失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語ブログ / 掛塚まつりの日程2026

掛塚まつりの日程2026 ──
磐田論考でたどる湊町の記録

机の上に置かれた和綴じの郷土資料、虫眼鏡、横笛、太鼓の撥、竹を束ねたササラ、秋の落ち葉を真上から見た生成イメージ
記事内容をもとに生成したイメージです。実在の祭り・場所・人物を撮影したものではありません。

この記事は、磐田市が公表した掛塚まつりの日程を入口にして、磐田物語の既存ページに書かれている掛塚の祭りの記録へ案内するためのものである。掛塚まつりについて、新しい史実をここで述べることはしない。祭りの中身はすべて既存ページの要約と、そのページへの入口に留めた。日程・文化財の指定情報は、末尾に挙げた磐田市および静岡県の公表資料により2026年8月30日に確認した。

「掛塚まつり、今年はいつやるんだろう。子どもを連れて一度見に行きたい」

磐田市の観光イベント年間予定によれば、掛塚まつりは10月17日・18日、会場は貴船神社周辺とされている。同じ行には、掛塚祭屋台囃子が県指定無形民俗文化財である旨も添えられている。時刻や巡行の範囲までは書かれていない。祭りの中身は磐田物語の既存ページのほうにある。

2026年の掛塚まつりは10月17日・18日、会場は貴船神社周辺

磐田市は、市内で開かれる催しの日取りを「磐田市観光イベント年間予定」という一覧にまとめて公表している。この一覧の2026年度分に、掛塚まつりが載っている。行の並びは「10月17日・18日」「掛塚まつり(掛塚祭屋台囃子:県指定無形民俗文化財)」「会場:貴船神社周辺」で、日付・行事名・会場が別々の項として置かれている。出典は磐田市の観光イベント年間予定で、同ページの更新日は2026年7月24日である。2026年8月30日に確認した。

この日付は、暦の上では土曜と日曜にあたる。10月17日が土曜、18日が日曜で、いずれも2026年10月の第三週の土日である。磐田物語の掛塚まつりと豪華屋台 ── 湊町がはぐくんだ祭礼文化は、この祭りを「毎年10月の第三土曜・日曜」に行われるものとして記している。市が示した今年の日付は、その書き方と食い違わない。

祭りの正式な名称についても、既存ページのほうが詳しい。同じ稿によれば、掛塚まつりは磐田市掛塚の貴船神社を中心に営まれる祭礼で、正式には「遠州掛塚貴船神社例祭」と呼ばれるという。貴船神社の所在地は、静岡県が公表する無形民俗文化財の一覧に「磐田市掛塚926-1貴船神社」と番地まで記されている。同ページの更新日は2026年6月11日である。

問い合わせ先は、市の観光を担当する課である。一覧ページの末尾に、磐田市国府台3-1の本庁舎2階、受付時間は午前8時30分から午後5時15分まで、電話0538-37-4819と載っている。文化財としての掛塚祭屋台囃子や掛塚祭竹馬については、担当が文化財課に分かれており、電話は0538-32-9699である。

良い点を三つ、注文を二つ

磐田市の日程の出し方について、良いと思う点が三つある。第一に、日付だけでなく会場が書いてあること。「会場:貴船神社周辺」の一行があるかないかで、初めて行く人の準備はまるで違う。地図を開く起点が決まるからである。

第二に、行事名のうしろに文化財の指定名が添えてあること。「掛塚まつり(掛塚祭屋台囃子:県指定無形民俗文化財)」という書き方は、祭りの名前から文化財の名前へ橋を架けている。祭りの名前しか知らない人が、指定名という別の検索語にたどり着ける。観光の一覧と文化財の資料は、ふつう別々の場所に置かれていて、つながらないまま終わることが多い。

第三に、その文化財の側の記載が具体的であること。磐田市の県指定文化財の一覧は、掛塚祭屋台囃子について、種別が無形民俗文化財、指定年月日が昭和45年6月2日、所在地が掛塚、所有者が「掛塚地区9自治会」と記している。所有者の欄に「9自治会」と書かれていることに、私は少し驚いた。屋台が9台であることは既存ページのほうで読んでいたが、その9という数が、行政の文化財台帳の側にも同じ形で現れている。祭りの単位と町の単位が、そのまま重なっている。

その上で、資料を読んで歩いている側から、二つ注文したい。一つは、掛塚まつりそのものを説明するページが市のサイトに見当たらないことである。日程は観光の一覧に、囃子と竹馬は文化財のページに、それぞれ一行ずつ分かれて置かれている。屋台がいつ動き出すのか、どこからどこまで練るのか、交通の規制はあるのか、車をどこに置けばよいのか。見に行く側が最初に知りたいことは、この二種類のページのどちらにも書かれていない。

