失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

MITSUKE · PRINTED ADVERTISEMENTS

見付の引札

明治の商店・図柄・版元を、一枚の広告から読む

大黒や恵比寿、美人、子ども、歴史上の人物。色鮮やかな絵の余白に、見付の商店名と扱う品が刷り込まれている。引札は、客を呼ぶ広告であると同時に、明治の町で誰が何を商い、誰がその紙を刷ったのかを残す史料である。

地域:見付時代:江戸後期~昭和初期分野:商業史・印刷史公開:2026年8月5日

引札(ひきふだ)は、現代の言葉に置き換えれば広告チラシに近い。しかし、紙面を見れば、ただ商品の名と値段を告げるだけのものではなかったことが分かる。正月を祝う絵、暮らしに役立つ暦、店の信用を示す屋号、そして印刷を担った版元の名。一枚の紙が、広告、贈答、実用品、室内を飾る絵という複数の役目を重ねていた。

磐田市教育委員会文化財課が2015年10月18日に作成した「東海道見付宿 ~見付の引き札~」と、商店名・町名・業種・図柄・作画期・版元を整理した一覧、見付宿内の配置図を読み合わせると、引札は見付の近代商業を店ごとの名でたどれる史料群であることが見えてくる。本稿では、現在公開されている佐口行正氏所蔵史料目録も照合し、引札から確認できる事実と、一枚だけでは分からない事柄を分けて読む。

106現行公開目録で「引札」に分類される資料
51うち明治期と分類される資料
105画像を閲覧できる資料

集計について:数値は2026年8月5日に確認した佐口行正氏所蔵史料の公開目録による。「引札」分類には新聞付録や一覧表などを含むため、2015年資料の番号72までの旧一覧とは収録範囲が一致しない。点数を単純に増減として比べることはできない。

引札とは何か

添付された文化財課資料は、引札を「商店が客に配る広告の刷り物」として説明する。江戸末期には関東で「引き札」、関西で「チラシ」と呼ばれ、大正から昭和初期にかけて「チラシ」という言葉が広く使われるようになったという。呼び名も形も一つではなく、摺物、絵びら、錦絵広告、正月用引札、暦入りの引札など、多様な系譜が重なっている。

なかでも正月用引札は、年の変わり目に商店が顧客へ配る色刷りの広告であった。恵比寿・大黒のような福の神、牛若丸や小野道風などの人物、母子や美人、季節の風俗が描かれ、店名や取扱品が入る。絵の部分をあらかじめ多く刷り、文字の部分だけを店ごとに替える「名入れ」の方法を採れば、一つの図柄を各地の商店が利用できた。現在の印刷済み広告テンプレートに店名だけを入れる仕組みに近い。

ただし、豪華な図柄がその店の実際の繁盛を証明するわけではない。引札は、店が客に見せたい姿をつくる宣伝物である。史料として確実なのは、そこに店名、品名、年紀、版元名が記されていることであり、売上、客数、配布枚数までは別の帳簿や記録を照合しなければ分からない。この点は、既存論考「佐口史料の紙片を読む」が示した史料批判を引き継ぐ必要がある。

江戸の摺物から、明治の正月引札へ

文化財課資料は、引札の展開を江戸の摺物・絵びらから、明治の正月引札、さらにポスターやカレンダー、日めくり暦へ続く流れとして整理している。以下は、その説明を年代順に組み直したものである。個々の見付の引札が、すべて同じ時期に同じ経路で作られたことを意味するものではない。

江戸時代

摺物や絵びら、錦絵広告など、一枚刷りの広告が商いに用いられる。資料は延宝元年(1673年)の越後屋の広告を早い例として挙げ、宝永年間(1704~1709年)ごろから配布が広がり、文化・文政年間(1804~1829年)ごろに定着したと説明する。

明治初期

錦絵の需要が次第に後退するなか、版元や絵師が正月用引札の制作に加わる。多色刷りの絵に店名を入れ、年末年始に配る形式が広がる。

明治20年代以降

木版に加えて石版、活版、銅版などが用いられる。文化財課資料は、大阪の版元が全国へ引札を供給し、明治末には大量販売へ進んだと述べる。一方、見付の史料には古島竹次郎・古島德次郎・中遠日進社など地域の刷元名も残る。

