宿場の収入と聞けば、旅人や荷物から受け取る運賃を思い浮かべる。しかし天保10年(1839年)の見付宿では、最大の歳入区分は運賃ではなく、宿内と助郷に割り付けた賦課金であった。田中友次郎『東海道遠州見付宿』が整理した勘定帳をたどると、交通収入だけでは足りない金を、町の住民、周辺の村、幕府の助成、借入金、貸付利子で埋める仕組みが見えてくる。
- 天保10年の歳入は、賦課金・伝馬賃銭・助成金・特別借入金・財産収益の5区分で示される。
- 賦課金は約37%で最大、伝馬賃銭は約32%であり、交通収入だけでは運営できなかった。
- 特別借入金9%と財産収益3%は、いずれも金が入る項目だが、返済義務の有無が異なる。
- 助郷からの取立は金額だけでなく、農作業から人馬を引き離す現物負担と合わせて読む必要がある。
歳入は5種類 ── 「入った金」を性格で分ける
第四章の百分比表は、天保10年の歳入を五つに分ける。賦課金642両余・約37%、伝馬賃銭558両余・約32%、助成金358両余・約20%、特別借入金153両余・約9%、財産収益51両余・約3%である(125頁)。比率は概数のため合計が101%になる。
歳入は利益ではない。とくに特別借入金は返済義務を伴う。勘定帳の「入った金」を、そのまま宿場のもうけと読まないことが出発点である。
伝馬賃銭32% ── 人馬・御状箱・荷物札から入る。 伝馬賃銭の中心は、旅客や荷物を次の宿へ送る人馬賃銭である。ほかに尾張家の御状箱賃銭、継飛脚、商人荷物札銭が並ぶ。本文が主な項目として挙げるのは、人馬賃銭231両、尾張家御状箱賃銭68両、継飛脚42両、商人荷物札銭17両などである(126頁)。
商人荷物札銭は、天竜川より西へ行く荷物、袋井宿へ下る荷物などから徴収した取扱料であった。見付宿は、荷物がどの方向へ送られるかを見極め、札銭を取り、次の宿へ引き継いだ。単に馬を貸すのではなく、荷物の経路と責任を管理する収入である(126〜127頁)。
ただし、受け取った賃銭がそのまま残るわけではない。実際に人足や馬を出した者へ支払い、御定賃銭で足りない分を宿が補う場面もあった。歳出側では運輸費が最大の41%を占めるため、通行が増えるほど必ず利益が増えるという構造ではない。収入と支出を対にして読む必要がある。
賦課金37% ── 最大の収入は町と村への割付だった。 賦課金は642両余で、歳入のおよそ37%を占める(125、132頁)。宿内では、伝馬役を負う家々への人馬割、宿高を基礎にした地方分の割付、食売女・旅籠屋・肴屋など営業に関係する助成が組み合わされた。負担の根拠は一つではなく、間口、宿高、役、営業の種類によって別々に計算された(128〜131頁)。
助郷関係の取立は約152両で、賦課金642両の約23%、歳入総額の8.6%にあたると田中は計算する(132頁)。帳面上の割合だけを見れば、宿内負担より小さく見える。しかし助郷では、農作業に必要な人と馬を街道へ出す時間、待機、往復、農作業の遅れが別に生じる。これらは宿の歳入表には金額として十分現れない。
田中は、宿民への賦課は旅客・荷物の往復によって何らかの形で町へ戻る余地がある一方、助郷の徴発は繁忙期ほど苛酷になり、宿の勘定帳だけでは測れないと論じる(132頁)。これは著者の研究上の評価であり、個々の助郷村の損失額を直接示す数字ではない。
助成金20% ── 幕府が宿駅を止めないために出した金
助成金は358両余、歳入のおよそ20%である(125頁)。内容には、幕府関係の宿助成、御下げ金、過去に設けられた貸付金から生じる利子などが関係する。公定の賃銭を低く抑えたまま公用通行を維持するには、運賃以外の財源で不足を補う必要があった。
ここで「幕府が毎年同じ額を現金給付した」と単純化してはいけない。元金を宿内外へ貸し付け、その利子を宿助成へ回す方式、利子が入らないときの補金、返済猶予など、時期によって複数の仕組みが重なっていた(146〜160頁)。この構造は「宿助成のしくみ」で詳しく扱う。
借入金9%と財産収益3% ── 同じ歳入でも意味は逆。 特別借入金153両余は歳入の約9%である。宿内の有力者や関係先から金を借り、当年の不足を埋めるための資金であり、後年の返済を伴う。これに対し、財産収益51両余・約3%は、貸付金の利子、小作年貢、宿が持つ財産から生じる収入である(125、132頁)。
この二つを一つにまとめると、見付宿が「財産運用で12%を稼いだ」ように見えてしまう。実際には、9%は将来返す金、3%は財産から生じた金である。勘定帳ではどちらも当年の歳入に入るが、財政の健全さを判断するときの意味は正反対である。
| 区分 | 当年の帳簿 | 後年への影響 | 利益と呼べるか |
|---|---|---|---|
| 特別借入金 | 歳入に入る | 元金・利息の返済が残る | 利益ではない |
| 財産収益 | 歳入に入る | 貸付回収や小作関係が続く | 収益だが未収の危険がある |
| 助成金 | 歳入に入る | 制度・名目により返済や利子条件が異なる | 一律には判断できない |
歳入表から見えること ── 見付宿は「運賃商売」ではない。 歳入のうち伝馬賃銭は約32%である。裏返せば、残る約7割は賦課、助成、借入、財産収益であった。見付宿は、旅人から料金を受け取る一事業者ではなく、宿内と周辺村へ負担を割り付け、幕府の制度資金を受け、足りなければ借り入れて交通を維持する地域的な運営組織であった。
この仕組みは、利用者が払う運賃と実際の費用が一致しないとき、差額を誰へ配分するかという問題でもある。天保10年の勘定帳は、差額が宿民、営業者、助郷、幕府、将来の返済へ分散されたことを示す。街道の円滑さは、目に見えない負担の付け替えによって成り立っていた。
史料としての限界 ── 割合は負担の全体像ではない
| この資料で確かめられること | この資料だけでは確定できないこと |
|---|---|
| 天保10年の歳入区分と本文中の概算比率 | 各家・各村の最終的な手取りと家計への影響 |
| 賦課・伝馬賃銭・助成・借入・財産収益の併存 | 無償待機、農作業の中断、持ち出しの総額 |
| 田中による助郷取立額と比率の計算 | 助郷村側の帳簿と突合した実損額 |
本ページが確認したのは、1974年刊『東海道遠州見付宿』125〜132頁に掲載された翻刻・集計・分析である。同書が用いた見付宿勘定帳の原本について、筆跡、訂正、欠損、勘定の重複は未照合である。そのため金額は同書の「余」を残して概数で示し、現代円への換算や未記載負担の推計を行わない。
更新履歴
- 『東海道遠州見付宿』125〜132頁の全頁画像照合に基づき新規作成。