磐田駅から消えた二つの鉄路 | 子12・会社史
光明電気鉄道の会社史――田中寿三郎の夢と、7年で終わった経営
光明電気鉄道は、一人の男の構想から始まった会社だった。朝鮮で伊藤博文の知遇を得た田中寿三郎が地元に説いて回った鉄道計画は、大正10年の敷設願書、2,200人が株主となった株式募集を経て、大正15年に盛大な起工式を迎える。しかし、開業からわずか数年で経営は行き詰まり、7年ほどで会社は解散に追い込まれた。磐田市歴史文書館の企画展資料をもとに、光明電気鉄道という会社そのものの歩みを整理する。
田中寿三郎の構想と、大正10年の敷設願書
光明電気鉄道の構想を地元に説いて回ったのは、前野村出身の田中寿三郎という人物であったと伝えられる。田中は朝鮮に渡って調査活動をおこなうなかで、当時韓国統監であった伊藤博文に認められたという。満州や朝鮮で鉄道事業が経済発展に大きく関わる様子を目の当たりにした田中は、博文が暗殺されると帰郷し、外地での経験を故郷の発展に活かそうと、地元の指導者たちに鉄道事業を精力的に説いて回ったとされる。
大正10年(1921年)4月7日、内閣総理大臣(原敬)宛に「電気鉄道敷設願」が提出された。発起人代表は小山温、事実上の中心人物として田中寿三郎の名が添えられており、発起人はほかに14人、あわせて15人の名が連ねられている。発起人の多くは東京・神奈川に居住していたと記録される。この時点の計画では、中泉町から光明村までの14哩10鎖(約22.6km)を結ぶ路線とされ、軌間は3呎6吋(1,067mm、東海道線と同規格)、電圧は500ボルトとする起業目論見書が添えられていた。この電圧は、のちに国の電気鉄道に関する規定により1,500ボルトへと変更されている。
免許取得、会社設立、そして名づけられた社名
大正12年(1923年)7月2日、中泉町・光明村間の鉄道免許状が下りた。同年、見付町横町に創立事務所が開かれ、会社としての体裁が整えられていく。中泉町と光明村を結ぶ鉄道であることから、「光明電気鉄道」と名づけられた。
会社要項には、中泉・見付・二俣の市街地を結ぶこと、北遠から天竜川を川下げされる木材などの物資を光明村船明から中泉へ搬出することが掲げられた。動力は水力発電の電気とし、その水を引き込む運河を利用して木材を搬出したうえで、発電後の水は磐南4,000ha(ヘクタール)の耕地を灌漑し、磐田原台地2,000haを開墾するという、鉄道の枠を超えた地域総合開発の構想が描かれていた。大正14年(1925年)9月には、府八幡宮の西側に本社の建物も完成している。
株式募集、そして起工式
工事費用は250万円を目標とし、大正13年(1924年)から株式の募集が始まった。鉄道会社の株券は、10分の1ずつ株金を支払う分割払いが認められており、当初は2,200人の株主が集まったと記録される。株主の分布を見ると、地域内(現在の磐田市域および周辺)の人々が株主数の9割ほどを占めていたとされ、東京・神奈川の発起人が計画の骨格をつくった一方で、実際に資金を出したのは地元の人々が中心であったことがうかがえる。
大正15年(1926年)4月14日、工事が開始されるのを祝って盛大な起工式がおこなわれた。会場は中泉の府八幡宮本社の前や、見付の淡海國玉神社にも及び、大勢の住民が集まって、提灯パレードが賑やかにおこなわれたと伝えられる。地域の期待の大きさを物語る一日であった。
事業の失敗のはじまり
会社の運営には、当初は東京など県外の出資者が多く関わっていたが、大正14年(1925年)にその多くが脱退し、地元の有力者に交代していった。工事請負業者とのトラブルや、蒲田車両からの車両借り受けの失敗、また営業収益の柱として見込んでいた久根鉱山との鉱石運搬契約が得られなくなるなど、様々な問題が発生した。電車が走る前からすでに株主も減少しており、250万円としていた資本金は思うように集まらず、国への申請も150万円に修正されている。
昭和恐慌のなかでの経営不振
工事は着工されたものの、工事費は見込み以上にかかり、昭和3年(1928年)後期だけで442名の株主が減少した。株金は10回の分割払いになっていたため、経営が危うくなると払込みをしない株主が増え、財政的にも危機を深めていった。
昭和4年(1929年)、アメリカに始まった恐慌は世界を巻き込み、翌年、日本は明治以来経験したことのない深刻な経済危機、いわゆる昭和恐慌に見舞われる。未払込金はますます増加し、経費の支払いができなくなっていった。これを立て直すため、富山・新潟から4人の役員を迎え、越後銀行・糸魚川商会から鉄道財団を担保に30万円を借り入れた。しかし、このことが後々問題となり、役員内部の対立も激しくなっていく。また、大正末には見付・中泉に自動車会社が設立され、二俣までの乗合バスも走るようになり、電車の乗客も減少していった。
