失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

磐田物語南部地区 / 町名・行政沿革

南部・中泉・見付/町名史|公開 2026年8月19日

今之浦地区の成立前史
――今之浦新田・田久保村請所・西瀬新田

今之浦一~五丁目は新しい町名だが、その土地に名前がなかったわけではない。地域資料には今之浦新田、田久保村請所、西瀬新田、川尻、西川尻、中川町、鳥之瀬という名が現れ、しかも磐田郡・山名郡・豊田郡に関わる履歴を持つ。現在の町界から過去を逆算せず、名称と所属が変わる順序をたどる。

今之浦は一つの旧村から生まれたのではない

現在の地図では、今之浦一丁目から五丁目までが連続した町として見える。そのため、昔から「今之浦村」という一つの村があり、それを五つに分けたように思いやすい。しかし『磐田ことはじめ 第一編 町内の風土記』が記す沿革は、もっと複雑である。今之浦新田、田久保村請所、西瀬新田という異なる土地単位が見付宿の枝郷として関係し、明治以後の編入と町名整理を経て現在の地区につながった。新しい丁目は古い一村の単純な分割ではなく、複数の履歴を持つ土地を都市計画と自治会運営の上で組み直した名称である。

「新田」は、新しく開発・検地された田畑を示す名として各地に残る。一方の「請所」は、ある村が年貢負担や耕作を請け負う土地を指す場合があり、必ずしも独立村を意味しない。地域資料は「元山名郡今之浦新田」と「豊田郡田久保村請所」を並べる。異なる郡名が同じ枝郷の説明に現れることは、低地の開発単位と後の行政界が一致しなかったことを示す手掛かりになる。ただし、郡境の正確な線や請負関係は、この一節だけでは復元できない。

近世見付宿の土地を扱う見付宿のすがたと戸口は、西瀬新田を慶長9年(1604年)検地、久保請所と今之浦流新田を安永8年(1779年)検地の土地として紹介する。これは、それぞれの名称が同時に一括して生まれたのではなく、少なくとも検地記録上は年代の異なる開発地として現れることを示す。「今之浦新田」と「今之浦流新田」が完全に同じ範囲・呼称かどうかは、原史料の表記と地番を比べて確認する必要があるため、本稿では自動的に同一視しない。

西瀬新田は水害と切り離せない。見付宿の火事・洪水・祭礼が引く記録では、寛政12年(1800年)に三度の満水があり、西瀬・今浦が不作となって祭礼を休んだという。また、西瀬新田には囲堤と悪水を逃がす吐圦樋が設けられていたとされる。町名を水辺の景観と結びつける場合、字義から想像するのではなく、こうした治水施設と不作記録を合わせることで、低地の生活条件が具体的に見えてくる。

ただし、古い「今浦」「今之浦」が現在の一~五丁目の全域を指すとは限らない。水域、湿地、新田、枝郷、自治会はそれぞれ異なる範囲を持ち得る。今之浦と大之浦が地形上の広がりを扱うのに対し、本稿が追うのは行政と生活単位の名称である。同じ語が水面名と土地名の両方に使われても、境界線まで同じとは限らない。資料ごとに、その名称が水面・耕地・集落・行政区のどれを指すかを確かめる必要がある。

明治9年の編入――川尻・西川尻・鳥之瀬へ

地域資料は、今之浦新田と田久保村請所が1876年(明治9年)に見付宿へ編入され、川尻・西川尻となったと記す。ここでいう「川尻」は、川の下流・出口を示す一般語でもあるが、語源を地形だけで確定することはできない。重要なのは、もとの新田・請所という土地の成り立ちを示す名から、見付宿内部の地区名へ呼び替えられた点である。編入は土地が動いたのではなく、行政上の所属と呼称が変わる出来事だった。

同資料は、その後、川尻・西川尻が昭和23年に見付中川町となったとする。昭和23年は磐田市制施行の年でもあり、旧町村を新しい市の町内として整理する過程の中に位置づけられる。ただし、「川尻と西川尻の全域が中川町へ一対一で移った」とまで断定するには、町名変更の告示と当時の地図が必要である。名称の対応表は出発点であり、境界の証明ではない。現在の中川町と今之浦の界線を、そのまま昭和23年以前へ延長してはならない。

西瀬新田についても、明治9年に見付宿へ編入されたと地域資料は記す。さらに東海道本線以北の土地を合わせて大字鳥之瀬となり、自治会は中泉地区に所属したという。資料画像では合併年と相手地名の一部が判読しにくいため、本稿では年を断定していない。確実に押さえられるのは、西瀬新田という近世の名が、明治の編入と後の区域再編を経て鳥之瀬へつながり、地区所属も見付から中泉側へ変わったという大筋である。

鉄道は、この変化を読む目印になる。東海道本線は1889年(明治22年)に中泉駅を設け、後の町の重心を駅周辺へ移した。線路は交通を結ぶと同時に、その北と南を区別する境界にもなった。鳥之瀬成立の説明に「東海道本線以北」が用いられるなら、近代交通施設が土地のまとめ方の基準になったことになる。旧中泉駅の物理的な変化は磐田駅に残る旧中泉駅の記憶、中泉全体の中心性は中泉の生い立ちと合わせて読むと理解しやすい。

