失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語ブログ / 天竜川の氾濫史とハザードマップ

天竜川の氾濫史とハザードマップ ──
防災の日の前に読む

この記事は、現在のハザードマップと、磐田物語の既存ページに書かれている過去の記録とを並べて読むための案内である。天竜川の氾濫について、新しい史実をここで述べることはしない。歴史の中身はすべて既存ページの要約と、そのページへの入口に留めた。ハザードマップと洪水浸水想定区域図に関する情報は、末尾に挙げた公的機関の公表資料により2026年8月28日に確認した。

「天竜川沿いに家がある。防災の日の前に、うちの土地のことを一度調べておきたい」

磐田市は2026年1月から、洪水ハザードマップをスマートフォンやパソコンで見られる形にした。想定は最大規模の降雨である。ただし地図が示すのはこれから起こりうる浸水で、過去に起きた浸水ではない。天竜川下流の氾濫の記録は、磐田物語の既存ページのほうにある。地図と記録は、別々に開く必要がある。

磐田市の洪水ハザードマップは、手元の端末で見られる

磐田市は、洪水ハザードマップの情報を「磐田市地図情報提供サービス」で提供している。市の洪水ハザードマップのページには「令和8年1月より、『磐田市地図情報提供サービス』にて、洪水ハザードマップの情報提供を開始します。」と記されている。令和8年1月は2026年1月にあたる。同ページの更新日は2026年1月21日である。

この地図が何を描いたものかは、同じページの冒頭に書いてある。「想定し得る最大規模の降雨による浸水想定と深さ、避難場所などを示したものです。」という一文である。つまり、起こりうる最大の雨を前提に置いた計算結果であり、次の台風の予報ではない。ここを取り違えると、地図の読み方が変わってしまう。出典は同ページである。

地図は地区ごとに分かれている。同ページの掲載を見ると、磐田地区北部・磐田地区中部・磐田地区南部・福田地区・竜洋地区・豊田地区・豊岡地区という区分ごとに、天竜川の面と太田川水系の面が別々に用意されている。配布用の版の表紙には「洪水ハザードマップ(想定最大規模降雨)」の表題と、発行が令和4年3月である旨が印字されている。令和4年3月は2022年3月にあたる。

もとになる区域図を公表しているのは、市ではなく国である。国土交通省中部地方整備局浜松河川国道事務所の天竜川洪水浸水想定区域図の説明によれば、想定最大規模の区域図は平成28年12月15日に水防法第14条第1項に基づいて指定されており、その前提となる降雨は天竜川流域の48時間総雨量526ミリである。平成28年は2016年にあたる。計画規模のほうは年超過確率150分の1、48時間総雨量322ミリとされる。磐田市のハザードマップのページも、国と県が公表した洪水浸水想定区域図をもとに市のハザードマップを作成していると説明している。

意外だったのは、家屋倒壊等氾濫想定区域の扱いである。市の洪水ハザードマップのページには、この区域についての記載が見当たらない。しかし浜松河川国道事務所は、天竜川の家屋倒壊等氾濫想定区域図を、氾濫流によるものと河岸侵食によるものの二種類に分けて公表している。指定日は同じ平成28年12月15日である。川に近い土地では、水がどこまで来るかとは別に、家そのものが持たない範囲が描かれている。この二つは、意味が違う。

良い点を三つ、注文を二つ

この取り組みの良い点は三つある。第一に、窓口へ行かなくても見られること。市のページは「市役所の窓口に出向いていただかなくても、デジタルハザードマップとしてお手元のスマートフォンやパソコンで閲覧することが出来ます」と書いている。紙を一枚もらいに行く手間は、思っているより人を止める。

第二に、想定が「想定し得る最大規模の降雨」で統一されていること。地区ごとに前提が違うと比べようがないが、そこは揃っている。第三に、天竜川と太田川水系という二つの系統を分けて示していること。磐田は天竜川だけの街ではない。太田川の側の記録は、磐田物語では堤の内と外を扱った稿とはまた別の系統として扱っている。

その上で、郷土史の資料を読んできた側から、二つ注文したい。一つは、過去の水害の記録が同じ地図の上に重なっていないことである。国土地理院が公開する自然災害伝承碑の市区町村別掲載一覧で、磐田市の登録は0基である。この数字と周辺市町との比較は、磐田物語の天竜川の堤防・洪水碑・水害記録に整理してある。登録がないことは碑がないことの証明にはならないが、地図の上に過去が乗っていない状態であることは確かである。

