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夏と盆 ── 供養、水辺、家の記憶
お盆・施餓鬼・精霊流し・川施餓鬼・七夕・丑浜・延命地蔵尊祭・百万遍。先祖と生者が向き合う福田の夏と盆を読む。
春から初夏へ ── 農事、寺社、講がつないだ地域共同体
花まつり・若宮まつり・伊勢参り・苗代籾まき・堀ざらい・苗供え・端午の節句・さなぶり。農事と信仰が重なる福田の春から初夏を読む。
正月から春へ ── 福田の年始行事と村の信仰
元旦・仕事始め・七草・裸参り・十日祭・米とぎまつり・節分・初午・針供養・ひなまつりまで、福田の年始から春の行事と村の信仰を読む。
福田の年中行事と昔ばなし ── 海・川・田畑に生きた暮らしの記憶(総論)
福田町教育委員会『年中行事と昔ばなし』を手がかりに、福田の正月・盆・秋祭り・講・家の信仰、海と田畑の暮らしを読み解く7ページ特集の総論。
磐田の集合知とは
磐田物語は、市民みんなで紡ぐ郷土史です。なぜこの土地の記録を綴り続けるのか──その理念と、サイト全体への入口をご案内します。
田原村の誕生 ── 磐田原台地東端の開墾と近代農村コミュニティの形成
磐田市東部の旧田原地区の明治・大正期の行政史を解説。明治22年(1889年)、磐田原台地の東縁に位置する大立野、三ケ野、明ケ島などの村々が合併して誕生した「田原村(たはらむら)」。水なき台地の茶園開墾や農業近代化、お茶の増産、そして御厨地区との深い結びつきを軸とした近代農村コミュニティの歩みを紐解きます。
御厨村の分立と再編 ── 明治27年、伊勢神領の村々が選択した自立の道
磐田市御厨地区の明治期の行政史を解説。明治22年(1889年)の町村制施行により一度は誕生した大規模な「御厨村」が、わずか5年後の明治27年(1894年)になぜ分村(分割再編)されるに至ったのか。北部の神宮領・鎌田神明宮周辺と南部の低地農業地帯との間の摩擦と、再編御厨村の自立への軌跡を探ります。
御厨駅と現代の御厨 ── 令和に蘇った古代「神領」の地名と未来への継承
磐田市御厨地区に2020年に開業した「JR御厨駅(みくりやえき)」。駅名として令和の現代に見事に復活を遂げた古代の「伊勢神宮領(御厨)」という高貴な地名の由来と、その歴史の記憶を現代のまちづくりと地域コミュニティへといかに継承していくのか、その未来像を描きます。
富士見台 ── 磐田原台地南端の景勝地と近代開拓の歴史
磐田市東部に位置する「富士見台(ふじみだい)」の歴史を解説。磐田原台地の最南端に位置し、かつて「富士見」の名に恥じぬ大パノラマを誇った景勝地の歩みと、明治・大正期の茶園開拓や戦後の住宅地化といった近代フロンティアの歴史を紐解きます。
三ケ野・三ケ野坂 ── 東海道の難所・坂越えの賑わいと一里塚の記憶
磐田市東部の「三ケ野(みかの)」「三ケ野坂(みかのざか)」の歴史を解説。江戸時代、東海道を旅する人々にとって「車坂」などと並ぶ屈指の難所であり、富士山の絶景を望む茶屋の賑わいや、国指定史跡「三ケ野一里塚」に刻まれた歴史の記憶を辿ります。
城之崎遺跡 - 磐田原台地南部に残された弥生の住まいと古墳の記憶
磐田市西貝塚の城之崎遺跡を、弥生時代後期の高地性集落、城之崎2号墳・3号墳、古墳封土が住居跡を守った重層性から読み直す。
豊田町への合併と近代行政のあゆみ ── 井通・池田・富岡の三村が紡いだ合併の歴史
明治から大正、昭和にかけて、天竜川流域の村々がどのように統合し、かつての「豊田町(とよだちょう)」へと歩んでいったのか。それぞれの村が下した選択と、地域の一体性を育んだ行政と住民の協調の歴史を解説します。
池田やかた祭りと天白神社の祭礼 ── 天竜川の渡しの里に伝わる厄流し
磐田市豊田地区・池田に伝わる市指定無形民俗文化財「池田やかた祭り」と、鎮守・天白神社の祭礼。天竜川の渡しの里で、水難除けの祈りと宿場の連帯を今に伝える郷土の年中行事をたどります。
社山と古代・中世の山岳信仰・砦の記憶 ── 豊田地区北端の霊峰と戦国乱世の砦跡
豊田地区の北端に聳え、古くから修験道や山岳信仰の対象とされてきた「社山(やしろやま)」。戦国時代には武田信玄と徳川家康が攻防を繰り広げた砦としても使われた、この歴史的な山の重層的な魅力を浮き彫りにします。
天竜川の「暴れ天竜」と決壊の歴史 ── 洪水との戦いと、豊田地区に刻まれた水害の記憶
数十回にわたり周囲の村々を呑み込ん込んできた「暴れ天竜」の歴史。明治16年の大洪水をはじめとする重大な決壊事件や、人々が水害を防ぐために築いた堤防(内郷堤など)と水神信仰の歴史を検証します。
富岡村の開拓と磐田原台地西縁の農業 ── 水なき台地を緑の茶園に変えたフロンティアの歴史
磐田原台地の西の縁に位置する加茂、岩井、明ケ島などのエリアが合併して生まれた「富岡村(とみおかむら)」。水利のない厳しい台地部において、お茶の開墾や近代農業に挑んだ開拓者たちの軌跡を追います。
井通村の成立と近代の教育・水利 ── 天竜川左岸の豊かな低地を拓いた近代農村の歩み
明治22年(1889年)、低地の農業地帯である小立野、西之島、宮之一色などの村々が統合して誕生した「井通村(いどおりむら)」。学校の創設や共同水利の整備を通じて、近代農業のモデルとなった村の歩みを辿ります。
小銚子塚古墳と周辺の古墳群 ── 銚子塚に連なる巨大古墳の系譜と古代の首長系譜
国指定史跡である銚子塚古墳に隣接する「小銚子塚古墳」と、磐田原台地西縁に築かれた古墳群。古代遠江の巨大勢力と、前期古墳から中期・後期古墳へと至る歴史のダイナミズムに迫ります。
金原明善と天竜川治水の足跡 ── 「暴れ天竜」に挑んだ治水開拓者と森林保護の思想
「暴れ天竜」と恐れられた大河の治水に生涯と全財産を捧げた「金原明善」。上流部の植林活動や近代土木技術の導入、そして彼が豊田地区をはじめとする天竜川流域に残した偉大な遺産を検証します。
船頭自治と徳川家康の朱印状 ── 天竜川左岸・池田船頭衆の特権と自立史
天竜川の激流を渡る高度な技術を持ち、徳川家康から数々の特権(朱印状)を与えられた「池田船頭衆」。彼らの誇り高き自治組織と、川と共に生きた人々の歴史を辿ります。