失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
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LOCAL HISTORY | 寺谷・発掘調査の記録

寺谷遺跡第3次調査の経過
── 発掘区・層位・調査方法を読む

寺谷遺跡第3次発掘調査は、いつ、どこで、どのように行われたのか。ここでは、第1次・第2次からの流れ、二つの期間に分けて進められた調査、道路の敷地を中心とした発掘区、そして掘り下げていくなかで確認された土の層(層位)を、『寺谷遺跡第3次発掘調査概報』(磐田市教育委員会、昭和53年〈1978年〉3月)をもとに整理する。図面や写真の細部には判読の難しいところがあり、断定を避けて読み進めたい。
本ページは公開資料をもとに磐田物語が独自に整理したものであり、行政・研究機関の公式ページではない。日付・土層名などは概報の記載を軸としているが、スキャン資料からの読み取りには限界があり、判読・確認を要する箇所は「[要確認]」と記した。土層の呼び名や区分は資料に合わせ、迷う箇所は「資料では〜と記されている」「〜と読める」という書き方にとどめている。

第3次調査に至るまで

「第3次」という言い方が示すように、寺谷遺跡の発掘は一度きりではなかった。第3次調査は、それ以前に行われた第1次・第2次の調査成果を受けて実施されたものである。同じ遺跡を回を重ねて掘るのは、一度の調査ですべてが分かるわけではないからである。前の調査で見えてきた課題や、まだ確かめきれなかった範囲を、次の調査で補っていく。寺谷遺跡の記録も、そうした積み重ねのうえにある。

発掘調査は、多くの場合、道路の建設や土地の改変といった開発にともなって行われる。地面が失われる前に、そこに眠る遺構や遺物を記録しておく。第3次調査でも、道路の敷地が調査の中心になっていることから、そうした背景がうかがえる。掘って終わりではなく、記録して残すことが、発掘調査の目的である。

調査期間と調査体制

第1期
昭和52年(1977年)8月10日〜9月2日[要確認]
第2期
昭和52年(1977年)11月18日〜12月7日[要確認]
調査主体
磐田市教育委員会
概報の発行
昭和53年(1978年)3月

概報からは、第3次調査が二つの期間に分けて行われたと読める。第1期は昭和52年(1977年)の夏、8月10日から9月2日まで。第2期は同じ年の晩秋、11月18日から12月7日まで。夏と秋という季節をまたいだ調査であり、それぞれの時期に発掘区を掘り進めていったことになる。日付の細部は判読を要するため[要確認]としておくが、二期構成であること自体は、調査が計画的に段階を追って進められたことを示している。

発掘調査は、掘る人、記録する人、図面を引く人、写真を撮る人など、多くの手が関わって成り立つ。概報に作業の写真が載っているのは、そうした現場の営みを記録として残すためである。翌年の3月に概報がまとめられていることからも、調査から報告までが一つの流れとして進められたことがうかがえる。

発掘区の設定

発掘区は、道路の敷地と、その南側の部分を中心に設定されていると読める。遺跡のどこを掘るかは、限られた期間と範囲のなかで決めなければならない。道路がつくられる場所は、いずれ地面が失われてしまう。だからこそ、その部分を優先して発掘区に設定し、記録を残そうとしたと考えられる。

概報には、地形の測量図や発掘区の図が掲載されている。これらの図からは、遺跡の中心となる部分、実際に掘った調査区の位置、そして地形の傾斜の向きなどを読み取ることができる。台地の南縁にあたる寺谷では、土地はまっすぐ平らではなく、低地へ向かってゆるやかに傾いている。発掘区の設定にも、その傾斜がかかわっていたと見てよい。

層位から見える土地の成り立ち

発掘調査でとりわけ大切なのが、土の層――層位である。地面を掘り下げていくと、色や質の違う土が、上から下へと重なっているのが見える。上の層ほど新しく、下の層ほど古い。どの層から遺構や遺物が出てくるかによって、それがいつごろのものかを考える手がかりになる。

寺谷遺跡の概報では、褐色土、黄褐色土、黒色土といった層が確認されていると読める。それぞれの層は、土地がどのように積もり、変化してきたかを映している。おおまかに整理すると、次のような重なりとして読める。

ここに示したのは、あくまで概報の記述から読み取れる範囲を、順序としておおまかに並べた模式である。実際の層の厚さや境目、層ごとの正確な性格は、資料や専門的な検討が必要な部分が多い。土層の呼び名は資料に合わせているが、色の濃淡や区分の細部は[要確認]としておきたい。それでも、色の違う土が積み重なり、その特定の層から石器群や礫群が出てくるという事実は、寺谷という土地が長い時間をかけて積もってきたことを、静かに伝えている。

調査図面を読むときの注意点

概報には、地形測量図、発掘区図、土層の断面図や写真などが掲載されている。これらは、発掘という一度きりの行為を、あとから検証できる形で残すための記録である。ただし、スキャンされた古い資料から図面を読み取るときには、いくつか気をつけたいことがある。

まず、図の細かな数値や記号は、印刷やスキャンの状態によって読み取りにくい。方位や縮尺を取り違えると、位置関係の理解を誤ってしまう。次に、土層の色や境目は、写真では実際より曖昧に見えることがある。だからこそ、磐田物語では図版・写真をそのまま転載せず、文章で説明することを基本にした。断定を避け、「資料では〜と読める」という書き方を重ねているのも、こうした読み取りの限界をふまえてのことである。発掘の記録は、正確に受け止めてこそ、次の理解につながっていく。

色の違う土が積み重なり、その特定の層から石が出てくる。層位を読むとは、土地が積もってきた時間そのものを読むことでもある。 ── 寺谷遺跡の調査記録を読んで

参考資料

  • 磐田市教育委員会『静岡県磐田市 寺谷遺跡第3次発掘調査概報』昭和53年(1978年)3月。

本ページは上記資料をもとに、磐田物語編集部が地名・地形・地域史の観点から再構成したものである。資料本文の丸写しではなく、図版・写真の転載も行っていない。日付・土層名などはスキャン資料からの読み取りに限界があり、判読に迷う箇所は「[要確認]」と記している。誤りにお気づきの場合は掲示板からお知らせいただきたい。

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