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遠州忩劇 ── 桶狭間のあと、磐田の国衆たちの乱
桶狭間で今川義元が討たれたあと、遠江の国衆たちは今川氏真に反旗を翻した。永禄5〜9年の大乱「遠州忩劇」。飯尾連龍の乱と磐田側の国衆の動向を、徳川の遠江入りへの助走としてたどる。
紀行文学に見る磐田 ── 阿仏尼が泊まった「見付の里」
鎌倉時代の紀行文学、海道記・東関紀行・十六夜日記。阿仏尼は見付の里に泊まり「里荒れて物おそろし」と書いた。中世の旅人の筆が写しとった磐田の姿をたどる。
延喜式内社と磐田 ── 千年前の台帳に載った神社たち
平安時代の法典『延喜式』の神名帳に記された磐田の式内社。淡海国玉神社、矢奈比売神社、鹿苑神社、合祀された須波若御子神社。千年前の国家の台帳と比定の問題をたどる。
万葉集の遠江歌と磐田 ── 桜井王の歌と「大の浦」の波
遠江守・桜井王が都へ送った歌に、聖武天皇は「大の浦のその長浜に寄する波」と返した。万葉集の遠江歌と国府のまち磐田の接点を、引馬野の所在論争や東歌もあわせてたどる。
庚申塔・馬頭観音・道祖神から見る民俗信仰 ── 路傍に刻まれた祈りの形
眠らずに過ごす庚申待、牛馬の供養、旅人を守る道祖神。村の辻や坂道に置かれた石造物が伝える、生活に根ざした民俗信仰のかたちをたどる。
秋葉信仰・常夜灯・旧東海道の石造物 ── 竜洋14基が伝える火伏せの祈り
遠州一帯に広まった秋葉信仰と、火伏せを願う常夜灯。磐田市竜洋地域には14基が現存する。旧東海道沿いの道標・石造物とあわせて、街道に刻まれた祈りの痕跡をたどる。
古写真・住宅地図・聞き取りで磐田の記憶を復元する ── 磐田物語の調査手法
古地図の重ね合わせ、古写真・絵葉書との照合、聞き取り調査。磐田物語がこれまで実践してきた、消えゆく記憶を復元するための手法を整理する。
ヤマハ発動機と企業城下町としての磐田 ── 1955年の分離独立から御厨へ
日本楽器製造からの分離独立、磐田工場の稼働、本社の御厨移転。ヤマハ発動機とともに歩んできた、企業城下町としての磐田の姿をたどる。
磐田のバス交通史 ── 「ユーバス」の挑戦と、2015年の路線廃止
遠州初のコミュニティバス、日本初のICカード「ユーバスカード」。先進的だった磐田市自主運行バスは、2015年に磐田線を除き廃止された。デマンドタクシー「お助け号」への転換までをたどる。
豊田中学校の戦後史 ── 組合立からながふじ学府へ
1948年の組合立豊田中学校から、岩田中学校との統合、青春の塔、豊田南中学校の分離、ながふじ学府小中一体校までを整理する。
豊田東小学校と広野北遺跡 ── 台地の上の学び舎
磐田市高見丘の豊田東小学校を、磐田原台地、広野北遺跡、豊田北部小からの分離新設、校訓、ながふじ学府の記憶から整理する。
磐田駅に残る旧中泉駅の記憶 ── 駅舎・ホーム・跨線橋柱から読む駅そのものの歴史
1889年に中泉駅として開業し、1942年に磐田駅へ改称された現在のJR磐田駅を、四代の駅舎、保存される跨線橋鋳鉄柱、PDFが通常旅客使用から外れていると整理する1番線から読み直す。
大藤小学校の133年 ── 以和拓原から向陽小学校へ
明治25年、大藤尋常小学校として独立した大藤小学校の133年。以和拓原の精神、なわとび、藤っ子茶園、地域と閉校行事、向陽小学校への継承までを整理する。
岩田小学校の153年 ── 匂坂学校から向陽小学校へ
明治6年、平松学校の分校「匂坂学校」として始まった岩田小学校の153年。匂坂中の校地、一輪車教育、校歌、ホタルの活動、閉校行事、向陽小学校への継承までを整理する。
向笠小学校の153年 ── 新豊院から向陽小学校へ
明治6年、新豊院を仮校舎とする磐田学校から始まった向笠小学校の153年。寺院校舎、校地移転、戦後復興、環境教育、2026年の閉校と向陽小学校への継承までを整理する。
光明電鉄19駅一覧 ── 新中泉から二俣町までをたどる
光明電気鉄道の停留所を含む19駅を、新中泉からの距離とともに一覧表にまとめる。現在の地名・見える痕跡・確認方針を添えた、地図上でたどるための資料ページ。
城之崎城とは何か ── 城山球場・城山中学校に眠る未完の城
磐田城山球場・城山中学校周辺に比定される城之崎城。名古屋市蓬左文庫所蔵『遠州見付古城図』が伝える本曲輪・二の曲輪・東曲輪の構成と、土塁・横堀とされる痕跡を整理する。
高塚太郎平新道 ── 全財産を投じて拓いた、東海道より北の道
明治初年頃まで東海道より北には大八車の通れる道がなかった。向笠村の高塚太郎平が全私財を投じ独力で明治20年に完成させた新道。県が認めた13年間の通行料を一切取らなかった道づくりと、すべてを失った生涯をたどる。
向笠城と向笠氏 ── 中世の北方を守った在地領主の館
磐田市向笠地区に伝わる中世豪族「向笠氏」と「向笠城」。城の正確な位置は失われており、敷地川と小藪川に囲まれた中州の砦とする地元の伝えと、丘陵上の城とする城郭資料の見方を併記する。向笠史談会の標柱「向笠城砦跡」と、今川・徳川・武田の抗争期の動向をたどる。
敷地米から産業の記憶を読む
豊岡地区の敷地米を、産業・なりわいの記憶として読み直す。場所、資料から確認できる要素、今後の確認点を画像なしで整理。