もう一つは、家屋倒壊等氾濫想定区域図への導線である。天竜川については、前述のとおり国が平成28年(2016年)から公表している。市のハザードマップのページは高潮についての家屋倒壊等氾濫想定区域図を掲載しているので、扱えない情報ではないと見える。川沿いに土地を持つ側からすると、浸水の深さの次に知りたいのがここである。市の担当は危機管理課であり、問い合わせ先は同ページに載っている。

天竜川下流の氾濫の記録は、既存ページにこう書かれている

天竜川下流の氾濫の記録は、磐田物語の既存ページにすでに書いてある。天竜川の治水史 ── 年表が語る「暴れ天竜」との三百年によれば、寛永2年(1625年)から幕末までのあいだに、竜洋周辺だけで20回を超える洪水が数えられるという。記録はさらに古くさかのぼり、『続日本紀』には天平宝字5年(761年)に遠江国の麁玉河で堤防三百余丈が決壊し、延べ30万人を超える労力を投じて修築したことが記されているとされる。

近世後期は、記録がほぼ切れ目なく続く。同じ稿は、文化13年(1816年)、文政10年(1827年)の井通村森本での約300間(約540メートル)の破堤、翌文政11年(1828年)の再度の破堤、嘉永3年(1850年)、安政2年(1855年)、万延元年(1860年)の掛塚町江口での破堤、慶応元年(1865年)を挙げている。年と場所が明記されている点で史実として扱える確度をもつ、というのが同稿の立場である。

洪水がその場の暮らしに何をしたかは、天竜川の氾濫と仮渡船 ── 文化13年・文政11年の大洪水を読むに詳しい。文化13年(1816年)8月13日から翌14日にかけての大風雨で、池田の渡船場そのものが流失したと記録されている。水位が上がって渡れなくなったのではなく、船着き場の設備が押し流されたということである。文政11年(1828年)には、6月末から9月にかけて洪水が三度続き、そのたびに両岸の渡船場が被害を受けたとされる。

近代の改修が進んだ後も、水害は終わっていない。天竜川の堤防・洪水碑・水害記録 ── 昭和49年七夕洪水の記憶によれば、昭和49年(1974年)7月7日の七夕洪水では、磐田消防署豊岡分遣所で総雨量270.5ミリを記録したとされ、一雲済川流域だけで浸水面積524ヘクタール、床上浸水351戸、床下浸水296戸の被害が出たとされる。堤防と締切の工事が積み重ねられた後の出来事である。

災害の入口は川だけではない。竜洋の水害・地震・台風の記憶は、『郷土読本 ふるさと竜洋』の巻末年表を、治水工事の年表としてではなく被害と記憶の年表として読み直した稿である。堤防欠潰、大洪水、暴風雨に加えて、昭和19年(1944年)の東南海地震、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風が並ぶ。川と海と風が、同じ土地の履歴の上に重なっている。

土地の呼び名にも、水との距離が残っている。「堤外」と「内郷堤」 ── 天竜川の堤が分けた土地は、堤防が分けた土地と暮らしを地名から読む稿で、河川用語では「堤外」が川の側を指すという語の逆転にも触れている。日常の感覚では堤の外は川から遠い側に思えるが、逆である。自分の土地の古い呼び名がどちら側を指しているのかは、地図の色より先に効いてくることがある。

地図の白いところと、年表の空白

ハザードマップは予報ではない。ある前提を一つ置いて計算した結果である。天竜川の想定最大規模は、浜松河川国道事務所が示すとおり、流域の48時間総雨量526ミリという前提の上に描かれている。前提が変われば、色の塗られる範囲も変わる。

526ミリという数字は、そのままでは実感しにくい。参考までに、昭和49年(1974年)の七夕洪水で豊岡分遣所が記録した総雨量は270.5ミリとされる。桁が違うわけではなく、二倍に届くかどうかの幅である。ただし、片方は流域全体の48時間の総雨量、もう片方は一地点の総雨量であり、測り方が違う。並べて比を出すことはできても、そのまま同じ物差しの上には乗らない。ここは慎重に扱いたい。

ここから先は私の意見である。体験として語れる持ち合わせがないので、そう断って書く。私は日々の仕事で地図も検索も生成AIも使う。だから、浸水想定が手元の端末で見られるようになったこと自体は、率直にありがたい。ただ、地図に色が塗られていない場所を見て「ここは大丈夫だ」と読む使い方には、釘を刺しておきたい。

