磐田郷土史研究紀要
大石浩之の磐田論考 第298号(地名研究 総論)
磐田の地名を総合する
地名に刻まれた地形・開発・信仰 ── 既刊各論の横断的整理と史料批判
1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
要旨
本稿は、地名を主題として個別に論じてきた既刊各論を先行研究として横断し、磐田の地名に刻まれた痕跡を類型的に総合するレビュー論考である。対象とするのは、地名学の方法を論じた総論、半場名という開発地名を扱った論、二之宮と御厨という信仰・神領由来の地名を扱った二論、そして天竜川の堤に由来する地名を扱った論である。これらの到達点を整理したうえで、磐田の地名を(1)地形由来、(2)開発由来、(3)信仰由来、(4)由来のわからない地名の四類型に分けて総合する。方法上の原則として、地名がいつ史料に記載されたかは検証可能な史実として扱い、その地名がなぜその名を得たかという由来は、推定または伝承の層に属するものとして厳密に区別する。地名から歴史は読めるが、地名だけで歴史は決められないという節度を全体に貫き、由来が確認できない状態を指す「未確認」と、史料に記載がないことを指す「記載なし」とを一貫して弁別する。
キーワード:地名/大字/地形地名/新田開発/半場名/御厨/史料批判
1. 問題設定 ── 地名を史料としてどう読むか
磐田の地を歩くと、島・堤・原・宮・新田・御厨といった語を含む地名にくり返し出会う。これらの地名は、ただの記号ではない。そこに住んだ人々が、土地の形を見、土地を切り開き、神をまつってきた歴史の痕跡を、短い語のなかに畳み込んでいる。本稿の出発点は、こうした地名を一つの史料として読むとき、どこまでを確実に読み取れて、どこからが推測になるのかを、あらためて見定めることにある。
本論考シリーズでは、これまで個別の地名を主題とした各論を積み重ねてきた。半場名を扱った論、二之宮や御厨を扱った論、天竜川の堤に由来する地名を扱った論などである。これらはそれぞれ一つの地名、あるいは一つの地区に焦点を当てた研究であった。本稿はそこから一段引いて、これらの各論を先行研究として並べ直し、磐田の地名全体を貫く型を取り出すことを課題とする。個別の事例を束ねて類型を立てる作業であるから、性格としては横断的なレビュー論考にあたる1。
地名を史料として扱うには、一つの区別を最初に据えておく必要がある。ある地名が、いつ、どの史料に記載されたかは、原則として検証できる。『和名類聚抄』の郷名に見えるのか、近世の検地帳や村鑑に現れるのか、明治の地籍図に載るのか──記載の初出は、史料に当たれば確かめられる事実に属する。ところが、その地名がなぜその名になったのかという由来は、多くの場合、記載そのもののなかには書かれていない。由来は後世の推測であったり、地域に語り継がれた伝えであったりする。記載は史実の層に、由来は推定または伝承の層に属する。この二つを混同しないことが、地名研究の最初の作法である。
この作法を方法として正面から論じたのが、本シリーズの「地名から磐田を読む ── 大字という単位と地名学の方法」であった。同論は、大字という行政上・地理上の単位を手がかりに、地名から歴史を読む手続きと、その限界とを整理した。本稿はその方法論を、個別の各論から取り出した具体的な事例によって肉づけする位置づけにある。方法だけを説いても抽象にとどまり、事例だけを並べても散漫になる。方法と事例を接続し、磐田の地名に刻まれた地形・開発・信仰の三つの層を、確度を明示しながら総合すること──それが本稿の目的である。
横断的な総合を試みる理由も、あらかじめ述べておきたい。個別の地名を掘り下げる各論は、一つの対象を深く扱う点で力をもつが、その反面、他の地名との関係や、磐田全体のなかでの位置づけが視野の外に置かれがちである。たとえば堤に由来する地名を単独で論じても、それが開発由来の地名とどこで接し、信仰由来の地名とどこで異なるのかは、他の各論と並べてはじめて見えてくる。個別研究の成果を、共通の枠のもとで並べ直す作業は、それ自体が一つの研究であると考える。ただし総合は、個別の各論が確定した事実に新しい史実を付け加えるものではない。あくまで既存の到達点を、確度の層を保ったまま整理し、類型として提示する作業にとどまる。この限界を最初に明示しておくことが、レビュー論考の誠実さを支える。
