古代磐田郡・山名郡・豊田郡 ──
遠江国を分けた郡の境界線
遠江国は、三つの國造の領域から生まれた
遠江国(とおとうみのくに)は、7世紀ごろ、遠淡海國造(とおつあわうみのくにのみやつこ)・久努國造(くののくにのみやつこ)・素賀國造(そがのくにのみやつこ)という、それぞれ独立していた豪族の領域が合併して成立したとされる。磐田物語の別稿で扱った遠江国府も、この遠江国という枠組みのなかに置かれた統治拠点である。令制下の遠江国は、浜名・敷智・引佐・麁玉・長田(のちの長上・長下)・磐田・周智・佐益(のちの佐野)・城飼・蓁原という郡から構成される、東海道でも有数の大国だった。
磐田郡 ── 遠淡海國造の治所
磐田郡(いわたぐん)は、遠淡海國造の治所が置かれていたとされる郡である。現在の磐田市域の中核部分は、この磐田郡に属していたと考えられる。「磐田」という郡名そのものが、後世まで市名として受け継がれていることは、この土地における郡としてのまとまりの強さを物語っている。
山名郡 ── 佐益郡から分かれた、隣の郡
磐田郡の隣には、山名郡(やまなぐん)があった。山名郡は、久努國造の治所があったとされる郡で、現在の袋井市域におおむね該当する。養老6年(722年)、それまでの佐益郡(さやぐん、のちの佐野郡)から8つの郷を割いて、新たに設置されたと伝わる。8世紀という比較的早い時期に、郡の再編が行われていたことがわかる。
遠江国の成立経緯、磐田郡・山名郡の位置づけ(治所・分立年)については、公的な情報源等で確認できる。一方、豊田郡がいつ・どのような経緯で分立したのかについては、確度の高い一次情報を今回のWeb調査の範囲では得られておらず、断定を避ける。
豊田郡 ── のちに分立した郡
現在の磐田市豊田地区の名の由来にもなっている豊田郡(とよだぐん)は、磐田郡から分立して成立したと伝わる郡である。ただし、その分立の年代・経緯については、複数の説があり、今回のWeb調査の範囲では確度の高い一次情報を確認できなかった。古代の郡の再編は、こうした細部において、なお研究の余地が残されている領域であることを、正直に記しておきたい。
遠江国、十の郡という枠組み
磐田郡・山名郡・豊田郡以外にも、遠江国には浜名・敷智(ふち)・引佐(いなさ)・麁玉(あらたま)・周智(すち)・佐益(のちの佐野)・城飼(きかふ)・蓁原(はいはら)といった郡があった。浜名郡・敷智郡は現在の浜松市西部、引佐郡は浜松市北部、周智郡は森町・浜松市天竜区方面にあたるとされる。これほど多くの郡を抱える大国であったことは、遠江という国そのものの広さと、当時の人口・生産力の大きさを物語っている。磐田郡は、この十ほどの郡が並び立つ遠江国のなかで、国府・国分寺という中枢施設を擁する、中心的な位置を占めていたのである。
郡の境界線は、今も地名に残っている
律令制そのものは、平安時代の後半にしだいに形骸化していったが、郡という単位そのものは、その後も長く行政区画・地理的なまとまりとして生き続けた。近世の「豊田郡」「磐田郡」という郡名は、明治の郡制廃止まで使われ続け、現在の磐田市の各地区名(見付・中泉・豊田等)にも、その痕跡が刻まれている。古代の郡境がどこにあったのかを正確に地図上に引き直すことは難しいが、地名という手がかりをたどれば、遠江国という大きな枠組みのなかに、いくつもの郡が積み重なっていた古代磐田の姿が、うっすらと見えてくる。
| 遠江国の成立 | 遠淡海國造・久努國造・素賀國造の領域が合併 |
|---|---|
| 磐田郡 | 遠淡海國造の治所。現在の磐田市域の中核部分 |
| 山名郡 | 久努國造の治所。現在の袋井市域。722年に佐益郡から分立 |
| 豊田郡 | 磐田郡から分立と伝わるが、分立年代は確度の高い情報を確認できず |
主な参考資料
- Wikipedia「遠江国」「磐田郡」「山名郡」「豊田郡(静岡県)」
- 磐田物語「磐田の地名をたどる」「遠江国府はどこにあったのか」
本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。豊田郡の分立年代等、確度の高い情報を今回のWeb調査では確認できなかった点は、本文中で明記している。
あわせて読みたい
この地域の家・土地・空き家について
古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。
相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。