助郷村は、人と馬を宿へ出すよう割り付けられた。しかし農繁期や遠距離の出役で自前の人馬が不足すれば、代わりの人足・馬を雇う「買人馬」が用いられた。『東海道遠州見付宿』228〜235頁は、石高割の労役が金銭支出へ変わる過程を、天保10年(1839年)などの帳簿から説明する。助郷の負担は人馬数だけでなく、雇賃と不足分の調達まで含めて読まなければならない。
- 助郷役は勤高に応じた人馬出役を原則としたが、不足時には買人馬で補われた。
- 同書の天保10年集計では、買人馬は馬約1,100疋分、人足約6,600人分に及ぶ。
- 買人馬費用は御定賃銭、宿側の支払、助成、刎銭など複数の金銭経路を持つ。
- 帳簿上の賃銭だけでは、待機、農作業中断、馬の飼養という機会費用は分からない。
出役できなければ人馬を買う。 助郷村に割付が届いても、村内の人馬だけで応じられるとは限らない。耕作に人も馬も必要な時期、病馬、遠方出役、短時間の大量動員が重なれば不足する。そこで賃銭を払い、代わりに働く人足や馬を調達した。史料にいう「買人馬」は人身や馬の売買ではなく、継立のための雇用を意味する。
この仕組みは労役を金で置き換えるが、免除ではない。自前で人馬を出さない村も、雇賃の原資を負担する。人馬を実際に出す負担と、代勤費用を払う負担が併存した。助郷高と領主支配で見た勤高は、その配分の基準になった。
天保10年の買人馬。 同書231頁の集計は、天保10年(1839年)に見付宿の助郷が負担した買人馬を、馬約1,100疋分、人足約6,600人分とする。ここでの「疋分」「人分」は、一年間に延べで雇った量と読むべきで、同時に1,100疋・6,600人が宿へ集まったという意味ではない。
| 項目 | 同書の集計 | 読み方 |
|---|---|---|
| 買馬 | 約1,100疋分 | 一年の延べ雇用。保有馬数とは別 |
| 買人足 | 約6,600人分 | 一年の延べ雇用。助郷人口とは別 |
| 費用 | 両・分・文で記録 | 宿受取、村負担、助成を分けて再計算する必要がある |
同書は天保10年と元治元年(1864年)の支払を比較し、幕末には人馬数と賃銭が大きく増えたことを指摘する。ただし貨幣額の単純比較はできない。賃銭割増、米価、通行回数、無賃御用の比率が違うためである。御用継立の実務で整理した御定・無賃・相対の区分をそろえる必要がある。
誰がいくら受け取ったのか。 帳簿の金額には少なくとも三つの立場がある。通行者側から宿へ入る賃銭、宿から実際の人馬提供者へ払う雇賃、助郷村に割り戻す負担である。同じ「人馬賃銭」でも、受取と支払を混ぜると不足額が見えない。同書230頁は、板鼻・本庄の例を参照しながら、村が賃銭を出して代りの労役を雇う構造を説明する。
見付宿では問屋場が配分と清算の窓口になった。御定賃銭が低ければ、実際に人馬を集めるための相場との差をどこかが負担する。宿財政からの取替え、助郷への賦課、幕府助成がその隙間を埋めた。見付宿の歳入と見付宿の歳出に現れる助郷関係金銭は、この労役調達と接続する。
助成と刎銭
同書234〜235頁は、御定賃銭の増額が直ちに助郷救済にならなかったこと、宿へ与えられた助成、賃銭から一定額を差し引く刎銭の扱いを論じる。助成金があっても、買人馬の実費がそれを上回れば不足は残る。しかも助成の配分先と買人馬を負担した村が一致するとは限らない。
刎銭は一件ごとの継立から差し引かれ、宿の共同費用などへ回された。宿場運営に必要な仕組みである一方、実働した人馬へ届く手取りを減らす。御定賃銭、割増、刎銭、買人馬相場を同じ表へ置かなければ、誰が得て誰が不足を負ったかは見えない。
帳簿に残らない負担。 買人馬費用は金額として残るが、助郷村の負担を全部表すわけではない。触れを待つ時間、宿までの往復、継立開始までの待機、農作業の中断、馬の飼料と疲労は別欄を持たない。待つことも負担だったが宿内人馬について指摘した問題は、助郷村にも及ぶ。
一方、負担が重かったという一般論から、個々の村が疲弊したと断定することも避ける。買人馬を供給する側には賃稼ぎの機会が生じた可能性がある。誰が雇われ、どの村へ賃銭が渡ったかを示す名簿や受取証文がなければ、労役市場の実態は確定しない。
延べ数を一日の負担へ戻す。 年間の馬約千百疋、人足約六千六百人は延べ数であり、同じ日、同じ場所に集まった人数ではない。ピーク時の混乱を知るには、日別の人馬帳を使って月別・季節別に分解し、同じ人や馬が何度数えられたかを確かめる必要がある。農繁期との重なりも、年間総数だけからは判断できない。
買人馬を供給したのは誰か。 買人馬の増加は、見付周辺に交通労働を引き受ける人びとや馬主がいた可能性を示す。しかし集計値だけでは、居住地、身分、雇用期間、賃金の取り分は分からない。受取書、宿方会計、村方の人別記録を照合し、制度上の「代勤」の背後にいた実働者を特定する必要がある。
幕末に増えたものを分ける。 幕末の支払増加には、通行量、賃銭率、物価、助郷範囲、無賃通行の五要素が含まれる。元治元年には将軍上洛と長州征伐関係の通行が重なった。助郷人馬が増えたことは同書の比較から読めるが、増加率を一つの原因へ帰すことはできない。長州征伐と見付宿の動員記録と、年次の勘定帳を突き合わせる必要がある。
本稿の立場は、助郷を労働か金銭かの二者択一で捉えず、労役を果たすために金銭支出が生まれた制度として読むことである。買人馬は負担を消すのではなく、誰が働くかを入れ替え、費用を村と宿の間で移動させた。
史料の性格と検証課題。 本稿の数値は『東海道遠州見付宿』が見付宿勘定帳・助郷関係帳簿から集計した値である。今回のPDFでは228〜235頁を画像照合したが、原帳簿の一件別明細は未確認である。とくに両・分・文の換算、延べ数、返金・取替えは原表へ戻って再計算する必要がある。
次の検証では、日付、通行主体、買馬、買人足、御定賃銭、実払、助成、刎銭、村別負担を一行にまとめる。その表ができれば、宿が立て替えた額と助郷へ戻した額を区別できる。現段階では、天保10年の延べ買人馬と、労役が金銭へ置換された構造までを確定する。
更新履歴
- 『東海道遠州見付宿』228〜237頁を全頁画像照合し、新規公開。