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見付|学術特集『東海道遠州見付宿』を読む(34)

見付宿の職業分布 ── 448軒の町場経済

旅籠だけではない。農業、商業、職人、医師、兼業を448軒の書上から町ごとに読む。

天保13年(1842年)の見付宿職業分布は、宿内448軒におよそ71種の職業を数える。商業約269軒、農業約123軒、工業約41軒という同書の集計は、見付が旅人を泊めるだけでなく、食料・衣類・道具・運送を供給する消費都市であったことを示す。ただし一軒が複数の商売を兼ね、無職の分類も含むため、現代の就業統計とは違う。

本稿の要点
  • 同書は宿内448軒、約71種の職業を集計し、商業が約6割、農業が約3割弱、工業が約1割と読む。
  • 旅籠は馬場町・東坂・西坂、茶屋は西坂、醸造・薬種などは東坂にまとまりが見える。
  • 米屋・荒物屋・足袋屋・薬種屋・質屋・職人など、旅人と周辺農村の双方を相手にした。
  • 家単位・兼業を含むため、人数比や所得比へ読み替えてはならない。

448軒をどう数えたか

同書188頁は天保14年(1843年)の書上帳と天保13年の軒別絵図を用い、見付宿448軒の職業を分類する。農業123軒余、工業41軒、商業269軒余、医師3軒、無職4軒などを掲げ、商業が全体の約6割を占めるとする。分類数は約71種に及ぶ。

ただし表は家単位であり、一人一職の人口統計ではない。旅籠と酒造、問屋役と質商、農業と荒物屋のような兼業がある。同書自身、富裕な家ほど複数の営業を兼ねたと記す。分類値の合計と総戸数にわずかな差が見えるのも、兼業・無職・判読・分類方法の影響と考えられる。割合は町の性格をつかむ目安であり、厳密な就業者率ではない。

大分類同書の概数宿場での役割
商業約269軒(約6割)旅籠、茶屋、米・酒・味噌・醤油、衣料、荒物、薬、質、運送
農業約123軒(3割弱)宿周縁の耕作。旅籠・町場への食料供給とも結ぶ
工業・職人約41軒(約1割)鍛冶、桶、指物、瓦、大工、左官、畳、染織など
医師・無職等少数専門職、役人、家単位で職業を記さない層

宿場は旅人を消費者として抱える。旅籠と茶屋のほか、米屋、荒物屋、古手屋、足袋屋、薬種屋、菓子屋、餅屋、酒造、醤油・味噌、質屋、髪結、湯屋が必要になる。同時に周辺農村の農民も、日用品を買い、農産物を売るため見付へ来た。見付は街道交通の消費と後背地の市場が重なる町であった。

町ごとに違う商い。 分布図では、旅籠が馬場町を中心に東坂・西坂へ連なり、西坂には茶屋が目立つ。東坂には醸造、薬種、質などの営業がまとまり、境松・三本松には街道出入口にふさわしい小商いが見える。同書は、桶屋・指物屋・経師屋などの職人が東坂・西坂に集まる様子も指摘する。

この配置は固定的な商業地図ではない。図は天保13年頃の一時点で、文久2年の図には旅籠の増減がある。店の転業・廃業・兼業も多い。家の位置を現代地番へ置き換えるには地籍史料が必要であり、本稿は町ごとの傾向にとどめる。宿内の町名と戸口は見付宿のすがたと戸口、問屋場の位置は問屋場はどこにあったかを参照されたい。

旅籠を支えた供給網。 旅籠が多ければ、米、味噌、醤油、酒、薪、炭、寝具、桶、履物、馬具、薬が動く。見付の職業分布は、宿泊業を中心にした供給網が宿内に形成されたことを示す。馬場町に旅籠が集中し、その周囲に米屋・荒物屋・足袋屋・薬種屋・質屋などが並ぶのは偶然ではない。

さらに中川の舟運が水路で福田浜へつながり、遠州米や穀物が江戸方面へ運ばれたと同書は記す。街道の東西交通だけでなく、見付から海へ出る南北の物流も町の商業を支えた。もっとも、掲載された中川舟運の書上は後天保年間の職業表と同時点ではない。二つを直結させず、近世後期に水陸の流通が重なった可能性として位置づける。

兼業と組合

問屋・宿役人・年寄・組頭などの役を持つ家が、質屋、酒造、薬種、荒物、旅籠を兼ねる例があった。同業者は利益保護のため仲間を組織し、旅籠屋仲間、酒食商人仲間、質屋仲間などが規約や上納を通じて営業を調整した。幕府統制の下にありながら、商人側も仲間で秩序を作ったのである。

