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国分寺ものがたり | 子4

堀越氏延の鰐口 ── 大永2年、見付端城主の寄進

大永2年(1522年)4月27日、見付端城主・堀越氏延は国分寺薬師堂に鰐口を奉納した。銘文に刻まれた名は、廃寺から遠く離れた戦国期にも、薬師堂への信仰が続いていたことを物語っている。

大永2年4月27日、薬師堂に響いた鰐口

国分寺の伽藍が姿を消してから、すでに長い年月が過ぎていた。それでも境内の一角に残った薬師堂には、村の人々の信仰が絶えることなく続いていたらしい。大永2年(1522年)4月27日、見付端城の城主であった堀越氏延が、この薬師堂に鰐口を一つ奉納している。

鰐口とは、社殿やお堂の軒先に吊るされた金属製の仏具で、参拝者が垂れ下がった布縄を振って打ち鳴らし、神仏に自分の来訪を告げるためのものである。見付や境松の寺社を歩くと今も軒先で見かけることがあるが、当時の鰐口は単なる法具ではなく、奉納した人物の名と日付を刻み込む「銘」の器でもあった。堀越氏延が国分寺薬師堂に懸けたこの鰐口も、表と裏に文字が鋳込まれており、500年以上を経た今も、その日の奉納の事実を伝えている。

鰐口銘文が語ること

この鰐口は現在、袋井市篠ケ谷の岩松寺に所蔵されており、静岡県指定文化財となっている。銘文は表裏合わせて4行に分かれ、奉納の場所・日付・大工の名・願主の名までが簡潔に記されている。

原文読み下し・現代語
遠江州豊田郡府中薬師堂 遠江国豊田郡府中(現在の磐田市見付・中泉周辺)の薬師堂であることを示す一文。
大永二天壬午四月廿七日東金谷秀時大工 大永2年(1522年、壬午の年)4月27日、東金谷の秀時という大工がこの鰐口を鋳造したことを記す。
奉懸国分寺御宝前鰐口一掛之事 国分寺の御宝前(本尊の前)に、鰐口一掛けを懸け奉ることを記す。
大旦那源氏延棟梁願主宝秀欽之誌之 大旦那(施主)源氏延、棟梁として願主となった宝秀(堀越氏延の法名)が、謹んでこれを記す。

銘文にある「東金谷」は、現在の島田市金谷の周辺にあたる地名とみられ、鰐口の鋳造を手がけた大工・秀時がその地の職人であったことをうかがわせる。願主として名を記した「宝秀」は、堀越氏延の法名である。俗名と法名を並べて記す形式は、この時代の奉納銘文にしばしば見られるものであり、氏延自身が仏事に深く関わっていたことを示している。

見付端城主・堀越氏延という武将

堀越氏は、遠江今川氏の一族とされる家で、現在の袋井市堀越を拠点としていた。今川氏の本家筋にあたる駿河今川家とは別系統であり、遠江における今川一門として一定の勢力を持っていたとみられる。しかし戦国期に入り、駿河今川本家との緊張が高まる中で攻められ、堀越氏はやがて没落したと伝えられている。

氏延自身は見付端城の城主であった。見付端城は見付台地の東端、国分寺跡にほど近い一帯にあったとされ、中泉・見付を含む府中周辺を押さえる位置にあったと考えられる。武将としての氏延の記録は多くないが、連歌師らとの交流が伝わっており、単なる在地領主にとどまらない文化的な素養を備えた人物であったようだ。大永2年の鰐口奉納も、そうした信仰と教養を併せ持つ氏延の一面を伝える出来事といえる。

本尊・薬師如来坐像との符合

国分寺薬師堂の現在の本尊は、像高106センチメートルの薬師如来坐像である。磐田市教育委員会がこの像に用いられた木材の年代測定を行ったところ、伐採年代は1509年から1530年の間と判明した。これは大永2年(1522年)の鰐口奉納の時期と、ちょうど重なり合う年代である。

この符合から、『国分寺ものがたり』は、堀越氏延が薬師堂そのものを新造あるいは大修理し、新しい本尊と鰐口を同時に整えて奉納したものとみられる、と読んでいる。像と鰐口という別々の資料が同じ時代の窓を指し示していることは、単なる偶然というより、氏延による薬師堂再興という一つの事業を裏づけているとみてよいだろう。ただし、これはあくまで年代の符合から導かれる推定であり、氏延が本尊の造立そのものに直接関わったと記す史料が残っているわけではない。

『国分寺ものがたり』は、この奉納に、廃寺となった古代寺院の記憶を絶やすまいとする氏延の自負が込められていたのではないか、とも読んでいる。真偽を確かめる術は限られているが、少なくとも銘文と本尊の年代が語る事実は動かない。戦国の争乱の中でも、見付・中泉の人々にとって薬師堂への信仰は生き続けていた。

鰐口とは

鰐口は、社寺の軒先や向拝に吊るされる円形扁平の金属製仏具で、参拝者が下がった布縄(鰐口紐)を振って打ち鳴らし、神仏に参拝を告げるために用いる。表面には奉納者の名や年月日、地名などを刻んだ銘文が鋳込まれることが多く、その土地の信仰の記録として残される場合がある。堀越氏延が奉納した国分寺薬師堂の鰐口も、こうした銘文を通じて、大永2年という時代の記憶を今に伝えている。

参考資料

  • 鰐口銘文(岩松寺蔵、静岡県指定文化財、袋井市篠ケ谷)
  • 磐田市教育委員会による国分寺薬師堂本尊・薬師如来坐像の年代測定資料
  • 小杉達『国分寺ものがたり』国分寺奉賛会、令和4年(2022年)発行、26~27頁

本文は上記資料をもとに再構成したものであり、年代や関係性の一部は推定を含む。史実と著者の解釈は本文中で区別して記載している。

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