失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

国分寺ものがたり | 子11

令和の薬師堂移築 ── 国分寺奉賛会と2度目の史跡公園

令和4年(2022年)11月20日、国分寺薬師堂は新しい場所で移築落慶式を迎えた。国分寺奉賛会という、地域の小さな会が支え続けてきた、その歩みをたどる。

115名の名簿から9名へ ── 国分寺奉賛会の歩み

国分寺奉賛会には「国分寺保存奉賛会」として発足した当初の名簿が残っている。名を連ねたのは115名。前ページで見た昭和の復興期、森本善苗尼と近藤文六が薬師堂の存続に動いた頃から続く流れを、地域の側で支えてきた組織である。

会長は青島不二雄氏、中山敬一氏、鈴木儀一氏と代替わりしてきた。会費を集める体制は長く続いたが、平成17年(2005年)に会費徴収を取りやめている。以後は会費に頼らない緩やかな運営に切り替わり、令和の現在、奉賛会員として名簿に載るのは9名である。115名から9名へ ── この数字の推移だけで、一つの信仰組織が世代を経てどう縮んでいくかが見えてくる。奉賛会そのものを続けるかどうかより、薬師堂という建物と、そこに集まる行事を絶やさないことに重心が移ってきた、と見た方が実態に近い。

境松集会所(愛染堂)と、役割を終えた平成25年

国分寺の薬師堂と並んで、地域の集まりの場になっていたのが境松集会所、通称・愛染堂である。町内の寄合や行事の際の拠点として使われてきたが、平成25年(2013年)にその役割を終えている。建物が老朽化したというより、集会所として人が集まる用途そのものが、公民館や自治会館といった別の場所に移っていった、という方が近い。

境松という地名は、見付天神裸祭の出発点が今も国分寺前であることと無関係ではない。裸祭の詳しい次第はこのページでは立ち入らないが、祭りの隊列が動き出す起点が、千三百年前の国分寺の境内だったあたりに今も置かれているという事実だけは書き留めておきたい。裸祭そのものについては、別の特集「見付天神裸祭」で扱っている。

おやくさまと遠江四十九薬師霊場

境松集会所が役割を終えた後も、国分寺薬師堂を中心にした行事は続いている。例年11月最初の日曜日に営まれる国分寺薬師例大祭は、地域で「おやくさま」と呼ばれ、奉賛会員が9名まで減った今も、途切れずに続けられてきた。

薬師堂はまた、遠江四十九薬師霊場巡りの一霊場としても参拝者を受け入れている。前ページ(n041)で触れた霊場のつながりの中に、この国分寺薬師堂も名を連ねている形になる。堂の規模は大きくないが、霊場を歩く人にとっては四十九ある札所の一つであり、地域の内と外、両方の視線が交わる場所になっている。

移築という選択 ── 平成18年から令和4年まで

薬師堂を今の場所へ移す話は、史跡整備の進行と表裏一体で進んできた。遠江国分寺跡を史跡公園として整備する事業が動き出す中で、境内地にあった薬師堂の扱いをどうするかが、避けて通れない課題になっていったからである。

地権者への説明会が開かれたのが平成18年(2006年)。そこから発掘調査や土地の売却、文化財課との協議を経て、令和2年(2020年)の地鎮祭、令和4年(2022年)の引き渡しと移築落慶式まで、実に16年ほどの歳月がかかっている。経過を年表にまとめる。

年月日出来事
平成18年(2006年)地権者説明会。史跡整備に伴う薬師堂移転の検討が始まる。
平成27年(2015年)〜平成28年(2016年)磐田市文化財課との協議が進められる。
平成29年(2017年)中村元信住職(根来寺大伝法院座主)が就任。国分寺跡整備委員会委員長・上原眞人氏(京都大学名誉教授)との縁があった。
平成30年(2018年)発掘調査の実施と、移転先用地の売却手続き。
令和2年(2020年)3月26日地鎮祭。
令和2年(2020年)9月2日上棟式(施工:天峰建設)。
令和4年(2022年)8月5日建物の引き渡し。
令和4年(2022年)11月20日移築落慶式。

16年という時間の大半は、実は建設工事そのものではなく、地権者説明・発掘調査・文化財課との協議という、地味な手続きに費やされている。史跡の下に薬師堂を建て替えるということは、文化財の保護と信仰の場の存続を同時に成り立たせる作業であり、平成の終わりから令和にかけて、それが一つずつ片づけられていった過程がこの年表である。

中村元信住職の就任が平成29年(2017年)という、移転計画のちょうど中間地点に置かれているのも興味深い。根来寺大伝法院座主という肩書を持つ住職と、国分寺跡整備委員会委員長を務めた上原眞人氏(京都大学名誉教授)との縁が、この移転を進める上での一つの支えになったという経緯が、名簿や記録の端々に残っている。

令和8年完成予定、とされてきたもの

地域では、2度目の遠江国分寺史跡公園が令和8年(2026年)に完成する、と語られてきた時期がある。薬師堂の移築が令和4年(2022年)に一段落したこともあり、次の目標として史跡公園の完成が意識されてきたのは自然な流れだろう。

ただし、磐田市が公開している遠江国分寺跡整備事業の情報を見る限り、令和5年度(2023年度)に金堂基壇の整備が完了し、令和7年度(2025年度)には中門と回廊(東側)の整備工事が進められている、という段階にとどまっている。2026年7月時点で、史跡公園全体の完成時期について確定した情報は見当たらない。「令和8年完成」という言い方はいったん保留し、整備は段階を追って進んでいる最中、というのが正確なところである。

史跡公園と薬師堂、並び立つ二つの現在

金堂基壇が整い、中門と回廊の工事が進む遠江国分寺跡は、奈良時代の記憶を土の上に再現しようとする場所である。一方、境内のはずれから新しい敷地へ移った薬師堂は、今も11月最初の日曜日に「おやくさま」で人を集め、四十九薬師霊場を歩く人を迎え、9名の奉賛会員によって支えられ続けている。

史跡公園が指し示すのは古代の国分寺、薬師堂が指し示すのは信仰の現在。同じ敷地の記憶から分かれた二つの流れが、令和の中泉で並び立っている。115名で始まった奉賛会の名簿が9名まで減ってなお、11月の第一日曜には堂の前に人が集まる ── この一点をもって、「国分寺ものがたり」の結びとしたい。

参考資料

  • 国分寺奉賛会 名簿・会務記録
  • 磐田市公式ウェブサイト「遠江国分寺跡整備事業」関連公開情報
  • 国分寺奉賛会『国分寺ものがたり』(小杉達 著、令和4年発行、pp.50-57)

史跡公園の整備状況は磐田市の公開情報に基づく2026年7月時点のものであり、今後の進捗により変わる可能性がある。

家・土地・空き家の整理について相談する

国分寺の千年をたどると、土地には登記簿だけでは分からない来歴が積み重なっていることが分かります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地について、「売る・貸す・残す」の前に一度整理して考えたい方は、富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。