一の谷遺跡とは、見付字一の谷周辺に所在する中世墓域を中心とした遺跡です。このページでは、所在地、時代、性格、調査資料で確認できる規模を、まず基礎情報として整理します。
遺跡の概要を押さえることは、見付の町と墓域の関係を考えるための出発点です。
資料から確認できる基本事項
- 所在地
- 磐田市見付字一の谷周辺
- 時代
- 平安時代末頃から室町時代中頃
- 性格
- 墳墓・土壙墓・茶毘跡・集石墓などを含む中世墓域
- 周辺
- 見付の町、磐田原台地、府八幡宮、遠江国分寺跡、見付城跡
所在地と時代
一の谷中世墳墓群は、磐田市見付字一の谷周辺に所在します。資料では、平安時代末頃から室町時代中頃にかけて使われた墓域として整理されています。
遺跡面積は約一万五千五百平方メートルとされ、ひとつの小さな墓だけを指すものではありません。まとまった丘陵部に、複数の墓の形式が確認された点が重要です。
墓域としての性格
確認される主な痕跡には、墳墓、土壙墓、造付け墓、茶毘跡、集石墓などがあります。墓の形式が複数あることは、弔い方や時期、葬送に関わった人々の違いを考える材料になります。
ここでは、誰の墓であるかを無理に断定しません。資料から確かに言えるのは、見付に近い丘陵部に、中世の弔いの場が長い期間にわたって形成されていたということです。
見付の町へ広げすぎない
このページでは、見付全体の歴史を詳しく論じるのではなく、一の谷遺跡そのものの基礎を確認します。町との関係は次のページで扱います。
遺跡を読む順序としては、まず所在地、時代、墓の種類、調査資料の意味を押さえることが大切です。そのうえで、東海道や府八幡宮、遠江国分寺跡との関係を考えると、話が混ざりにくくなります。
この地域の家・土地・空き家について
見付のように古くから町が続いてきた地域では、家や土地にも、古い道、町内、寺社、地形との関係が残っていることがあります。
相続した家、空き家、使わなくなった土地をどうするか考えるときは、価格だけでなく、その場所の成り立ちも含めて整理することが大切です。磐田市内の家・土地・空き家については、富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。