街道を導いた石 ──
一里塚・道標・供養塔がつくる旧東海道の景観
一里塚 ── 距離を刻んだ、道の目印
徳川幕府は慶長9年(1604年)、街道に一里(約3.9キロメートル)ごとの目印として「一里塚」を築かせた。塚の上には榎や松が植えられ、その木陰は旅人の休息場所となり、駕籠や荷物の料金を計算する目安にもなった。磐田の旧東海道には、二つの一里塚が今も残る。一つは見付の東外れ、愛宕神社の裏山にある「阿多古山(あたごさん)一里塚」で、江戸日本橋から62番目にあたる。道の両側に一対そろって遺存しており、磐田市の指定史跡となっている。もう一つは見付と池田のほぼ中間、豊田地区の「宮之一色一里塚」で、江戸から63番目にあたる。現在の塚は昭和46年(1971年)に復元されたもので、周辺から西へ点在する名残の松並木が、近世街道の景観をわずかに留めている。
火伏せの丘に立つ一里塚 ── 愛宕神社
阿多古山一里塚が立つのは、火防(ひぶせ)の神・愛宕(あたご)神社の裏山である。愛宕神社は、旧東海道筋の突き当たりの小高い丘に鎮座し、古くから地域住民の信仰を集めてきた。急な石段を登った境内からは見付の町並みが一望でき、例年7月には奉納の手筒花火が行われる。花火師が火の粉の降り注ぐ手筒を抱える勇壮なこの神事は、火を防ぐ神への祈りと、火を操る技とが交錯する、遠州らしい祭りである。距離の目印である一里塚が、火伏せの信仰空間と隣り合っていることは、旅の安全を祈る精神的なランドマークとしても、この場所が機能していたことをうかがわせる。
阿多古山一里塚が道の両側に現存する市指定史跡であること、宮之一色一里塚が昭和46年に復元されたこと、愛宕神社が火防の神で手筒花火が奉納されることは、磐田市・観光協会の資料で確認できる。日本橋からの里数(62里・63里)は提供資料に基づく。愛宕山手筒花火は「遠州見付天狗会」により昭和62年(1987年)から続けられている。
道標 ── 寄り道を誘う、石の案内板
街道の分岐点には「道標(みちしるべ)」が立てられた。磐田市三ケ野(みかの)坂上の分岐点には、「従是(これより)鎌田山薬師道」と刻まれた江戸期の道標が建っている。これは、東海道という世俗の物流ルートから、鎌田山薬師堂(医王寺)へと至る参詣の道を指し示すものである。医王寺は、聖武天皇の勅命により行基菩薩が開いたと伝わり、小堀遠州作とされる枯山水庭園を持つ古刹である。旅人が街道の途中で頻繁に寺社参詣の寄り道をしていたことを、この一本の道標が物語っている。時代が下って現代では、旧東海道沿いに「夢舞台・東海道」という統一デザインの標柱が整備された。かつて目的地への実用的な案内だった道標は、今や「江戸時代の空間を追体験するための文化的な道しるべ」へと、その意味を変えている。
供養塔・宝塔 ── 石に刻まれた祈りの古さ
石は、信仰の古さもそのまま留める。見付の磐田物語の別稿(古墳が神社になった土地)でも触れた時宗の寺・西光寺には、静岡県内で唯一確認されている中世の石造宝塔がある。14世紀(南北朝期)の様式を示すこの宝塔は、県内でも極めて古い石塔の一つである。西光寺は文永2年(1265年)の開創と伝わり、一遍上人の教えにより時宗へと改まった古寺で、境内には中泉御殿の表門が移築されていることでも知られる。また豊岡の永安寺には、鎌倉時代後期の石造供養塔が遺存しており、これも静岡県内最古級の石造塔とされる。幕府の御家人に関わると推測されるこの塔は、磐田の中世の信仰の層の深さを、石の姿で今に伝えている。
石が語る、もう一つの磐田
ここまで見てきた一里塚・道標・宝塔・供養塔に加えて、磐田には秋葉常夜灯(別稿で詳述)や、掛塚(竜洋地区)の廻船問屋が伊豆石を用いて築いた石蔵、旧敷地村役場の石造文庫など、石でできた記録が数多く残る。これらは、単独の文化財として一つずつ眺めるよりも、街道・信仰・物流・行政という網の目のなかに置いてこそ、その意味が立ち上がってくる。木の建物が失われても石が残ったからこそ、私たちは今も旧東海道の景観の断片に触れることができる。石造物は、磐田という土地が自らに刻みつけた、消えにくい記憶なのである。
なぜ石は、これほど残るのか
木造の建物は、火災や台風、あるいは老朽化によって、数十年から百年の単位で失われていく。旧東海道の宿場町も、本陣も脇本陣も、その多くは今や標識や礎石を残すのみである。ところが石造物は違う。硬く、燃えず、腐らない石は、いったん刻まれた文字や形を、何百年も保ち続ける。だからこそ石造物は、過去を今に伝える「半永久の記録媒体」になりえた。一里塚の塚、道標に刻まれた行き先、宝塔の様式、供養塔の年号――これらの石は、それ自体が文書であり、地図であり、暦である。文字の記録が失われても、石が残っていれば、その土地がいつ、何を大切にしていたのかを読み取ることができる。街道の石造物を保存することは、未来の誰かに向けて、この土地の履歴書を残しておくことにほかならない。
| 阿多古山一里塚(見付) | 江戸から62里。道の両側に一対現存、市指定史跡。愛宕神社(火防・手筒花火)に隣接 |
|---|---|
| 宮之一色一里塚(豊田) | 江戸から63里。昭和46年復元。周辺に名残の松並木 |
| 鎌田山薬師道道標(三ケ野) | 「従是鎌田山薬師道」。行基開山・枯山水庭園の医王寺への参詣を指す |
| 西光寺の宝塔(見付) | 静岡県内で唯一の中世石造宝塔(14世紀様式)。時宗、文永2年開創 |
| 永安寺の供養塔(豊岡) | 鎌倉後期。静岡県内最古級の石造塔 |
主な参考資料
- 磐田市立図書館「磐田の石造物」、磐田市観光協会・じゃらん等の史跡情報
- 西光寺公式サイト、磐田市指定文化財一覧、TEAM BAKU「三ケ野 七つ道」
- 磐田物語「秋葉常夜灯」「古墳が神社になった土地」「旧東海道と国道1号・県道の主役交代」
本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。日本橋からの里数など提供資料に依拠する数値は、原資料により確認の余地がある。
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