2. 先行研究の整理 ── 既刊各論の到達点
総合に入る前に、本稿が先行研究として依拠する各論の到達点を整理しておく。いずれも本論考シリーズのなかで、個別の地名または地区を主題として書かれたものである。ここでは各論の結論を要約し、それが四類型のどこに位置づくかを確認する。
方法の基礎を据えたのが、前章でも触れた論考250「地名から磐田を読む」である。同論は、大字という単位を地名研究の出発点に置き、地名の記載・沿革・分布は史料に基づく史実として扱えるが、地名がなぜその名を得たのかという由来の多くは推定または伝承の層に属することを確認した。そのうえで、地名から歴史は読めるが地名だけで歴史は決められないという節度を、シリーズ全体の基準として提示した。本稿はこの節度を、四類型の各事例において具体的に適用する。
開発由来の地名を代表するのが、論考153「上新屋『半場名』を読む」である。同論は、上新屋に残る「半場名」という小字を手がかりに、新田開発の過程で名請人の人名や屋号が土地に結びつき、固定された経緯を論じた。地名は自然に生まれるのではなく、土地を開き、検地を経て、名請人と土地との関係を呼び名として固定した層である──この指摘は、開発由来の地名を読むうえでの基本視角となる。ただし同論も、半場名の由来そのものは推定・伝承の層にとどめ、新田開発・検地・地名化という枠組みが史料で確認できる範囲を切り分けている。
信仰由来の地名については、二つの各論がある。論考166「二之宮はなぜ中泉と一つになったか」は、中泉に残る「二之宮」の地名が、鹿苑神社を核とする信仰に由来する可能性に触れつつ、その地名が明治22年(1889年)の町村制施行によって中泉町に組み込まれていく過程を、市町村の制度史として検証した。地名の由来は信仰の層に、行政区画の変遷は制度史の史実の層に、それぞれ分けて扱う姿勢が明確である。もう一つの論考209「御厨の成り立ち」は、「御厨(みくりや)」が神饌を調える神領を意味する語であることを確認し、荘園としての御厨から、明治の御厨村、そして2020年開業の鉄道駅までを、地名の連続と行政の年表という二つの層に分けて叙述した。信仰に由来する古い地名が、近代の行政や交通のなかで再利用されていく様子を描いた点で、本稿の信仰由来の類型に直結する。
地形由来の地名を扱ったのが、論考141「『堤外』と『内郷堤』」である。同論は、豊田地区の小字に残る「堤外」と、村の名にもなった「内郷堤」という地名を手がかりに、天竜川の堤が土地をどのように分け、どのような暮らしの条件を生んだかを論じた。堤が普請され、堤の内と外で土地の性格が分かれるという地形と人為の関係が地名に刻まれた一方、堤そのものの築造年代や位置を直接記す一次史料は同論の範囲では確認できていないとして、「未確認」と「記載なし」の区別を保っている。地形と人為の接点に生じた地名という点で、本稿の地形由来の類型の中核をなす。
これら五つの各論は、いずれも一つの地名または一地区を掘り下げた研究であった。本稿の役割は、これらを横に並べ、共通する型を取り出すことにある。整理すると、各論は地形・開発・信仰という三つの由来のいずれかに軸足を置き、かつそのすべてが記載と由来の層を区別する方法を共有していた。この共有された方法こそ、四類型を貫く総合の土台となる。
3. 類型一:地形由来の地名 ── 島・堤・谷・原
第一の類型は、土地の形そのものに由来する地名である。磐田の地には、島・洲・堤・谷・原・崎といった、地形を写した語を含む地名が広く分布する。これらは、そこに暮らした人々が土地の高低・水はけ・水との境を読み、生活の条件として言い分けた痕跡と考えられる。地形由来の地名は、地名研究のなかでも比較的読み解きやすい類型に属する。語義と土地の実態とが対応しやすいからである。
磐田原台地の縁辺や、天竜川・太田川の低地には、この種の地名が集中する。「島」を含む地名は、周囲より一段高く水につかりにくい微高地を指すことが多く、洪水常襲の低地では住居や耕地の適地を意味した。「原」は、台地上の開けた平坦地を指す。「谷(やつ・や)」は、台地に刻まれた小さな谷地を指し、湧水と結びつく。これらの語は、標高や水の条件という土地の性格を、短い語で言い当てている。地形と地名の対応が明瞭であるほど、由来を地形に求める推定の確からしさは高くなる。
