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田原地区の集落と地名 ── 田原・玉越・西島・彦島・三ケ野・明ケ島を読む
『田原の史話』をもとに、田原・玉越・西島・彦島・三ケ野・明ケ島の各集落を、旧田原村域の地名と暮らしのまとまりとして整理する。
田原地区のお宮とお寺 ── 集落のまとまりを映す神社・寺院
『田原の史話』をもとに、田原・玉越・西島など旧田原村域の神社と寺院を、集落のまとまりを映す記憶として整理する。
風祭山福王寺 ── 国府の丘と江月堂に残る千年の寺史
城之崎の古刹・風祭山福王寺を、寺史年表、案内資料、江月堂展示目録、資料館常設展示目録から読む。寺伝、徳川家康朱印地、江月堂の寺子屋、境内の自然を分けて整理する。
徳川家康と三方原合戦 ── 見付を通った遠江攻略
永禄11年の家康遠江侵攻から元亀3年の武田軍西進と三方原合戦まで、見付を通る軍事経路を読む。
舞車と磁石 ── 中世見付の謡曲と狂言
謡曲『舞車』と狂言『磁石』に描かれた見付宿から、中世の祇園祭、東海道、都と地方の距離感を読む。
戦国期の見付自治 ── 町人・桝座・大久保氏
祭礼・徴税・裁判を担った町役人と桝座、天文10年に今川義元が認めた見付自治の仕組みを読む。
見付守護所 ── 遠江支配をめぐる攻防
鎌倉から戦国まで、今川・斯波らが争った見付守護所の位置、権限、府八幡宮免状と鐘の伝承を読む。
創立80周年記念誌に見る1990年代の磐南 ── 国際交流・自然科学・部活動
創立70周年から80周年までの10年を、マウンテンビュー高校交流、桶ケ谷沼・天竜川下流中州での自然科学研究、部活動、理数教育から読む。
戦後の磐田南高校と男女共学化 ── 磐田第一高校から女子生徒の入学へ
見付中学校が新制高校となり、磐田第一高校、磐田南高校、男女共学へ移る時期を、年表と第一期女子生徒の回想から読む。
地租改正 ── 地券が変えた磐田の土地所有
地券発行、土地丈量、地租改正反対運動、松方デフレから、近代的土地所有と磐田経済の変化を読む。
源平争乱と遠江 ── 頼朝の挙兵から遠江支配へ
治承4年の頼朝挙兵から安田義定の遠江国司就任、鎌田御厨をめぐる争い、千手前伝承までを整理する。
平氏と遠江国司 ── 平重盛の一族と磐田
平重盛の遠江国司就任を軸に、蓮光寺・連城寺・熊野御前へ残る平氏の記憶を、政治史と寺伝・文学に分けて読む。
若宮八幡宮と佐藤繁蔵 ── 28か村を合祀した郷社と、力士になった一言の若者
明治6年、28か村の神社を合祀して郷社となった森下の若宮八幡宮。奉納相撲の記憶と、一言村に生まれ江戸で「和田の森」の四股名で活躍し立浪親方にまで出世した佐藤繁蔵の生涯を読む。
神宮山松向寺 ── 浅間山噴火の記録を伝える豊田町最古最大の木造建築
元和5年創立、元禄14年建立の本堂が280年の歴史を持つ豊田町最古最大の木造建築、宮之一色の神宮山松向寺。須弥壇前の板に記された天明2年浅間山噴火の記録と、火山灰・疫病の記憶を読む。
豊田山薬師堂 ── 坂上田村麻呂の伝承と40石の朱印地
延暦22年、坂上田村麻呂が東日本征討の際に建てたと伝わる気子島の豊田山薬師堂。徳川家康から40石の朱印を受けて栄えたが火災で焼失、宝暦2年に再建された歴史と、眼病平癒の信仰を読む。
静大農学部跡 ── 一言・富丘に残る、旧制農林専門学校の記憶
戦時中は129部隊が置かれ、戦後は師範学校仮校舎、県立農林専門学校を経て静岡大学農学部となった一言・富丘の跡地。昭和48年の静岡市移転までの変遷と、跡地に残る「かぶと塚」古墳を読む。
天竜橋跡 ── 60年にわたり天竜川を渡した木橋の記憶
明治7年、源平新田と中野町の間に架けられた幅3.6m・延長1175mの木橋「天竜橋」。大水のたびに破壊されながらも東海道の交通を支え、昭和8年の鉄橋完成まで60年間役割を果たした橋の記憶を読む。
長森こうやく ── 山田与左衛門家に伝わる、東海道みやげの妙薬
江戸時代初期から長森の山田与左衛門家が代々製造した「長森こうやく」。あかぎれ・ひびの妙薬として東海道を旅する大名や庶民に評判を得た家伝薬と、京都の宮様から賜った座敷看板を読む。
水汲坂と禁酒地蔵 ── 一言に伝わる、日本で唯一つの受験地蔵
一言南原から一言の里へくだる水汲坂。昭和4年、松本一可氏が恩師の遺志を継いで祭った「禁酒地蔵」は、家庭円満と子どもの成績向上の言い伝えから受験地蔵としても信仰を集めている。
皆川陣屋跡と稲荷山 ── 1800石を治めた旗本、皆川氏の記憶
一言村・西之島村・匂坂中村・下岡田村にまたがり1800石余を治めた旗本・皆川氏。三河宝飯郡西島から迎えた稲荷を祭った稲荷山と、今も「陣屋」の地名で呼ばれる一帯の記憶を読む。