もう一つは、市のページ同士で説明が食い違っている箇所があることである。掛塚祭竹馬について、市指定文化財の一覧は「新馬を引き出す習俗とササラで渡御の道を清める習俗が合体した独特の祭礼行事」と書き、無形民俗文化財のページは同じ箇所を「神馬を引き出す習俗と」と書いている。新しい馬なのか、神の馬なのか。一字で意味が変わる。どちらが正しいのかを私は決められないので、両方あることをここに書いておく。両ページの更新日は、一覧が2026年8月21日、解説が2025年2月27日である。

9台の屋台と、9つの町 ── 既存ページにこう書かれている

掛塚まつりの屋台については、磐田物語の既存ページにすでに書いてある。掛塚まつりと豪華屋台によれば、屋台は掛塚の本町・横町・新町・仲町・大当町・蟹町・砂町・田町・東町という9つの町内から、それぞれ一台ずつ曳き出されるという。総漆塗りの大屋台が、神輿の渡御に供奉して町並みを練る形である。

屋台の古さについて、同稿の書き方は慎重である。現存する屋台のうち最も古いものは寛政10年(1798年)に遡ると伝えられる、という年紀を紹介したうえで、同稿はその一次的な根拠を直接確認できていないとして、これを確度の高い推定として扱い、断定を避けている。彫刻の作者についても同様で、信州諏訪の立川流とみる説と、名古屋を拠点とする彫師の手によるとみる説の双方を併記し、9台という総体のなかに両系統が併存した合作の集積とみるのが穏当だ、という立場をとっている。

屋台にこれだけの手が入った背景には、湊町としての富がある。掛塚湊と廻船問屋 ──「遠州の小江戸」の最盛期は、もっとも栄えた明治25年(1892年)ごろに36軒の廻船問屋が合わせて59隻の大型船を持っていたという数字を紹介している。ただし同稿は、この数字を行政統計に基づく厳密な計数というより繁栄の記憶を伝える普及的な数値だとして、一次的な典拠の確認が残っていることを明記している。数字の大きさより、その但し書きのほうを覚えておきたい。

祭りの中心にある社については、貴船神社と水神信仰 ── 掛塚湊の海の安全を祈るが扱っている。主祭神は水を司る高龗神とされ、京都の総本社から分霊を勧請したと伝えられるが、勧請の年次を直接記す一次史料には突き当たっていない、と同稿は書く。境内には、嵐に遭った船頭が感謝の証として奉じたと伝わる巨大な鉄製の船錨が据えられている。祭りの豪華さの手前に、まず海で死なずに帰ってきたことへの礼がある。

「竹馬」は子どもの遊具ではない

掛塚まつりについて既存ページを読み進めていて、私がいちばん驚いたのは竹馬である。磐田市の無形民俗文化財のページは、これを「毎年10月に行われる、貴船神社の祭礼「掛塚祭」の神事」と説明し、天狗の面をかぶった「竹馬(たけんま)」が神幸行列の先頭で辻ごとに竹を振り回して穢れを払う役だと書いている。二本の竹に乗って歩く、あの遊具のことではない。行列の先頭を歩き、道を清める役の名前である。

この竹馬は、磐田市の市指定文化財として、指定年月日を令和6年(2024年)4月30日、所在地を掛塚、所有者を掛塚東町自治会として登録されている。ごく最近の指定である。9台の屋台を持つ祭りのなかで、この役だけは一つの町が担っている。

ここで、市の説明と磐田物語の既存ページとで、踏み込みの深さが違う。市のページは「江戸時代から東町(旧新田町)が神幸行列のときに担当する役割」と書く。これに対して掛塚祭の竹馬を読む ── 祭具が伝える湊まちの子どもと通過儀礼は、竹馬役を特定の一町が江戸時代から一貫して担ってきたと伝えられていることを紹介したうえで、その継承の連続性を年紀を追って裏づける一次史料には突き当たっていない、と書き添えている。なぜ「竹馬」と呼ぶのか、その呼称と行事の形がいつ結びついたのかについても、同稿は未確認として空白のまま残している。

どちらが正しいという話ではない。市の文化財ページは指定の理由を短く伝える場所であり、論考は史料の裏づけがどこまで届いているかを書く場所である。役割が違う。ただ、読む側としては、この二つを並べて持っておくほうが安全だと私は考えている。「江戸時代から」という一言は、確かめられた年紀ではなく、地域が伝えてきた言い方として受け取っておく。