この類型を具体的に検証したのが、前章で触れた堤に由来する地名の各論である。天竜川の堤が普請されると、堤の内側(守られる側)と外側(河原側)とで土地の性格が分かれ、「堤外」という小字や、「内郷堤」という村名が生じた。ここでは、地形(河川と低地)と人為(堤の普請)とが接する点に地名が生まれている。純粋な自然地形ではなく、人が土地に手を加えた結果としての地形が名になった点で、地形由来の類型のなかでも人為の要素を含む。この事例は、地形由来と開発由来とが截然とは分かれないことを示す2。
地形由来の地名を読むときに注意すべきは、同じ語でも土地によって指すものが異なりうる点である。「島」は低地では微高地を指すが、同じ字が別の地では単に集落のまとまりを指す例もある。「原」も、台地上の平坦地を指す場合と、開墾以前の未墾地を指す場合とがある。語義から由来を推定する際には、その地名が置かれた地形の実態と照らし合わせ、語と土地の対応が実際に成り立つかを一つずつ確かめる必要がある。地形由来の推定が確からしくなるのは、語義の一般論によってではなく、その土地の高低や水の条件と語とがぴたりと合うときである。逆に、語義だけを根拠に地形由来と決めてしまえば、土地の実態を見ない机上の推定に陥る。
ただし地形由来の地名にも、読み解きの限界がある。第一に、語義が後世に変化し、もとの地形を写した語が別の漢字に置き換えられることがある。「谷」が「屋」や「野」に転じるように、当て字によって由来が見えにくくなる。第二に、地形そのものが治水や耕地整理で改変され、地名だけが残って土地の実態と食い違う場合がある。堤が動き、川筋が変われば、「堤外」が地形上の意味を失って名だけが残る。したがって、地形由来と推定できる場合でも、その地名がいつ成立したか、どの地形を指していたかまでを一次史料で確定できることは多くない。地形との対応は由来の推定を支えるが、成立年代の史実を保証するわけではない。
4. 類型二:開発由来の地名 ── 新田・名請人名・半場名
第二の類型は、土地を切り開いた営みに由来する地名である。近世の磐田では、天竜川流域や台地の縁で新田開発が進み、その過程で数多くの地名が生まれた。「新田」「新屋」「開」といった語を含む地名は、開発の記憶をそのまま名にとどめている。地形由来の地名が土地の形を写すのに対し、開発由来の地名は、土地に対する人の働きかけを写す。
この類型の核心を突いたのが、半場名を扱った各論であった。新田を開くと、その土地は検地を経て名請人に割り当てられる。名請人の人名や屋号が、その耕地を呼び分けるための小字として定着し、「半場名」と呼ばれる地名の層を形づくった。つまり、ある土地の呼び名のなかに、そこを開いた、あるいは請け負った人の名が化石のように残っている。地名は自然に湧いて出るのではなく、土地を開き、検地で境を確定し、名請人と土地を結びつけるという一連の人為的な手続きの産物である──この視点は、開発由来の地名を読むうえでの基本となる3。
開発由来の地名は、地形由来の地名に比べて、記載の史実を史料で確認しやすいという特徴をもつ。新田開発は検地帳・新田帳・村鑑といった近世文書に記録が残ることが多く、地名の初出や、その土地が新田として立てられた年代を、文書に当たって確かめられる場合がある。名請人の名も、検地帳の記載と照合できることがある。この点で、開発由来の地名は、地名研究のなかでも記載の史実に踏み込みやすい類型である。
開発由来の地名には、開発の様態を写し分ける語彙の広がりもある。まったくの未墾地を新たに開いた場合の「新田」、既存の耕地に付け加えるように開いた場合の「切添(きりぞえ)」、屋敷を新たに構えた場合の「新屋(あらや・にいや)」など、開発の種類に応じて異なる語が地名として残る。これらの語を読み分けると、その土地がどのような手続きで開かれたかを、地名から大づかみに推し量ることができる。もっとも、こうした語の使い分けが磐田の各地でどこまで厳密に守られていたかは、地域や時代によって差があり、一律には論じられない。語彙の分類は由来推定の手がかりにはなるが、それだけで開発の年代や主体を確定できるわけではない。