大正~昭和初期

正月引札は、実用品を配る商店サービスや日めくり暦へ役目を移していく。公開目録にも大正期4件、昭和期2件が分類され、引札文化の末端をたどることができる。

店名・年紀・刷元が同じ紙に残る

引札の強みは、広告を出した店と、それを印刷した側の名が一枚に並ぶ点にある。公開目録で発行・印刷者の記載がある引札は54件で、表記をまとめると「古島竹次郎」を含むものが14件、「古島徳次郎」または「古島德次郎」を含むものが7件、「中遠日進社」を含むものが3件確認できる。これは現存・公開されている資料の集計であり、当時の受注量や市場占有率そのものではない。それでも、見付・中泉の商店と印刷を結ぶ担い手の名が繰り返し現れることは確かである。

目録店・名義年紀印刷・発行者資料から読めること
hk-2久野米吉明治34年7月10日印刷
8月30日発行
古島竹次郎印刷日と発行日を分けて記す
hk-3内山栄吉明治42年7月10日印刷
8月30日発行
古島德次郎同じ日程で刷られた別年の引札
hk-7大川屋魚店明治39年7月10日印刷
8月30日発行
古島竹次郎日常の食を扱う店も色刷り広告を用いた
hk-12三はのや源三郎明治25年7月25日印刷
9月15日発行
古島竹次郎明治20年代の名入れ引札
hk-33松風屋熊太郎明治25年11月11日印刷
11月13日出版
太田作次郎52×39.3cmの引札暦。実用と宣伝を重ねる
hk-54中泉運送株式会社年紀未確認中遠日進社小売だけでなく運送業にも広告が及ぶ

図版について:掲載資料は佐口行正氏所蔵史料であり、所蔵者のご厚意と許可により磐田物語で公開されている。画像の無断転載・二次利用はできない。各画像から確認できるのは紙面の記載であり、実際の配布枚数や商況は確認できない。

図柄は「店の現実」より「客に見せたい世界」を描く

文化財課資料は、正月引札に用いられた図柄をいくつかの型に整理する。恵比寿と大黒のように財貨と福を願うもの、牛若丸や弁慶、小野道風など歴史・物語上の人物を描くもの、母と娘や子どもを描き、背景へ世相や風俗を織り込むもの。見付の旧一覧にも、大黒、恵比寿、美人、子ども、鶴亀、松、福助などの語が並ぶ。

これらの絵は、店頭の実景を写した写真ではない。魚店の引札に華やかな人物が描かれていても、その人物が店にいたことを示すわけではない。図柄は、福、豊かさ、親しみ、流行、教養を客に印象づけるための表現である。むしろ重要なのは、見付の商店がどのような幸福像を広告へ託し、客が一年飾ってもよいと感じる紙面を選んだかという点にある。

同じ図柄へ異なる店名を入れられる名入れ方式では、図像と店の実態の距離はいっそう大きくなる。一方で、余白に刷られた店名、屋号、業種、住所、年紀は個別の商店に結びつく。引札を読むときは、共通図柄の層と、店ごとに加えられた文字の層を分ける必要がある。

見付宿内配置図が示す、商いの広がり

添付資料の「見付宿引き札配置図」は、引札に現れる商店を旧東海道と小路の上へ落としている。河原町、西坂町、馬場町、宿町、東坂町、富士見町と、本通りに沿って商店名が続き、田端道、寺小路、権現小路などの脇道にも点が伸びる。見付の商いが一つの市場建物へ集約されるのではなく、宿場の長い町並みと小路の接続部に連なっていた様子を読むための手掛かりになる。

本通りの連続

東西に延びる旧東海道沿いへ商店名が重なり、宿場の交通軸と日常の買い物の軸が同じ道に重なっていた可能性を示す。

小路への広がり

脇道にも店が見え、商いが表通りだけで完結せず、寺社・学校・住宅地へ続く生活動線と結びついていた可能性を示す。

ただし、この配置図は同じ年の商店を一斉に記録した営業地図ではない。異なる作画期の引札、明治42年の戸別明細図、平成6年の宿屋調べなど、複数の資料を参照して構成された図である。したがって、図上の全店舗が同時に営業していたとは断定できない。ここで読めるのは、複数時点の記録を重ねたときに、商店の記憶がどの範囲へ分布するかである。

見付本通りの商店が後にどのように姿を変えたかは、既存記事「見付本通りから消えた店を読む」へつながる。引札は、消えた店を懐かしむだけの資料ではなく、店が現役だった時期の名乗りと広告表現を残す。