段階資料に現れる名確認できる変化留保
近世今之浦新田・今之浦流新田、田久保村請所、久保請所、西瀬新田新田・請所として見付宿周辺の土地に組み込まれる各名称の同一性と界線は未確認
1876年川尻・西川尻、西瀬新田見付宿への編入が地域資料に記録される編入告示の原文未確認
昭和期見付中川町、鳥之瀬市制・鉄道を基準に町名と所属が再編合併範囲・年月の原資料照合が必要
区画整理後今之浦一~五丁目新市街地の町名・自治会として成立旧区域と丁目は一対一対応しない

この表で注意したいのは、古い名前が消滅したのではなく、異なる制度の中へ位置を変えたことである。地番から外れた名も、用水組合、祭礼、橋、商店、家の呼び名に残る場合がある。町名変更を「新名が旧名を置き換えた一日」とせず、複数の呼称が併用された移行期間として調べる必要がある。

今之浦一~五丁目へ――旧区域を直線で結ばない

昭和後期の区画整理によって、今之浦には道路、公園、河川施設、宅地区画が整えられ、一丁目から五丁目の町名と自治会が成立した。地域資料の各丁目記事は、自治会の新設年、組数、刊行時の世帯数を記録している。しかし、その数値は平成7年前後の一時点であり、現在値ではない。五丁目を横並びに読むときは、成立時の自治会記録、現在の統計、旧新田の範囲を別の表に置くべきである。現在の町の成立過程は今之浦一~五丁目が詳しく扱う。

地域資料には、今之浦地区が発足するまで、関係する区域が見付地区に属していたという記述もある。一方、鳥之瀬は中泉地区に所属したとされる。つまり「今之浦地区」は、古い郡や村の境界をそのまま保存した区分ではなく、開発後の生活圏に合わせて複数の所属履歴を束ねた地区と読める。地区名、自治会名、行政大字、学校区は似た範囲を指しても同一制度ではない。どの名簿を用いたかを明記しなければ、所属の説明が食い違って見える。

旧区域を現在地へ戻すには、少なくとも四種類の資料が必要になる。第一は近世の検地帳と絵図、第二は明治9年の編入記録、第三は昭和の町名変更・自治会資料、第四は区画整理の換地図である。旧字図の上に現在地図を重ねる際は、河川改修と道路新設によって基準線そのものが動いた可能性を考慮する。単純な拡大縮小では合わない場合、寺社、堤、鉄道、残存水路など時代をまたいで確認できる点を基準にする。

古い住所が書かれた文書を扱う場合も同じである。「西瀬新田」「川尻」「鳥之瀬」と書かれていても、その語だけで現在の番地を決めない。文書の日付、隣接地、所有者、地目、面積を組み合わせ、「確定」「推定」「候補」を分ける。特に私有地の位置を公表する際は、歴史的地名の説明と現在の所有者情報を混ぜない配慮が必要である。

今之浦地区の成立前史は、町名が水辺の変化だけでなく、郡境、宿の枝郷、鉄道、市制、区画整理によって何度も組み替えられたことを教える。現在の一~五丁目は、その長い過程の最新の一層である。今之浦新田や西瀬新田を「消えた地名」として懐かしむだけでなく、どの制度の文書に、いつまで使われたかを確かめれば、町の変化を検証できる形で次代へ残せる。

今後は、明治9年の編入告示、昭和23年の町名整理資料、鳥之瀬成立時の議会記録を優先して確認したい。それらが揃えば、現在の記事の対応表に「根拠文書」「区域図」「確度」を追加できる。未確認の年を埋めるために推測を置くのではなく、空欄を調査課題として残すことが町名史の精度を守る。

地域の写真や封筒も補助史料になる。消印と宛名に旧町名があれば、その年月に名称が実用されていたことを確かめられる。農地の売買契約、用水費の領収書、学校名簿では、行政名と通称が併記される場合がある。ただし個人名や現住所を公開する必要はない。年代・資料種別・表記だけを抽出し、画像公開の許諾を別に管理すれば、生活資料から安全に名称の使用期間を追える。

最終的な地図には、近世検地、明治編入、昭和町名、区画整理後の四時点を用意し、一枚へ無理に重ねず切り替えて見せたい。各時点で確定できる線と推定帯を区別すれば、読者は「名が続くこと」と「境界が続くこと」が別問題だと理解できる。町名変遷を土地の連続性の証明に使いすぎないことが、かえって今之浦の複雑な来歴を正確に伝える。

読み方。 「今之浦」は水域名、土地名、地区名、町丁名として異なる範囲を取り得る。本稿は名称の継承を扱い、旧水面や旧新田の境界を現在の一~五丁目と同一視しない。

参考資料・史料上の限界

更新履歴:2026年8月19日公開。新田・請所・枝郷から現在の今之浦地区までを、確度付きの対応表で整理。

この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。