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磐田物語南部地区 / 浜部遺跡・浜部古墳群

南部〜福田・砂丘地の遺跡 | 令和3・4年度調査

浜部遺跡・浜部古墳群 ── 砂地に築かれた、磐田市最南端の古墳と中世集落

磐田市南部地区から福田地区にかけて広がる浜部遺跡・浜部古墳群。市道工事に伴う令和3・4年度の調査で、新たに古墳が見つかり浜部古墳群として登録された。市内900基以上の古墳のほとんどが磐田原台地上にあるなか、砂地の上に造られた古墳群は市内でわずか2例しかない。あわせて中世の集落跡も発見された。

浜部遺跡は、昭和30年代に古墳時代中期の須恵器が出土したことで発見された遺跡である。その後、市道の工事に伴い令和3・4年度に調査をおこなったところ、新たに古墳が見つかり、浜部古墳群として登録された。あわせて、調査では中世の集落跡も見つかっている。

本稿の要点

公式情報の整理

遺跡名
浜部遺跡・浜部古墳群
所在地
磐田市南部地区から福田地区にかけて(国道150号線沿い)
古墳の規模
3基発見。いずれも直径約8〜10mの円墳(埋葬施設は残らず周溝のみ確認)
年代
古墳(周溝出土の須恵器):古墳時代後期/3号墳周辺出土の朝顔形埴輪:古墳時代中期/中世集落:13世紀末〜14世紀末
調査状況
令和3・4年度、市道工事に伴う発掘調査を実施。
特徴
磐田市内900基以上の古墳のうち、砂地上に造られた古墳群は市内で2例のみ。浜部古墳群はそのうちの一つで、磐田市最南端の古墳群にあたる。

このページでは、調査で判明した古墳の規模・年代・中世集落の内容を、磐田市文化財課発行の「いわた文化財だより(イワタ深掘り Ver.4)」に基づいて整理する。パンフレットの文面はそのまま写さず、磐田原台地上の古墳群との対比から独自に再構成する。

磐田市最南端の古墳 ── なぜ砂地に古墳が

調査では3基の古墳が発見された。墳丘や石室などの埋葬施設は残っておらず、周溝(古墳の周りに掘られた溝)のみが見つかったが、直径約8〜10mの円墳であったことが分かった。周溝からは古墳時代後期の須恵器が出土している。

また、3号墳の周辺から、古墳時代中期の、上部がラッパ状に広がる朝顔形埴輪の破片が出土している。これは3号墳築造以前の埴輪であるため、周辺に未発見の古墳がある可能性がある。

磐田市内には900基以上の古墳があるが、そのほとんどが磐田原台地上に造られている。松林山古墳(u027)や堂山古墳(u037)、兜塚古墳(m125)、銚子塚古墳(k047)といった大型古墳は、いずれも台地の縁という立地を選んで築かれてきた。これに対し、浜部古墳群のように砂地上に造られているのは、市内でわずか2例のみである。台地とは異なる、海に近い砂丘地帯という立地に古墳が営まれたことは、磐田原台地の有力者たちとは異なる集団が、この地域に基盤を持っていたことを示唆している。

中世の集落を発見

令和4年度の調査区からは、中世の溝や土坑、井戸などが検出され、中世の集落があったことが分かった。調査区北側で見つかった溝は東西に延び、幅約1.2m、深さ約40cmで、集落の土地を区画するための溝であったと考えられる。溝の中からは山茶碗などが多数出土した。

土坑2基からは馬の頭部の骨が見つかった。全て同一個体のものと思われる。また、直径約1〜2mの井戸が3基見つかった。材質は加工性・耐朽性が高いヒノキで、13世紀末〜14世紀末のものであった。井戸目(井戸の底の部材)も出土しており、ヒノキの皮で作られていたことが分かっている。

磐田原台地の大型古墳とは対照的に、砂丘の縁にひっそりと築かれた小さな円墳群。その足もとには、13〜14世紀の中世集落が、井戸と馬の記憶を残して眠っていた。

参考資料

本文は上記資料の記載内容を転載せず、事実関係を整理したうえで独自に再構成したものです。

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