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見付|学術特集『東海道遠州見付宿』を読む(36)

助郷高と領主支配 ── 見付宿の役をどう村へ割り付けたか

村高、勤高、領主、兼勤先を分け、助郷表を行政の設計図として読む。

助郷の負担は「一村から何人、何疋」と固定されていたわけではない。田中友次郎編著『東海道遠州見付宿』220〜229頁が掲げる表では、村名の下に領主、村高、見付宿への伝馬勤高が並ぶ。相給村では一村の内部を領主ごとに分け、掛川・袋井・見付の各宿へ勤高を割り分ける例もあった。助郷表は村名簿ではなく、役を計算するための台帳である。

本稿の要点
  • 助郷賦課の基準は原則として石高であり、同書は「100石につき何人・何疋」という考え方を説明する。
  • 村高の全量が見付宿の勤高になるとは限らず、領主別・宿別に分割された。
  • 複数領主を持つ相給村では、村内の支配区分と助郷割付が交差した。
  • 表の不明値を推計で埋めず、村高・勤高・実働数を別の列として扱う。

助郷高は負担を計算する物差し。 同書228頁は、伝馬助郷の労役賦課の標準を石高とする。石高は米の現物収穫量そのものではなく、年貢と役を計算する公的な尺度である。助郷では村の勤高に応じて人足と馬を割り当てた。つまり助郷高は、村の実際の人口や保有馬数を毎回数えて決めるのではなく、石高を通じて役を配分するための行政上の物差しであった。

この仕組みには長所と限界がある。役所側は同じ尺度で多数の村へ割付できる。一方、同じ100石でも人口、馬の保有、耕地条件、農繁期は異なる。石高による形式的な均等は、労働力の実態まで均等にしない。村が割付を自前で満たせなければ、代りの人馬を雇う「買人馬」が必要になった。

項目 意味 注意点
村高 村の公的な石高 年貢・諸役の基礎。助郷先一宿への全額割付とは限らない
助郷勤高 見付宿の助郷役を計算する高 他宿との分割、免除、追加指定で変わる
実働人馬 特定の日に実際に出た人・馬 先触、欠勤、代勤、買人馬を含めて確認する

同書の表には村高と伝馬勤高の二段が置かれる。これは両者を区別すべきことを資料自体が示している。一村の村高をそのまま「見付宿へ差し出した石高」と読むのは誤りである。勤高は労役配分の基準であって、米を宿へ運び込んだ量でもない。

相給村では一村の中を分ける。 近世の村には一人の領主だけが支配する村もあれば、複数の領主が持分を分ける相給村もあった。同書224〜227頁の表は村名と領主名を並べ、村によって一領主、多くて十ヶ村を領有する領主、少なくとも二、三ヶ村を領有する領主が混在したことを示す。幕府直領、旗本領、藩領が地理的に入り組む遠江では、助郷の割付が一つの領主支配だけで完結しなかった。

相給村で役を課す場合、村全体の高を一括して扱うのか、領主持分ごとに割るのかが問題になる。同書の表は領主持分と勤高を対応させようとしているが、複写では一部の数値が不鮮明である。本稿は領主名の全転記と合計再計算を行わず、相給という構造だけを確実に読む。

掛川・袋井・見付の三宿をまたぐ

同書220頁には「掛川・袋井・見付三宿の助郷」と題する表がある。村は最寄りの宿だけへ一対一で属したとは限らず、時期や割付によって複数宿の交通負担に関わった。東海道の宿は独立した島ではなく、継立の連続線に置かれる。ある宿の不足を補うために村を動かせば、隣宿の供給力にも影響する。

この点は、見付宿から天竜川へで扱った継立区間とも関係する。見付から西は天竜川渡船を控え、東は袋井へ続く。川留めや大通行で一宿に人馬が滞留すると、前後の宿と助郷の割付を調整しなければならない。助郷高は一村対一宿の単純な関係ではなく、街道全体の需給調整の中に置かれていた。

一戸・一人・一疋へ換算する。 同書228〜229頁は中山道板鼻宿の例を引き、勤高を戸数と労役へ換算する方法を説明する。見付宿についても、助郷勤高と戸数・人口・馬数を対照し、一戸当たり、人員当たりの負担を考察する。ただし掲載される戸数・人口は年代と出典が異なるため、同一年の統計として単純に割り算することはできない。

計算を再現するには、少なくとも助郷帳の年、村の戸口調査年、保有馬数の年、通行の年月をそろえる必要がある。異なる年の総数を組み合わせれば小数点まで出ても、歴史的意味は薄い。本稿は比率の細部を断定せず、石高から戸・人・馬へ役を翻訳する仕組みが存在したことを確認する。

領主と村のあいだに宿が入る。 助郷役の触れは宿役人から村へ届くが、村は領主支配の下にあった。出役の遅れ、免除、勤高変更、代金の争いが起これば、宿と村だけでなく代官所・領主役所が関わる。同書が領主名を助郷表に載せるのは、村を所在地だけでなく支配関係から読む必要があるためである。

見付宿の助郷圏は、今日の市町境で区切られない。現在の磐田市史だけでなく、袋井・掛川・浜松方面の旧村史料を照合しなければ全体像は復元できない。助郷68ヶ村で見た地域的広がりと、ここで見た領主的な分割を重ねて初めて、誰にどう役が届いたかが見えてくる。

三宿の需要は同時に動く。 掛川・袋井・見付は東海道上で連続するため、一つの大通行は隣り合う宿へ順に到達する。同じ人馬を同時に二宿へ出すことはできず、前宿から戻る時間や川止めも供給余力を変える。したがって、一宿だけの割付表ではなく、通行日程と三宿の触書を時系列に並べる必要がある。村の所属先が変わった理由も、その時間差から説明できる可能性がある。

表をデータ化するときの規則。 史料表の空欄は、ゼロ、記載なし、不明を区別して保存する。領主名は原表記と正規化表記を併記し、相給村は持分を勝手に均等分割しない。石高と助郷勤高も別列にする。集計しやすさのために曖昧さを消すと、かえって原史料が示す支配の複雑さを失うからである。

本稿の立場と史料批判。 本稿の立場は、助郷高を実際の負担量そのものとは見なさず、負担を配分する基準値として扱うことである。村高、勤高、割付人馬、実働人馬、支払賃銭の五段階を分ける。これにより「高が大きいから負担が重かった」という短絡を避けられる。

『東海道遠州見付宿』は見付宿の助郷帳から表を作成した二次文献である。原表にある疑問符、推定、領主名の異同を本稿は直接照合していない。表の細字には判読不能箇所があるため、数値を補完しなかった。今後は旧村ごとの郷帳と領主別明細、三宿の助郷割付帳を照合し、同じ高が重複計上されていないかを検証する必要がある。

そのうえで実働へ進む。勤高が同じでも、自前の人馬を出した村と、買人馬を雇った村では負担の形が違う。金銭と労働の転換は助郷人馬の賃銭と代勤で扱う。

  • 『東海道遠州見付宿』220〜229頁を全頁画像照合し、新規公開。

参考資料

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