もっとも、記載が確認できることと、由来が確定することとは別である。ある小字が名請人の人名に由来すると推定できても、その人物が実在した確証や、なぜその名が土地の呼称として選ばれたのかまでを一次史料で押さえられるとは限らない。屋号や通称は文書に残りにくく、口頭で伝わるうちに転訛することもある。半場名の各論も、開発と検地という枠組みは史料で確認できる史実として扱う一方、個々の半場名の由来そのものは推定・伝承の層にとどめていた。開発由来の地名は史実に近づきやすいが、それでも記載の初出と由来の確定との間には、なお埋めきれない距離が残る。
5. 類型三:信仰由来の地名 ── 二之宮と御厨(神領)
第三の類型は、神仏への信仰に由来する地名である。磐田には、宮・社・神・鳥居・別当といった信仰に関わる語を含む地名や、神領・社領に由来すると考えられる地名が残る。信仰由来の地名は、その土地が神をまつる場、あるいは神に奉仕する場であった記憶を伝える。この類型については、本シリーズに二つの各論がある。
一つは二之宮を扱った各論である。「二之宮」とは、一般に国内で二番目に格の高い神社を指す称であり、この地名は鹿苑神社を核とする信仰に由来すると考えられている。ただしその由来の当否とは別に、同論が史実として確定したのは、この二之宮が明治22年(1889年)の町村制施行によって中泉町に組み込まれていく行政上の経緯であった。地名の由来は信仰の層に属する推定であり、行政区画の変遷は制度史の史実である。この二つの層を区別して叙述する点に、信仰由来の地名を扱う際の慎重さが表れている。
もう一つは御厨を扱った各論である。「御厨」は、神に供える神饌を調える台所、転じて神社に属する神領を意味する語である。伊勢神宮などの神領として各地に御厨が置かれ、その記憶が地名として残った。磐田の御厨も、こうした神領に由来する古い地名と考えられている。同論は、この語義の確認を基礎に置きつつ、荘園としての御厨から、明治22年(1889年)の御厨村、明治27年(1894年)の東海道線開通、昭和30年(1955年)の磐田市編入、そして平成17年(2005年)以降の動きを経て、2020年開業の御厨駅に至るまでの行政・交通の年表を、地名の連続とは別の史実の層として確定した4。古い信仰に由来する地名が、近代の鉄道駅として再利用される様子は、地名が長い時間を越えて再び地図の表面に現れる過程を示している。
信仰由来の地名には、特有の読み解きの難しさがある。第一に、語義そのものは比較的明瞭でも──「宮」は社を、「御厨」は神領を指す──その地名が実際にどの神社・どの神領に由来するかの特定には、別の史料を要する。第二に、信仰は時代とともに移り変わるため、地名が指し示す信仰の対象が、成立当初と現在とで異なることがある。古代の神が中世に別の神と習合し、近世に別当寺が置かれ、明治に神仏分離を経る──こうした変遷のなかで、地名だけが一貫して残る。したがって信仰由来の地名は、語義から由来を推定できても、その信仰の具体的な内実や成立年代までを地名だけで決めることはできない。ここでも、地名から歴史は読めるが地名だけで歴史は決められないという原則が働く。
6. 類型四:由来がわからない地名 ── 未確認と記載なし
第四の類型は、由来がわからない地名である。地名研究において、この類型を正面から立てることには意味がある。地形・開発・信仰のいずれにも無理なく収まらない地名、あるいは語義そのものが不明な地名は、実際には少なくない。こうした地名を、無理にいずれかの由来へ押し込めることは、確度の水準を偽ることになる。わからないものをわからないまま記述する態度こそ、地名研究の誠実さを支える。
ここで決定的に重要なのが、「未確認」と「記載なし」の区別である。両者はしばしば混同されるが、意味はまったく異なる。「未確認」とは、その地名の由来を裏づける史料に、筆者がまだ突き当たっていない状態を指す。史料は現に存在するが把握できていないのか、そもそも作られなかったのかは、それ自体が別に検証を要する問いである。これに対し「記載なし」とは、参照した史料のなかに、その事項の記載が現に存在しないことを指す。前者は探索の未完了であり、後者は史料の欠如である。この二つを一語で片づけると、「わからない」がいつのまにか「存在しない」へすり替わる5。