天竜川の治水史は、洪水年表という資料そのものを疑ってかかる稿である。記録は被害の大きさに比例せず、記録者のいる場所に偏り、時代とともに密度を増す。だから同稿は、年表の空白は必ずしも平穏の証ではない、と書いている。この読み方は、そのままハザードマップにも当てはまる。地図が白いことは、年表が空白であることと同じで、安全の証明ではない。想定を超える雨も、水路からあふれる内水も、地図の外側にある。

正直なところ、どこまでを地図に任せ、どこから先を自分で資料に当たるべきなのか、私の中でまだ線が引けていない。市の地図は前提の置き方まで公表されているから、任せられる部分は大きい。それでも、自分の土地が過去にどう水と付き合ってきたかは、地図の色からは出てこない。この落差をどう埋めるかは、いまも考えている途中である。

防災の日の前に、今日できる確認をひとつ

今日のうちにできることを一つだけ挙げるなら、自分の住所がどの地区の面に載るかを確かめて、その面を実際に開くことである。磐田市の洪水ハザードマップは地区ごとに分かれており、天竜川の面と太田川水系の面が別にある。天竜川沿いだからといって、天竜川の面だけ見ればよいわけではない。

手順にすると、次の順になる。上から順にやれば、途中でやめても無駄にならない。

  1. 自分の住所がどの地区の面に載るかを確かめる
  2. 天竜川の面と太田川水系の面を、両方開く
  3. 家だけでなく、通勤・通学の道と、避難先までの経路の色を見る
  4. 国土交通省のハザードマップポータルサイトで、他の災害の想定も重ねてみる
  5. その土地の古い呼び名と、堤の内か外かを調べる(「堤外」と「内郷堤」

三番目は飛ばされやすい。家の色だけを見て終わりにすると、逃げる途中の道が水に浸かる想定になっていることに気づかない。浸水は面で来るので、点で確かめても足りない。

今日のうちに全部を確かめきる必要はない。地図を一度開き、自分の地区の面を見た。今日の成果はそれで十分である。過去の側については、竜洋の水害・地震・台風の記憶のような記録を一度読んでおくと、次に大雨の予報が出たときの落ち着き方が変わる。地図と記録は、どちらか一方では足りない。

よくある質問

磐田市の洪水ハザードマップは、どこで見られますか。

磐田市は2026年1月から「磐田市地図情報提供サービス」で情報提供を始めており、市の洪水ハザードマップのページからたどれる。磐田地区北部・中部・南部、福田地区、竜洋地区、豊田地区、豊岡地区の区分ごとに、天竜川の面と太田川水系の面が用意されている。問い合わせ先は市の危機管理課で、同ページに連絡先が載っている。

ハザードマップに色が付いていない場所なら、水害の心配はないのですか。

そうは読まないほうがよい。天竜川の洪水浸水想定区域図は、流域の48時間総雨量526ミリという想定最大規模の降雨を前提に描かれている。前提が変われば範囲も変わる。想定を超える降雨、中小の水路からあふれる内水、土砂災害は、この地図とは別に確かめる必要がある。

自分の土地が過去に浸水したかどうかは、どこで調べられますか。

まず地区単位の記録に当たる。磐田物語では天竜川の治水史が近世以降の洪水年と破堤地点を、天竜川の堤防・洪水碑・水害記録が昭和49年(1974年)七夕洪水の被害統計を扱っている。ただし地番単位の浸水記録は、これらの資料からは出てこない。市の危機管理課や、市町村史・地区誌にあたるのが次の一手になる。

磐田物語を書いている大石浩之の顔写真。眼鏡をかけ、腕を組んで正面を向いたモノクロの肖像

大石浩之(磐田市/不動産業・宅地建物取引士)

静岡県磐田市で不動産と介護の仕事をしながら、郷土史の資料を読み、現地を歩いて書き留めている。研究者ではない。磐田物語を始めた理由ははじめにに書いた。

ハザードマップの掲載内容・公開方法・問い合わせ先は変わることがある。避難の判断にあたっては、必ず磐田市および国・県の最新の公表情報を確かめてほしい。土地の権利関係や具体的な浸水被害の判断など、個別の事情が関わる事柄については、市の担当課や専門家に確認を。

  • 初版公開。

この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。