LOCAL HISTORY | 寺谷・磐田原台地の考古
寺谷遺跡第3次発掘調査とは
── 磐田原台地に残された先土器時代の痕跡
寺谷遺跡と第3次調査
寺谷遺跡は、磐田市寺谷に所在する。天竜川が平野へ出ていく下流域の左岸にあたり、磐田原台地が南の低地へ落ちていく縁の部分に立地している。台地の上と下がぶつかる境目は、水の得やすさと見晴らしを兼ね備えた土地で、人が古くから足を止めやすい場所であった。寺谷遺跡も、そうした台地南縁の一角で見つかった遺跡である。
第3次発掘調査は、それ以前に行われた第1次・第2次の調査を受けて実施された。概報によれば、調査は昭和52年(1977年)8月10日から9月2日まで、および同年11月18日から12月7日までの二つの期間に分けて進められたと読める。発掘区は、道路の敷地とその南側の部分を中心に設定されている。土を掘り下げていく過程で、石を集めたような礫群や、石を並べた配石、土坑状のくぼみ、そしてナイフ形石器や細石核といった石器群、さらに縄文式土器の破片が記録された。
注意したいのは、これらが「暮らしの跡」とひと言で言い切れるほど単純ではないことである。概報の記述にも、遺構や遺物の性格を慎重に扱う姿勢がうかがえる。磐田物語でも、発掘の記録から読み取れる範囲を大切にし、そこから先の物語化には踏み込みすぎないようにした。
よりどころにした資料
- 資料名
- 静岡県磐田市 寺谷遺跡第3次発掘調査概報
- 発行
- 磐田市教育委員会
- 発行時期
- 昭和53年(1978年)3月
- 調査時期
- 昭和52年(1977年)8月10日〜9月2日/11月18日〜12月7日[要確認]
- 所在
- 静岡県磐田市寺谷(磐田原台地南縁・天竜川下流域左岸)
- 主な内容
- 石器群・礫群・配石・土坑状遺構、ナイフ形石器・細石核・剥片・石核、縄文式土器
概報は、10ページほどのスキャン資料として残っている。図版や写真が中心で、本文のまとまった量は多くない。磐田物語では、この資料を丸写しにするのではなく、掲載された図や記述から読み取れる事実を軸にしながら、磐田の地形・地名・地域史の文脈に置き直して整理した。図版・写真の転載はせず、必要な図は現代地図をもとにした自作の模式図に置き換えている。
なぜ磐田で大切な遺跡なのか
磐田の歴史というと、東海道の宿場町であった見付や、国分寺・国府が置かれた中泉のあたり、あるいは古墳が集まる台地上の景観がまず思い浮かぶ。しかし、それよりもはるかに古い時代――土器がまだ現れる前の先土器時代(旧石器時代)や、その後の縄文期の痕跡も、この土地には残っている。寺谷遺跡は、その古い層の記憶を今に伝える手がかりのひとつである。
磐田原台地は、天竜川が長い時間をかけて運んだ砂礫が積み重なり、その後に周囲が削られて残った台地である。水はけがよく、見晴らしのきくその地形は、狩りや採集を中心にした人びとが移動しながら暮らした時代にも、活動の場になりやすかったと考えられている。台地の南縁に位置する寺谷遺跡で石器群が見つかったことは、磐田原台地を先土器時代から人が利用していたことを考えるうえで、無視できない資料といえる。
ただし、「日本最古」「決定的な発見」といった大げさな言い方は、この資料にはふさわしくない。概報が記録しているのは、あくまで一つの発掘区で確認された遺構と遺物である。そこから磐田原台地全体の姿を組み立てるには、周辺の遺跡や、その後の研究とあわせて読む必要がある。寺谷遺跡は、そうした地道な積み重ねの一枚として位置づけたい。
四つの詳細ページへ
寺谷遺跡第3次発掘調査については、内容を四つの詳細ページに分けて整理した。それぞれ、位置と環境、調査の経過、見つかった遺構、出土遺物という切り口で読むことができる。
寺谷遺跡の位置と環境
天竜川下流域と磐田原台地南縁の地形
寺谷遺跡がどんな地形の上にあるのかを、天竜川と磐田原台地の関係から読む。周辺の遺跡群のなかに置いて見ることの大切さも整理する。
第3次調査の経過と発掘区
発掘区・層位・調査方法
第1次・第2次からの流れ、二期に分けて行われた調査、道路敷を中心とする発掘区、そして褐色土・黄褐色土などの層位から土地の成り立ちを読む。
寺谷遺跡で見つかった遺構
礫群・配石・土坑状遺構
石を集めた礫群、石を並べた配石、土坑状のくぼみ。発掘写真や実測図から読み取れる現場の様子と、性格をめぐる慎重な読み方を整理する。
寺谷遺跡の出土遺物と調査成果
ナイフ形石器・細石核・縄文土器
ナイフ形石器や細石核、剥片・石核といった石器群と、縄文式土器の破片。個々の名前の羅列で終わらせず、磐田の地域史の中での意味を考える。
参考資料
- 磐田市教育委員会『静岡県磐田市 寺谷遺跡第3次発掘調査概報』昭和53年(1978年)3月。
本ページは上記資料をもとに、磐田物語編集部が地名・地形・地域史の観点から再構成したものである。資料本文の丸写しではなく、図版・写真の転載も行っていない。年代観・遺構観には研究上の議論があり、判読に迷う箇所は「[要確認]」と記している。誤りにお気づきの場合は掲示板からお知らせいただきたい。
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