この区別は、既刊各論が一貫して守ってきた作法でもある。堤の各論は、堤に由来する地名という由来の推定は示しつつ、堤そのものの築造年代や位置を直接記す一次史料は同論の範囲では確認できていないとして、これを「未確認」と明記した。二之宮の各論も御厨の各論も、地名の由来を信仰に求める推定と、行政の年表という史実とを分け、由来が史料で裏づけられない部分を推定の層にとどめた。いずれも、わからない部分をわからないと記す点で共通する。本稿が四類型の一つとして由来不明を立てるのは、この各論の姿勢を類型として明示するためである。
由来不明の地名には、いくつかの型がある。第一に、語義そのものが不詳の型である。漢字表記からも読みからも意味が取り出せず、地形・開発・信仰のいずれの由来も推定しがたい地名がこれにあたる。第二に、語義は取れるが土地の実態と対応しない型である。「島」の字をもちながら微高地でない地、「宮」の字をもちながら近隣に社の痕跡を欠く地などで、当て字や地名の移動を疑うべき例である。第三に、複数の由来がありうるために一つに絞れない型である。地形とも開発ともとれる地名は、無理にどちらかへ決めるより、両様の可能性を併記して保留するほうが確度を偽らない。いずれの型でも、推定を急がず、なぜ由来が定まらないのかを記述すること自体が、後の検証に資する記録となる。
由来がわからない地名は、研究の失敗ではなく、今後の探索の出発点である。ある地名の由来が「未確認」であると正確に記録しておけば、後の研究者が新たな史料に当たったとき、その空白を埋める作業に取りかかれる。逆に、確度の低い推定を由来として断定してしまえば、その誤りが定説として流通し、後の検証をかえって妨げる。地名を扱う各論が、しばしば結論よりも留保を丁寧に書き残すのは、この理由による。わからないことを正確にわからないと書くことは、地名から歴史を読むという営みを、後世の調べものに耐える形で残す方法にほかならない。
7. 総合 ── 由来類型と確度の腑分け
ここまで四つの類型を個別に検討してきた。本章では、それらを一つの表に総合し、類型ごとに確度がどう異なるかを可視化する。総合にあたって守るべき原則は、これまでくり返してきたとおりである。地名の記載は史実の層として扱い、由来は推定または伝承の層として扱う。そのうえで、由来が確認できない場合は「未確認」と「記載なし」を区別する。以下の比較表は、四類型を、代表事例・記載の確認しやすさ・由来の確度・史料批判上の留意点という同じ粒度で並べたものである。特定の類型を優位に置かず、各行の情報量をそろえることで、読者が自ら確度を判断できる状態をつくることを心がけた。
| 由来類型 | 代表事例(既刊各論) | 記載の確認 | 由来の確度 | 史料批判上の留意点 |
|---|---|---|---|---|
| 地形由来 | 堤外・内郷堤(論考141)、島・原・谷 | 小字・村名として地籍等に記載あり | 推定(語義と地形の対応で高まる) | 当て字化・地形改変で由来が見えにくくなる。成立年代は地形から決まらない。 |
| 開発由来 | 半場名・新田・新屋(論考153) | 検地帳・新田帳等で確認しやすい | 推定(枠組みは史実に近い) | 記載の初出は追えても、個々の人名・屋号の由来は確定しにくい。 |
| 信仰由来 | 二之宮(論考166)、御厨(論考209) | 語義は明瞭、行政年表は史実 | 推定~伝承(具体の対象特定に別史料) | 信仰の変遷で指示対象が変わる。由来の連続と行政の年表を分ける。 |
| 由来不明 | 語義・由来ともに不詳の地名 | 記載はあるが由来の手がかりを欠く | 未確認(推定を保留する) | 「未確認」と「記載なし」を混同しない。断定を避け空白を記録する。 |
この表から読み取れるのは、四類型が確度の一直線上に並ぶのではなく、それぞれ別の仕方で確度の問題を抱えているという事実である。地形由来は語義と土地の対応によって由来の推定が支えられるが、成立年代は決めにくい。開発由来は近世文書によって記載の史実に近づけるが、個々の由来はなお推定にとどまる。信仰由来は語義が明瞭でも、信仰の変遷ゆえに指示対象の特定が難しい。由来不明は、そもそも推定を保留すべき領域である。類型が違えば、確からしさの限界が現れる場所も違う。