経営破たん、そして解散
| 年 | 会社としての出来事 |
|---|---|
| 大正10年(1921年)4月7日 | 電気鉄道敷設願を内閣総理大臣宛に提出(発起人15名)。 |
| 大正12年(1923年)7月2日 | 中泉町・光明村間の鉄道免許状取得。見付町横町に創立事務所を開設し、「光明電気鉄道」と命名。 |
| 大正13年(1924年) | 工事費250万円を目標に株式募集開始。当初2,200人の株主が集まる。 |
| 大正14年(1925年)9月 | 府八幡宮西側に本社建物が完成。同年、県外出資者の多くが脱退。 |
| 大正15年(1926年)4月14日 | 起工式。府八幡宮・淡海國玉神社で提灯パレード。 |
| 昭和3年(1928年)11月 | 新中泉・田川間で開業。同年後期だけで442名の株主が減少。 |
| 昭和4年(1929年)〜昭和5年(1930年) | 世界恐慌・昭和恐慌により未払込金が増加。富山・新潟から役員を迎え、越後銀行等から30万円を借入。 |
| 昭和5年(1930年) | 新中泉・二俣町間、19.79kmが全通。 |
| 昭和8年(1933年) | 浜松区裁判所から会社破産の宣告。 |
| 昭和11年(1936年)1月 | 東京電灯会社から電気を止められ、運行を停止。 |
| 昭和14年(1939年) | 会社解散。 |
それでも昭和5年(1930年)、新中泉・二俣間の営業は始まった。しかし昭和8年(1933年)、ついに浜松区裁判所から会社破産の宣告が下される。そして昭和11年(1936年)1月、東京電灯会社から電気を止められ、運行を停止した。昭和14年(1939年)、会社は解散した。大正10年の敷設願書提出から数えれば、およそ18年。会社として実際に電車を走らせていた期間は、全通からわずか6年ほどにとどまる。
会社概要のデータ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 運行距離 | 19.79km(新中泉駅〜二俣町駅)。当初の予定は光明村船明まで22.6km。 |
| レール幅 | 1,067mm(東海道線と同規格)。 |
| 車両 | 昭和3年11月の新中泉・田川間開通時は客車2台。のちに客車2台・貨客車1台(昭和3年7月、蒲田車両製造)となる。 |
| 1日の運行回数 | 1台7往復。 |
| 営業当初の乗客数 | 約13,000〜14,000人/1か月(昭和3年11月〜昭和4年5月の営業報告による、田川まで開通時)。 |
| 駅の数 | 19(当初の予定は21)。プラットホームのみの駅は、二之宮・川原・三ツ入・入下・掛下・上野部の6駅。 |
車両数については、本特集の別稿「光明電気鉄道の夢」では「当初の計画は電車10両・貨車80両、実際の導入は電車3両・貨車4両」との記述を紹介している。これは開業から全通までの期間や、計画段階と実際の導入とで数値が異なる可能性があり、本稿で示した「客車2台・貨客車1台」(磐田市歴史文書館の企画展資料による、昭和3年開通時点の記録)とあわせて、車両数には時期や資料によって差があることを付記しておく。
会社史から見えるもの
光明電気鉄道の構想は、最終的には日本海側まで鉄道をつなげる壮大な構想であったとも言われている。一人の男が朝鮮での経験から地元に持ち帰った夢は、2,200人もの株主を集め、盛大な起工式で祝われるほどの期待を集めた。しかし、蒲田車両とのトラブル、久根鉱山との契約失敗、世界恐慌という時代の巡り合わせが重なり、開業からおよそ数年で経営は行き詰まっていった。
この会社が短命に終わった背景については、バス輸送の普及や三信鉄道の整備といった、より広い時代の転換点から「なぜ鉄路は消えたのか」であらためて扱っている。
参考資料
- 磐田市歴史文書館 第17回企画展「光明電鉄の消長〜大正期前後の地域開発構想〜」パンフレット(平成28年/2016年7月4日〜8月26日)
- 磐田市歴史文書館所蔵資料「中泉村光明村間電気鉄道敷設願」(国立公文書館蔵、大正10年4月7日付)
- 磐田物語「光明電気鉄道の夢――見付と二俣を結ぼうとした高速電車」c054
- 磐田物語「なぜ鉄路は消えたのか――バス、三信鉄道、過剰投資の時代」c058
田中寿三郎の朝鮮での活動の詳細、発起人15名の個々の経歴については、企画展資料に記載された範囲にとどめ、それ以上の推測は行っていない。車両数など一部の数値は、既存記事(c054)の記述と差異があるため、両論を併記した。
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