天保10年(1839年)の見付宿で最も多くの金が出ていったのは、橋の普請でも本陣の維持でもなく、人と馬を動かす運輸費であった。次に給料、交付金、返却金が続く。勘定帳の約100費目を田中友次郎が分類した歳出表からは、宿場が一日も休めない交通事務所であり、同時に借金と立替を抱える地域会計でもあったことが分かる。
- 最大支出は運輸費713両余・約41%、次が給料422両余・約24%である。
- 交付金182両余・約10%は百分比表にあるが、節別説明だけでは受取先別の全内訳を確定しにくい。
- 問屋場入用91両余には紙、墨、蝋燭、燈油、薪、提灯、寄合など、事務を続ける費用が含まれる。
- 天保11年の大火と元治元年の軍事通行は、同じ会計の枠を大きく膨らませた。
七つの支出区分 ── まず全体を見渡す
第四章125頁の百分比表は、歳出を運輸費713両余・41%、給料422両余・24%、交付金182両余・10%、返却金153両余・9%、事務費91両余・5%、上納金62両余・4%、雑費37両余・2%に分ける。運輸費と給料だけで約65%を占める。
本文の百分比は概数であるが、丸めだけで5ポイントの差をすべて説明できるとは限らない。集計時の分類、帳簿内の振替、本文で省略された小項目の可能性がある。原勘定帳を未照合のため、不明分を既存区分へ配分しない。
運輸費713両余 ── 御定賃銭で足りない分を宿が埋める。 運輸費は歳出の約41%で、最大の区分である(125、133頁)。中心は、上り下りの人馬へ渡す「たし銭」であった。公用通行には御定賃銭という公定額があったが、物価や人馬の実費に届かない場面では、宿が不足分を付け足した。本文では上下人馬のたし銭を合わせて467両余とする(133頁)。
ほかに、御朱印・御証文を持つ無賃通行、御用宿の宿泊、継飛脚、先触に応じて用意する人足、助郷へ支払う取替分などが運輸費へ入る(133〜135頁)。「交通量が増えれば賃銭収入が増える」という面だけでなく、低い公定賃銭との差額、無賃、公用宿泊が同時に増える面を見なければならない。
給料422両余 ── 宿役人だけの給金ではない。 給料は歳出の約24%である(125、138〜139頁)。ここには役馬と役人足の給金、問屋兼名主、年寄兼組頭、帳付役、馬指役など、宿駅業務にかかわる人々への支払いが含まれる。役馬の場合と同様、役人足にも給金が支払われ、諸給料の大半を占めた。
したがって422両を「宿役人の高給」と読むのは誤りである。交通を実行する人馬の維持費と、割付・記録・交渉を担う役職の報酬が一つの区分に入っている。宿役人は世襲・名誉職的な性格を持ち、給料が物価上昇に追いつかない面もあった。役職名と家格だけでは、実際の収支を判断できない。
交付金182両余 ── 分からない内訳を断定しない
交付金は百分比表で約10%を占める(125頁)。しかし133〜140頁の節別説明は、運輸費、返却金、上納金、給料、問屋場入用、雑費を詳しく解く一方、交付金182両余の受取先別内訳を一つのまとまりとして説明していない。
「交付」という語から助郷や宿民への支払いを想定することはできるが、帳簿原本の摘要と相手勘定を見ずに全額の性格を決めるべきではない。本ページでは、著者の百分比表に存在する重要区分として掲げ、内訳は未確認とする。これは情報不足を隠すためではなく、確認できる範囲を明確にするためである。
返却金153両余 ── 前年までの不足が当年へ来る。 返却金は約9%で、宿拝借金の年賦償還、代官所の立替金、宿民らからの相対借金と利息などを含む(135〜137頁)。借金は不足した年の会計を成立させるが、翌年以降の歳出を先に拘束する。歳入側の特別借入金と歳出側の返却金は、別々の年に現れる同じ問題の入口と出口である。
田中は、返済期限が延びたもの、無利息となったもの、未納残高が続いたものを挙げる。返却金の多さは、当年の運営だけでなく、過去年次の不足を引きずっていたことを示す。単年度の黒字・赤字だけでは宿財政の状態を判断できない。