ここで本稿の立場を明示しておく。本稿は、四類型のいずれについても、地名の記載を史実として尊重する一方、由来については確度の層を明示したうえで推定・伝承として提示する立場をとる。どの類型についても、地名から歴史の輪郭は読めるが、地名だけで歴史の細部を確定することはできない。これは既刊各論250が方法として掲げた節度を、四類型の総合において具体化したものである。地名は歴史を指し示す標識ではあっても、歴史そのものを記述した文書ではない。標識を読むことと、標識が指す先を史料で確かめることとは、別の作業である。
この総合には、もう一つ副次的な含意がある。四類型が截然とは分かれず、一つの地名が複数の由来を重ねもつという事実である。堤の地名が地形由来でありながら堤普請という人為(開発)を含んだように、また御厨の地名が信仰由来でありながら近代には行政・交通の名として再利用されたように、地名はしばしば複数の層を畳み込んでいる。類型は分析のための道具であって、地名を一つの箱に閉じ込めるための仕切りではない。一つの地名を複数の類型から照らすことで、その地名が背負ってきた時間の厚みが見えてくる。
この整理の作業は、磐田の地名研究にとって一定の見通しを与える。個別の地名を掘り下げる各論は、それぞれが一点の深掘りであるがゆえに、他の地名との関係が見えにくい。四類型という枠を通してそれらを並べ直すと、磐田の地名全体が、地形・開発・信仰という三つの営みと、その手前にある由来不明の領域とによって構成されていることが見えてくる。今後、新たな地名を扱う各論を書くときにも、この枠は、その地名がどの類型に属し、どの確度の問題を抱えるかを見定める手がかりとなる。総合は個別を否定するのではなく、個別を位置づけるための足場である。
8. 結論 ── 地名から読める歴史の輪郭
本稿は、地名を主題とした既刊各論を先行研究として横断し、磐田の地名を地形由来・開発由来・信仰由来・由来不明の四類型に総合した。得られた見取り図は次のとおりである。地名の記載は、検地帳・地籍図・国史・行政文書などによって確認できる史実の層に属する。これに対し、地名がなぜその名を得たのかという由来は、多くの場合、推定または伝承の層にとどまる。四類型はいずれもこの記載と由来の区別を共有し、かつ由来が確認できない部分については「未確認」と「記載なし」を弁別する。
四類型を並べて見えてきたのは、地名が土地の三つの営み──土地の形を読むこと、土地を切り開くこと、土地に神をまつること──を短い語に畳み込んだ痕跡であるという事実である。堤の地名は治水と暮らしの境を、半場名は新田を開いた人の名を、御厨や二之宮は神への奉仕の記憶を、それぞれとどめている。そして、いずれの類型にも収まらない由来不明の地名が、確度を偽らないための第四の領域として残る。磐田の地名は、この四つの領域の集合として全体を構成している。
本稿の立場は、全体を通じて一貫している。地名から歴史は読める。地形を、開発を、信仰を、地名は確かに指し示す。だが、地名だけで歴史は決められない。成立年代を、由来の具体を、信仰の内実を、地名は単独では確定しない。この二つの命題の間に節度を保つことが、地名を史料として扱う際の基本姿勢である。記載を史実として尊重し、由来を推定・伝承として提示し、わからないものを「未確認」として正確に記録する──この禁欲的な手続きこそが、既刊各論が積み上げ、本稿が総合として引き継いだものである。
最後に、本稿が残した課題を記しておく。第一に、四類型はなお大づかみであり、地形由来のなかの微地形の語彙、開発由来のなかの新田と切添の区別、信仰由来のなかの神社系と寺院系の別など、下位の類型化を進める余地がある。第二に、一つの地名が複数の由来を重ねもつ事例の系統的な収集は、本稿では十分に行えなかった。第三に、由来不明とした地名について、近世・近代の地方文書を博捜し、「未確認」を「記載あり」あるいは「記載なし」へと確定していく作業が残る。これらはいずれも、本稿の四類型の枠のなかで、推定を史実へ、未確認を確認へと押し上げていく地道な作業に属する。地名から歴史を読むという営みは、一本の各論で完結するものではなく、確度の層を保ったまま事例を積み上げていく持続的な手続きである。その足場として、本稿の四類型が、今後の各論を位置づける枠となることを期したい。
