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磐田物語 / 発掘調査報告書から読む磐田の古代
資料論 | 磐田市文化財課・埋蔵文化財センター

発掘調査報告書から読む磐田の古代 ──
一次資料の探し方と読み方

磐田物語で御厨古墳群や新豊院山古墳群について書いてきた記事は、すべて誰かが現地を掘り、記録し、報告書としてまとめた蓄積の上に成り立っている。ここでは個々の古墳の話から離れ、「発掘調査報告書」という一次資料そのものが何であり、どう探し、どう読むべきかを考える。

発掘調査報告書とは何か

発掘調査報告書とは、遺跡の発掘調査で得られた成果を、実測図・写真・出土遺物の一覧・考察とともにまとめた記録である。古墳や集落跡を調査するとき、調査後には遺構がそのまま残らないことも多い。盛土を削って断面を確認したり、石室の内部を開けて副葬品を取り上げたりする作業は、それ自体が遺跡の状態を変えてしまう、いわば一度きりの行為である。だからこそ、調査で確認したことを図面と文章で正確に記録し、後から誰でも参照できる形にまとめておく必要がある。発掘調査報告書は、その意味で、遺跡そのものの身代わりとして残される記録だといえる。

磐田市内の発掘調査報告書は、磐田市埋蔵文化財センターが編集を担い、磐田市教育委員会の名で発行されるという体制がとられている。刊行された報告書の一部は市販されており、磐田市公式ウェブサイトの「文化財関連図書の販売」のページで、発掘調査報告書の案内を見ることができる。御厨古墳群や新豊院山古墳群といった、磐田物語がこれまで取り上げてきた古墳群も、こうした報告書が積み重ねられてきた結果として、規模や出土品、指定年月日を具体的な数値で語れるようになっている。

全国遺跡報告総覧で報告書を探す

かつて発掘調査報告書は、地元の図書館や埋蔵文化財センターに足を運ばなければ閲覧できないことが多い資料だった。この状況を大きく変えたのが「全国遺跡報告総覧」である。これは独立行政法人国立文化財機構・奈良文化財研究所が運用する、全国の埋蔵文化財発掘調査報告書を全文電子化し、インターネット上で検索・閲覧できるようにしたデータベースである。前身となる「全国遺跡資料リポジトリ・プロジェクト」の仕組みを引き継ぐ形で、現在の総覧が運用されている。

このデータベースでは、都道府県・市区町村ごとに、刊行された報告書の一覧を絞り込むことができる。静岡県・磐田市のページを開けば、磐田市内で刊行された発掘調査報告書のタイトル・発行年・シリーズ名を確認できる。あわせて、報告書に掲載された図面や写真などの元データを公開する「文化財データリポジトリ」、報告書本文のテキストを公開する「文化財オンラインライブラリー」という仕組みも整備されている。これにより、現地に出向かなくても、多くの報告書の中身をインターネット経由である程度確認できるようになった。地域史を調べる者にとって、この環境の変化は大きい。かつては郷土史家や研究者だけが到達できた一次資料に、誰もが手元の端末から近づけるようになったのである。

磐田市文化財課・埋蔵文化財センターの役割

磐田市文化財課は、文化財行政の企画調整、史跡等の維持管理、文化財の調査・研究などを担当する部署である。実際に発掘調査を担い、報告書を編むのは、その実働部隊にあたる磐田市埋蔵文化財センターである。センターは磐田市見付3678-1に所在し、電話は0538-32-9699、受付時間は8時30分から17時15分となっている。ここには、これまでの発掘調査で得られた出土品や記録が保管され、報告書の刊行・管理も行われている。

あわせて、磐田市には歴史文書館という施設もある。平成20年(2008年)4月1日、磐田市竜洋支所内に開設された施設で、住所は磐田市岡729-1、電話は0538-66-9112。かつて合併前の旧5市町村(磐田市・豊田町・竜洋町・豊岡村・福田町)が、それぞれの市町村史編さん事業で収集した古文書や写真、行政資料、市町村史、明治期以降の公文書などを収集・保存・公開している。発掘調査報告書が「土の中から出てきたものの記録」だとすれば、歴史文書館が扱うのは「紙に書き残されたものの記録」であり、両者は性格の異なる資料群として、磐田の歴史を異なる角度から支えている。

なお、宅地開発などで土地を掘り返す際には、事前に埋蔵文化財の有無を確認する試掘調査が必要になる場合があることが、磐田市公式サイトの「開発に伴う埋蔵文化財の取り扱い」で案内されている。つまり、発掘調査報告書は過去に一度つくられて終わりの資料ではなく、今この瞬間も、市内のどこかで新しい調査が行われ、報告書が積み増され続けている、生きた記録の体系だといえる。

報告書に基づく解釈と伝承の違い

発掘調査報告書に記載される内容は、測量・実測・出土遺物の記録という、現地調査に基づく一次資料である。これに対して、地名の由来や、被葬者にまつわる言い伝えなどは、後の時代に形成された伝承であり、性格がまったく異なる。例えば、御厨古墳群を構成する秋葉山古墳・稲荷山古墳という名は、後世の秋葉信仰・稲荷信仰にちなむ通称であって、報告書に基づいて定められた学術的な古墳名ではない。こうした通称と、報告書に記載された測量値・出土品リストとを、同じ確からしさの情報として扱うことはできない。

史実と考察の区別
全国遺跡報告総覧の運営主体・機能、磐田市文化財課・埋蔵文化財センター・歴史文書館の所在地や役割は、各公式情報に基づく事実として扱う。一方、「報告書と伝承を分けて読む」という提案は、磐田物語というサイトが記事を書くうえで採用している編集上の姿勢であり、学術的に確立した分類概念ではない。

磐田原台地には500基を超える古墳が分布していたとされるが、そのすべてに詳細な発掘調査報告書があるわけではない。地表からの観察や伝聞に基づいて「古墳らしきもの」として記録されるにとどまり、本格的な調査を経ていない塚も少なくないと考えられる。ある古墳について、規模や年代をどこまで確実に語れるかは、多くの場合、その古墳を対象にした報告書がどれだけ整っているかに左右される。逆にいえば、報告書がない、あるいは簡素な記録しかない古墳については、断定的な数値を掲げることを慎み、「〜と推定される」「〜と伝わる」という留保をともなう書き方をする必要がある。

磐田物語というサイトと一次資料の関係

磐田物語のこれまでの記事は、磐田市公式ウェブサイトの指定文化財情報、しずおか文化財ナビ、Wikipedia、そして背景にある発掘調査報告書の存在を土台に組み立てられてきた。個々の記事の参考資料欄に並ぶ出典の多くは、突き詰めれば、埋蔵文化財センターが編み、文化財課が管理してきた報告書の系譜につながっている。御厨古墳群の松林山古墳が全長何メートルの前方後円墳であるといった具体的な数値も、新豊院山古墳群の2号墳から舶載の三角縁神獣鏡が出土したという記述も、もとをたどれば、現地を掘り、記録した人々の仕事の成果である。

地域史を読み、書くという行為は、こうした一次資料の蓄積に対する敬意を欠いては成り立たない。全国遺跡報告総覧のような仕組みが整備され、報告書へのアクセスが以前より容易になった今こそ、個々の古墳の紹介にとどまらず、その記述を支える資料そのものに目を向ける意味があると考える。気になる古墳や遺跡があれば、まずは全国遺跡報告総覧で磐田市の報告書一覧を検索してみる、あるいは磐田市埋蔵文化財センターに問い合わせてみる。そうした一手間が、地域の歴史をより確かな輪郭で理解する助けになるはずである。

主な参考資料

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。