問屋場入用91両余 ── 紙と油が交通を動かした。 問屋場入用は約5%で、問屋場の事務費、寄合、臨時入用を含む(139〜140頁)。本文には筆墨、紙、蝋燭、燈油、薪、提灯、畳などが並ぶ。先触を受け、帳面へ記し、人馬を割り付け、夜間も応対するには、記録と照明の費用が欠かせなかった。
本文の説明では、事務費91両余のうち筆墨・紙・蝋燭・燈油・薪・提灯・畳などの消耗品が約44両を占め、ほぼ半分に達する(140頁)。問屋場は建物の名前ではなく、情報を受け取り、判断し、次へ送る常設の業務であった。
上納金62両余・約4%には国役金、郡中入用、年貢などが入り、雑費37両余・約2%には役人足への心付、願書・使者、臨時対応などが含まれる(135、140頁)。小さな支出を集めた雑費も、平時に存在しなかったわけではない。
天保11年 ── 大火の復旧で総額が増える。 翌天保11年(1840年)の歳出入総額は1,891両3分余で、前年より146両3分余、約8%増えた(141頁)。前年の会計規模に、火災復旧や運輸費の増加が一割弱上積みされたことになる。
増加の大きな理由は、同年正月の大火で焼失した問屋場などの復旧に約120両を支出したことである(142頁)。運輸費では人馬たし銭などが増え、雑費も大きく増加した。一方、返却金や一部の助成関係支出は減っており、総額の増加を火災復旧だけで説明することはできない(142〜143頁)。
元治元年 ── 幕末の大通行で約6,735両へ。 元治元年(1864年)の歳出入総額は約6,735両に達し、天保10年の約3.9倍となった(144頁)。御朱印・御証文人馬賃、人馬たし銭、御用宿足し銭、問屋場臨時入用、寄合費などが増え、将軍上洛や長州征伐にかかわる支出も加わった(144〜145頁)。
田中は、御朱印・御証文関係を約2倍、人馬たし銭を約5倍、御用宿関係を約8倍、問屋場臨時入用を約3倍とする項目比較を示す(145頁)。ただし24年間には物価と貨幣事情も変化している。3.9倍は帳簿上の名目額であり、人馬や米の実質価格をそろえた比較ではない。
| 年 | 歳出入総額 | 会計を動かした事情 | 比較上の注意 |
|---|---|---|---|
| 天保10年(1839) | 基準年 | 通常の継立・助郷・助成・返済 | 著者の分類基準となる年 |
| 天保11年(1840) | 1,891両3分余 | 大火後の問屋場等復旧、運輸費増 | 前年比146両3分余・約8%増 |
| 元治元年(1864) | 約6,735両 | 将軍上洛、軍事通行、臨時入用 | 物価を調整しない名目比較 |
歳出表から分かること ── 宿場は止められない事業だった。 運輸費と給料は、通行があるたびに発生する変動費であると同時に、人馬と役人を待機させる固定的な負担でもあった。問屋場の紙と油、過去の借金返済、幕府・代官所への上納も、旅人が少ないからといって消えない。
そのため見付宿の財政は、賃銭収入だけで収支を合わせにくかった。歳入側で賦課、助成、借入を重ねた理由は、歳出側に「東海道を止めない」費用が先に存在したからである。歳入は「見付宿の歳入」、助成の仕組みは「宿助成のしくみ」で詳しく扱う。
史料としての限界 ── 名目額と分類の壁
| この資料で確かめられること | この資料だけでは確定できないこと |
|---|---|
| 天保10年の主要支出区分と本文の概算比率 | 百分比表で説明されない残余と交付金の全内訳 |
| 天保11年・元治元年の名目総額と主要増減 | 物価を調整した実質比較 |
| 問屋場消耗品や役人足給料の具体例 | 無給待機、家業からの持ち出し、家計損失 |
本ページが確認したのは、1974年刊『東海道遠州見付宿』125頁および133〜145頁の翻刻・集計・分析である。見付宿勘定帳原本の摘要、訂正、相手勘定、重複計上は未照合である。したがって本文の概数を尊重し、合わない差額を推定で埋めず、元治元年の金額を現代円へ換算しない。
更新履歴
- 『東海道遠州見付宿』125頁、133〜145頁の全頁画像照合に基づき新規作成。