窓口であると同時に、失業、引揚げ、復員、女性就労、産業転換を映す場所だった。磐田の職業紹介から公共職業安定所への変化を、法制度と地域経済の両側から読む。
新円切替と磐田 ── 預金封鎖は暮らしと地域金融をどう変えたか
1946年の新円切替は、紙幣のデザイン変更ではなく、旧紙幣の強制預入と預金封鎖を伴うインフレ対策だった。磐田の銀行・郵便局・家計に起きた混乱を日本銀行資料と地域記録で検証する。
産業組合から農協へ ── 磐田の共同購入・信用・営農指導
磐田地方の産業組合と農会は、戦後の農業協同組合へそのまま改名されたわけではない。共同購入、販売、信用、技術指導の機能を分け、制度の断絶と人・施設の継承を検証する。
磐田の農地改革 ── 小作地から自作地へ、村の権力はどう変わったか
戦後農地改革は、地主の土地を国が買収し小作農へ売り渡した制度変更だった。磐田地方の自作・小作比率、農地委員会、価格、地域差を全国制度と照合し、単純な成功物語にしない。
1918年米騒動と磐田 ── 米価高騰は地域社会へどう届いたか
1918年の米騒動は富山だけの事件ではない。磐田地方でも米価高騰、買占めへの疑い、生活不安、警察と行政の対応が重なった。全国史と地域資料を照合し、騒動の有無と生活危機を分けて読む。
満蒙開拓と磐田 ── 国策移民・青少年義勇軍・引揚げを一続きに読む
磐田地方から満州へ渡った開拓民と青少年義勇軍を、農村振興の成功談でも苦難の引揚げだけでもなく、国策による送出、現地の土地、敗戦、残留、帰国まで一続きの歴史として読む。
引揚者住宅 ── 外地から戻った人びとの生活再建
戦後、外地から磐田地方へ戻った引揚者は、住まい、仕事、戸籍、就学を同時に立て直した。地域資料の『引揚者住宅』を入口に、全国の援護制度と地域の受け入れを照合し、帰還を一日の出来事で終わらせない。
占領軍と地方軍政部 ── 敗戦後の磐田行政はどう監督されたか
終戦後の磐田では占領軍の進駐と地方軍政部の行政視察が別の局面として現れた。ジープを見た住民の記憶と、学校・役所へ届いた命令を分け、占領が地域行政の日常へ入った経路を検証する。
中部第129部隊 ── 磐田原に置かれた電波警戒部隊を検証する
磐田原に置かれた中部第129部隊は、磐田市の最新の平和資料が「第一航空情報連隊」「日本で最初の電波警戒機部隊」と説明する。部隊の存在、土地利用、出動、戦後の記憶を分け、地域の誇りにも恐怖の物語にも寄せず検証する。
青年訓練所・青年会・青年団旗 ── 教育と軍事化のはざま
青年訓練所は青年の教育機会であると同時に軍事訓練の場だった。青年会は図書館や実業研究にも取り組み、見付町青年団は団旗を作った。教育・自治・軍事化が交差した青年組織を一枚の成功物語にしない。
PTAの成立 ── 占領期の指導と磐田の父母と先生の会
戦後の学校に登場したPTAは、占領軍の指導を受けながら地域ごとに組織された。磐田では比較的早く結成が進んだという。結成年月、目的、会員資格を確認し、現在のPTA像を過去へ重ねずに読む。
磐田の幼稚園教育 ── 園付設から就学前教育の広がりへ
見付では明治28年(1895年)に幼児教育が始まったとされる。小学校への付属、戦時期の中断、戦後の再開をたどり、就学前教育が家庭だけの仕事から地域の制度へ変わる過程を読む。
空襲下の分散授業 ── 1945年、磐田の子どもはどこで学んだか
昭和20年(1945年)、空襲が通学路を危険にし、磐田の学校は児童を地区・男女別に分けて授業を続けた。分散授業の記録から、学校を守る工夫と、日常が壊れていく過程を同時に読む。
就学・体格検査・給食・貧困児童支援 ── 学校が子どもの暮らしへ入った時代
学校は文字を教えるだけの場所ではなかった。就学率を調べ、身体を測り、空襲時には分散させ、給食を届け、授業料や学用品を支えた記録から、教育と福祉が交わる磐田の百年を読む。
学校組合と教育財政 ── 境界を越えて学校を支えた町村
一つの町村だけでは学校を維持できないとき、隣接町村が学校組合をつくった。校地、校舎、教員給与を共同で負担する仕組みから、学区と行政境界が必ずしも一致しなかった近代の教育財政を読む。
明治・大正期の学校生活 ── 授業料・規則・試験・机から読む教室
学校の歴史は校名と創立年だけではない。授業料を納め、規則に従い、試験を受け、机に座り、教科書を読む子どもの一日から、明治・大正期の磐田の教室を組み立て直す。
中泉町章・磐田市章・市の木 ── 自治体の印は何を表したか
町章、市章、市の木は、自治体が自分たちを一つの地域として見せるための印である。中泉町章の募集、旧磐田市章の制定、マキからクスノキへの市の木の変化を通して、合併と時代ごとに「磐田らしさ」が選び直された過程をたどる。
回覧板から『広報いわた』へ ── 行政情報が家庭へ届くまで
回覧板は、隣家へ板を回す素朴な道具に見える。しかし戦時下には物価統制と動員を伝え、戦後は市政広報へ姿を変えた。昭和14年(1939年)の回覧板と昭和24年(1949年)創刊の『弘報いわた』を起点に、情報の送り手と受け手の関係を考える。