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野部村と上野部・下野部 ──「野部」が分かれた谷の村
豊岡の野部村と上野部・下野部・新開の成立・分立と地名を、行政沿革を史実、分立年代を未確認として諸説併記で検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第138号。
明治の廃寺 ── 上知令と遠江国分寺の断絶
明治の上知令などの近代制度によって遠江国分寺が廃寺・断絶した経緯を、制度・災害・人の三要因に腑分けし、廃仏毀釈を主因でなく背景と位置づけて検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第137号。
東海道新田の歴史 ── 街道沿いに拓かれた土地
東海道沿いに拓かれた「東海道新田」の開発史と、宿場と新田がむすんだ近世の景観を、開発年代を史実・推定・未確認に腑分けして検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第136号。
鎌倉時代の遠江国分寺 ── 釈迦から薬師へ、本尊が変わるとき
鎌倉時代の遠江国分寺で本尊が釈迦如来から薬師如来へ変わった過程と意味を、承元3年の「薬師堂」呼称を史料上の事実、変化の背景を推定として腑分けし、古代寺院の中世的再編として検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第135号。
豊岡の祭り・寺社・里山信仰 ── 山あいの村の祈りのかたち
豊岡の祭り・寺社・里山信仰を、山・水・田畑・集落を切り離さない里山信仰として、遠州大念仏や講に即し史実・推定・伝承を書き分けて検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第134号。
天竜地区の成り立ち ── 川と低地がつくった暮らしの記憶
南部・天竜地区(天竜川左岸の低地)の成り立ち・集落群・地名・信仰を、自然堤防・後背湿地・旧河道の土地条件を土台に、川と低地がつくった暮らしとして検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第133号。
中泉代官と薬師堂の再興 ── 中野七蔵・高室昌重と憲能和尚
中泉代官(中野七蔵・高室昌重)と憲能和尚による遠江国分寺薬師堂の再興を、器・中身・法灯の三局面として、天領の代官が地域の寺を支えた歴史として検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第132号。
「町内史跡めぐり」60選を読む ── 昭和53年、豊田町を歩いた記憶
昭和53年に豊田町郷土を研究する会がえらんだ「町内史跡めぐり」60選を、史跡解説ではなく地域の自己認識を映す一次資料として読み、選定の観点を史料批判的に検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第131号。
獅子ヶ鼻と豊岡の山の景観 ── 岩山がむすんだ信仰と暮らし
豊岡の獅子ヶ鼻(奇岩の霊地)と山の景観が結んだ信仰と暮らしを、奇岩の霊地・里山の生業・境界と眺望の三層に腑分けし、具体を未確認として検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第130号。
磐田市の旧映画館を歩く ── 見付・中泉から郊外型シネコンまで
磐田市の旧映画館(見付・中泉の街なかの座から郊外型シネコンまで)の変遷を、立地五類型と閉館時期の集中という構造から、娯楽と町の重心の移動として読む学術論考。大石浩之の磐田論考 第129号。
竜洋を治めた人達 ── 藩主・中泉代官・明治以降の首長
竜洋(掛塚・袖浦・十束)を治めた支配者(藩主・中泉代官・明治以降の首長)の系譜と支配の交代を、原資料の判読困難箇所を要確認と明示しつつ三層化して検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第128号。
講堂が倒れた日 ── 治安2年の大風と国分寺の嘆願
治安2年(1022年)の大風で遠江国分寺の講堂が倒れ太政官へ嘆願がなされた出来事を、『万寿五年遠江国司解』を一次史料(孫引き)として読み、古代寺院維持の困難と本尊変遷を検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第127号。
森下・森本・立野 ──「森」と「立野」の地名を歩く
森下・森本・立野という「森」「立野」の地名から、台地と平地の境の地形・開発を、立野を諸説併記しつつ、水の地名と森野の地名の棲み分けとして読む学術論考。大石浩之の磐田論考 第126号。
記録が消えた理由 ── 東海道が国分寺の前を通らなくなった道
遠江国分寺の記録が中世に途絶えた理由を、東海道の付け替えという「動線説」と「衰退説」を対等併記し、因果を断定しない立場から史料批判的に検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第125号。
田原地区の学校史 ── 寺子屋・西島学校から田原小学校へ
田原地区の学校史(寺子屋・西島学校から田原小学校へ)と学制期の学校づくりを、学制頒布・町村制を史実、寺子屋の具体像を伝承・未確認として腑分けして検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第124号。
遠州の学問の土壌 ── 杉浦真崎・報徳運動と竜洋の寺子屋
竜洋・遠州の学問の土壌を、国学(杉浦国頭・賀茂真淵)から報徳運動・寺子屋の系譜に位置づけ、竜洋固有の一次史料の有無を明記して検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第123号。
大名と渡船の特約 ── 紀州藩・尾張藩・仙台藩と池田村渡船方
池田村渡船方と紀州・尾張・仙台・福井の各藩とのあいだに結ばれた渡船の特約(参勤交代の渡河をめぐる取り決め)を、目録帳・覚帳に即して検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第122号。
天竜川下流農業水利事業 ── 台地と低地を潤した国営事業
戦後の国営「天竜川下流農業水利事業」による水利再編と磐田の農業の変化を、計画諸元と段階を史実に即し、疏水構想→用水→国営事業の水利史として接続する学術論考。大石浩之の磐田論考 第121号。
西光寺の大クス ── 見付宿西端の社寺林と巨木
見付宿西端の西光寺に育つ大クス(附ナギ・天然記念物)と社寺林を手がかりに、宿場町の時間と時宗西光寺の歴史を、樹齢を推定として断定せず読む学術論考。大石浩之の磐田論考 第120号。
長野地区の成り立ち ── 水田の広がりと旧集落の輪郭
南部・長野地区(水田の広がる低地)の成り立ち・旧集落の輪郭・地名を、微高地立地と水利共同体を軸に、成立年代を未確認として検討する学術論考。大石浩之の磐田論考 第119号。