木版・石版・活版・銅版 ── 印刷技法の違い

文化財課資料は、見付の一覧を彩色石版、石版、木版、活版などに分け、別に印刷技法の説明を置いている。実物を技法別に見比べると、引札が一つの時代・一つの技術だけで作られた媒体ではないことが分かる。

技法特徴引札での見え方読む際の注意
木版版木を彫り、紙へ摺る。多色刷りは複数の版を重ねる。絵師・彫師・摺師の分業を要し、線と色面に木版らしい表情が出る。見た目だけで木版と断定せず、目録の分類を確認する。
石版石版石の表面へ描画し、油と水の反発を利用して刷る。明治期の色刷り広告で広く用いられ、写実的な人物や階調を表しやすい。「彩色石版」の分類は目録作成者の判定を含む。
活版活字を組み、文字情報を効率よく印刷する。新聞、広告、定価表、時刻表など文字中心の一枚刷りに向く。絵入り引札と同じ「引札」分類に含まれる資料もある。
銅版銅板へ図を刻み、凹部のインクを紙へ移す。細い線を用いる商工案内や図版に適した。添付資料の一般説明であり、各資料の技法は個別確認が必要。

技法の違いは、単なる美術上の分類ではない。制作費、納期、刷れる枚数、店名を入れ替える仕組みに関わる。画家・彫師・摺師の共同作業を要する多色木版は費用がかかる一方、名入れ方式や石版・活版の普及は、地域の商店が印刷広告を利用できる範囲を広げたと考えられる。ただし、個々の注文価格や刷り部数は、今回の資料からは確認できない。

引札から分かること、分からないこと

引札は、広告であるために偏っている。店は扱う品を魅力的に見せ、図柄は福と豊かさを演出する。残った紙も偶然の結果であり、現存点数が当時の配布量をそのまま表すわけではない。それでも、複数の引札を店名、年紀、版元、図柄、位置で突き合わせると、一枚では届かなかった町の輪郭が現れる。

  • 確認できる:紙面に記された店名、屋号、取扱品、年紀、印刷・発行者、図柄、寸法。
  • 推定できる:商店と版元のつながり、広告に選ばれた幸福像、旧東海道と小路に沿う商業分布。
  • 一枚では分からない:刷り部数、配布範囲、客層、売上、店の繁盛、営業の開始・終了年。
  • 追加照合が必要:同じ店の別年の引札、戸別明細図、商工名鑑、帳簿、新聞広告、聞き取り記録。

公開目録では引札106件のうち49件が年代不明であり、発行・印刷者の記載がないものも多い。この空白を推測で埋めず、「紙面に記載がない」のか、「現在の調査で確認できていない」のかを分けておく必要がある。2015年の文化財課資料は、引札の種類と歴史を知るための二次資料であり、各引札そのものは一次史料である。両者を行き来することで、一般的な説明を見付の具体的な店名へ結びつけることができる。

佐口行正氏が守り伝えた紙片は、豪華なものだけではない。年紀のない一枚、文字だけの広告、一覧表、新聞の付録も含まれる。捨てられやすい紙が残ったからこそ、見付の商いを、制度や建物ではなく、店を営んだ人の名から読むことができる。佐口行正氏所蔵史料の全体像見付宿の歴史とあわせて見ると、街道の町が近代の商店街へ移る途中に、引札という色刷りの広告があったことが分かる。

参考資料

  1. 磐田市教育委員会文化財課「東海道見付宿 ~見付の引き札~」2015年10月18日。引札の概要・歴史・種別・印刷技法・一覧・配置図。
  2. 「引き札(彩色)見附」「引き札(暦)」「チラシ(木版・活版)」一覧、および「見付宿引き札配置図」。作成者・作成年の記載は今回確認した写しの範囲では判然としない。
  3. 佐口行正氏所蔵史料 目録(2026年8月5日閲覧)。引札分類106件、画像105件。
  4. 「佐口行正氏所蔵史料 ── 紙片が伝える見付のまちの記憶」磐田物語。
  5. 「佐口史料の紙片を読む ── 一枚の引札・絵葉書が伝える見付」大石浩之の磐田論考。

更新履歴

  •  磐田市教育委員会文化財課資料2件と佐口行正氏所蔵史料の公開目録に基づき新規公開。

この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。

この地域の家・土地・空き家について

古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。