一方、宿内の農業123軒余は、街道沿いの商いだけで町が完結しなかったことを示す。裏手の耕地、水田、畑は家々の生計と食料供給を支えた。宿の仕事と農作業を同じ家が担うこともあったと考えられるが、兼業の具体的時間配分は帳簿からは分からない。

本稿の立場。 職業分布表は、見付を「宿場町」という一語から解きほぐす強い資料である。しかし家単位の分類を人口や所得へ読み替え、商業269軒だから住民の6割が商人だったと断定することはできない。無職と書かれた家にも家事・奉公・内職があり、女性や子どもの労働は戸主の職業名に隠れる。

本稿は、448軒を町場機能の配置として読む。旅籠を核に、食料、衣料、道具、金融、運送、職人、農業が重なった。その複合こそ、見付宿を一夜の宿ではなく、周辺地域の市場と生産を抱える町にした。数表の空白や兼業を消さずに残すことが、当時の働き方を過度に単純化しないための条件である。

職業名と実際の仕事。 書上帳の職業名は、家を代表する一つの看板である。戸主が「米屋」と書かれていても、家族が農作業、炊事、運搬、内職を担い、奉公人が店を支えた可能性がある。女性・子ども・雇人の仕事は、戸主の職名の内側に隠れる。したがって448軒の表は、労働者448人の表ではない。

「無職」とされた家も、収入がなかったとは限らない。隠居、家賃・利子収入、季節労働、記載対象外の家事労働があり得る。逆に一軒に複数の職が付く場合は、合計が戸数を超える。分類の端を確認することが、割合を読む前提である。

旅人向けと住民向け。 足袋、草履、薬、菓子、酒、茶、湯屋は旅人の需要と結びつきやすい。鍛冶、桶、瓦、大工、左官、畳は家屋・厩・道具の維持を支える。米、味噌、醤油、荒物、質屋は旅人だけでなく宿内住民と周辺農村も利用した。職業を「観光客向け」と「地元向け」に完全には分けられない。

見付は通過客の消費で動く町であると同時に、日常生活を営む千軒規模の町でもあった。旅人が途絶える日にも食料、修理、金融、医療は必要である。職業分布の厚みは、宿場が交通需要だけに依存せず、周辺地域の中心町として機能したことを示す。

物流の結節点。 東海道は東西の人と荷を運び、中川舟運は福田方面の水路へつながった。同書198〜200頁は、穀物や地域物産が水路を通じて運ばれた記録を紹介する。街道沿いの商家は、店頭販売だけでなく、集荷、保管、発送、金融を組み合わせた可能性がある。

問屋場の伝馬継立と商人の物流は同じではない。前者は公用交通の制度、後者は商品取引である。しかし馬、人足、倉、秤、帳簿、信用といった基盤は町の中で接近する。見付宿の交通史を経済史へ広げるには、旅籠屋の分布だけでなく、問屋場・河岸・商家の帳簿を横断する必要がある。

町別比較の可能性。 東坂、馬場、西坂、三本松、横町、境松という町ごとの職業構成を比べれば、本陣・問屋場に近い中心部、旅籠が集中する区間、農地に近い周縁という機能差を検討できる。今回の複写では職業別一覧表の細字に判読困難な箇所があり、すべての町別数値を再集計することは避けた。

次の段階では、図を高解像度で再撮影し、職種名・軒数・町名を行列データへ転記する。合計448との照合、兼業の重複処理、判読不能符号の保留を行えば、町別の集中度を可視化できる。いまは同書本文が明示する大分類と分布傾向だけを採用する。

農業123軒の意味。 商業の町という印象のなかで、農業が3割弱を占めることは軽くない。街道の裏手には耕地が広がり、家々は商いと農業を組み合わせた。旅籠へ米・野菜・薪を供給する近距離の生産は、遠方からの流通とは別に宿の毎日を支えた。

助郷村の負担は宿外農村の人馬供給であり、宿内農家の農業とは区別すべきである。それでも両者は農繁期、人馬、飼料、食料の面で接していた。宿場経済は町と村を切り離すのではなく、交通の都合に合わせて両方の労働を組み込む仕組みであった。

  • 『東海道遠州見付宿』186〜201頁を全頁画像照合し、新規公開。

参考資料

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