注
- 本稿は個別の地名を扱った既刊各論を先行研究として横断整理するレビュー論考であり、新たな一次史料の発掘を目的とするものではない。各論の到達点を確度の層を明示しながら再配置することを主眼とする。↩
- 堤に由来する地名の詳細は、大石浩之の磐田論考 第141号「『堤外』と『内郷堤』」を参照。堤の築造年代・位置を直接記す一次史料は同論の範囲では確認できていない(未確認)。↩
- 半場名の生成過程については、大石浩之の磐田論考 第153号「上新屋『半場名』を読む」を参照。新田開発・検地の枠組みは史料で確認できる一方、個々の半場名の由来は推定・伝承の層にとどまる。↩
- 御厨の語義および行政・交通の年表については、大石浩之の磐田論考 第209号「御厨の成り立ち」を参照。地名の連続(由来)と行政の年表(史実)は別の層として扱う。↩
- 「未確認」は史料に突き当たっていない状態、「記載なし」は史料に記載が存在しないことを指す。両者の混同は「わからない」を「存在しない」へすり替える誤りを招く。↩
付記:本稿は、地名を主題とした既刊各論(論考250・153・166・209・141)を先行研究として横断整理した総論である。地名の記載を史実、由来を推定・伝承として区別し、「未確認」と「記載なし」を一貫して弁別した。個別事例の典拠は各論および各論が挙げる史料に譲る。
参考文献・参考資料
- 大石浩之「地名から磐田を読む ── 大字という単位と地名学の方法」大石浩之の磐田論考 第250号、磐田物語、2026年 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/250/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「上新屋『半場名』を読む ── 人名・屋号が地名に残るしくみ」大石浩之の磐田論考 第153号、磐田物語、2026年 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/153/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「二之宮はなぜ中泉と一つになったか ── 明治の合併と鹿苑神社」大石浩之の磐田論考 第166号、磐田物語、2026年 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/166/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「御厨の成り立ち ── 荘園御厨から鉄道の駅までの沿革」大石浩之の磐田論考 第209号、磐田物語、2026年 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/209/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「『堤外』と『内郷堤』 ── 天竜川の堤が分けた土地」大石浩之の磐田論考 第141号、磐田物語、2026年 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/141/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 鏡味完二『日本の地名』角川書店、1964年。
- 鏡味完二・鏡味明克『地名の語源』角川書店、1977年。
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- 『和名類聚抄』(諸本)遠江国郡郷の条。
- 『延喜式』巻九・十(神名帳)遠江国条。
- 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、地名・村落・開発の該当章)。
- 磐田市『磐田市史』史料編(近世検地帳・村鑑等の該当項)。
- 佐口行正氏所蔵史料(近世・近代の地籍・村方文書)。