正直に書くと、私はこの祭りについて、まだ自分の中で線が引けていない。磐田物語の第15号は、屋台囃子の曲目として馬囃子・神楽囃子・本囃子・入船囃子・出船囃子・大場囃子・公家囃子・道中囃子といった名を挙げ、笛・大太鼓・小太鼓の三種で演奏されると書いている。一方、掛塚祭屋台囃子を読む ── 無形民俗文化財としての湊まちの音は、掛塚固有の編成・曲目・旋律を細部まで記した一次史料は本稿の範囲では未確認である、と明記して曲名を挙げない。同じサイトの中で、確度の扱いが割れている。どちらに寄せるべきか、私はまだ答えを持っていない。

この段落は私の意見であって、体験談ではない。私はまだ掛塚まつりの当日に立ち会ったことがなく、竹馬が辻を打つところを自分の目で見ていない。見ていないものを見たように書くことはしないので、そう断って書いておく。ただ、指定情報という固い事実と、伝承として語られてきたこととを、同じ調子で並べないことだけは守りたい。第167号が言うように、「未確認」は「そのような史料は存在しない」とは別のことである。空白は空白のまま次の人へ渡すほうがいい。

見に行く前に、今日できる確認をひとつ

掛塚まつりを見に行く前に、今日のうちにできることを一つだけ挙げるなら、日付を手帳に書き写したあとで、屋台囃子の名前で一度検索してみることである。祭りの名前で調べると当日の写真が出てくるが、指定名で調べると、その音が何として守られてきたかが出てくる。入口が二つあることを知っておくと、当日の見え方が変わる。

手順にすると、次の順になる。上から順にやれば、途中でやめても無駄にならない。

  1. 市の観光イベント年間予定で日付と会場を確かめる
  2. 時刻・巡行の範囲・交通の規制は載っていないので、必要なら市の担当課へ問い合わせる
  3. 屋台がどの町から出るのかを掛塚まつりと豪華屋台で先に読んでおく
  4. 行列の先頭を歩く竹馬の役を掛塚祭の竹馬を読むで確かめておく
  5. 祭りの舞台である社の性格を貴船神社と水神信仰で押さえておく

三番目と四番目は飛ばされやすい。屋台を見に行くつもりで出かけると、行列の先頭は通り過ぎてしまう。先頭が何をしているかを知っているかどうかで、最初の十分の意味が変わる。

全部を今日のうちに読みきる必要はない。日付を押さえて、屋台が9台であることと、その9が町の数であることを知った。今日の成果はそれで十分である。祭りは毎年ある。資料のほうは、読んだ分だけ次の年に効いてくる。

よくある質問

2026年の掛塚まつりは、いつどこで行われますか。

磐田市の観光イベント年間予定には「10月17日・18日」「掛塚まつり(掛塚祭屋台囃子:県指定無形民俗文化財)」「会場:貴船神社周辺」と記載されている。同ページの更新日は2026年7月24日である。時刻や巡行の範囲は書かれていないため、詳しくは市の観光を担当する課(電話0538-37-4819)に確かめてほしい。

掛塚まつりの屋台は何台ありますか。

磐田物語の掛塚まつりと豪華屋台によれば、本町・横町・新町・仲町・大当町・蟹町・砂町・田町・東町の9つの町内から、それぞれ一台ずつ曳き出されるとされる。磐田市の県指定文化財の一覧も、掛塚祭屋台囃子の所有者を「掛塚地区9自治会」と記している。

掛塚まつりの「竹馬」とは何ですか。

子どもが乗る遊具ではなく、神幸行列の先頭を歩いて道を清める役の名である。磐田市の無形民俗文化財のページは、天狗の面をかぶった竹馬が辻ごとに竹を振り回して穢れを払うと説明している。指定は令和6年(2024年)4月30日で、所有者は掛塚東町自治会。読み解きは掛塚祭の竹馬を読むにある。

磐田物語を書いている大石浩之の顔写真。眼鏡をかけ、腕を組んで正面を向いたモノクロの肖像

大石浩之(磐田市/不動産業・宅地建物取引士)

静岡県磐田市で不動産と介護の仕事をしながら、郷土史の資料を読み、現地を歩いて書き留めている。研究者ではない。磐田物語を始めた理由ははじめにに書いた。

祭りの日程・会場・問い合わせ先は変わることがある。天候や地域の事情で内容が変更されることもあるため、出かける前に必ず磐田市の最新の公表情報を確かめてほしい。文化財の指定内容や解説の表記についても、更新されることがある。個別の事情が関わる事柄については、市の担当課に確認を。

  • 初版公開。

この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。