一の谷中世墳墓群は、磐田市見付字一の谷周辺に広がる中世墓域です。この特集では、墓の種類、丘陵と谷の地形、見付の町との距離、昭和六十二年前後の保存を求める動きを、入口から順にたどります。
一の谷を見るときは、墓の数だけでなく、見付の町、磐田原台地、道、寺社との位置関係をあわせて見る必要があります。
資料から確認できる基本事項
- 所在地
- 磐田市見付字一の谷周辺
- 時代
- 平安時代末頃から室町時代中頃
- 性格
- 墳墓・土壙墓・茶毘跡・集石墓などを含む中世墓域
- 周辺
- 見付の町、磐田原台地、府八幡宮、遠江国分寺跡、見付城跡
この特集で扱うこと
資料では、一の谷中世墳墓群は平安時代末頃から室町時代中頃まで続く墓域として整理されています。墳墓等約百七十基、土壙墓約百九十墓、造付け墓十九基、茶毘跡五十八基、集石墓約千六百基という数値は、葬送の形が一様ではなかったことを示しています。
特集トップでは、詳細な墓制の説明に入る前に、どのページで何を読むかを整理します。遺跡の基礎、見付の町、墓地の立地、発掘調査、墓の形式、保存運動、散策の順に見れば、一の谷を単独の発見ではなく、見付の中世を考える資料として扱いやすくなります。
見付の町との距離
一の谷は、山奥に孤立した墓地ではありません。見付の市街地、府八幡宮、遠江国分寺跡、見付城跡と近い範囲にあり、磐田原台地の端から谷へ落ちる地形の中に位置します。
町の外れに墓域があることは、生活の場と弔いの場が分かれていたことを示す一方で、両者が完全に無関係だったとは言えません。道や谷、寺社との距離を見ながら読むことで、一の谷の意味が見えてきます。
読み進め方
まず「一の谷遺跡とは何か」で所在地と時代を確認し、次に「見付という中世都市」で町との関係を見ます。墓の形式に関心がある方は、土壙墓、壺棺墓、礫石墓・配石墓の各ページへ進むと、調査資料の見方が分かりやすくなります。
現地を歩く場合は、散策ガイドを先に読んでください。住宅地や道路に接する場所もあるため、私有地への立ち入りを避け、文化財と地域の生活に配慮して見学することが前提です。
この地域の家・土地・空き家について
見付のように古くから町が続いてきた地域では、家や土地にも、古い道、町内、寺社、地形との関係が残っていることがあります。
相続した家、空き家、使わなくなった土地をどうするか考えるときは、価格だけでなく、その場所の成り立ちも含めて整理することが大切です。磐田市内の家・土地・空き家については、富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。