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戦後の磐田南高校と男女共学化 ── 磐田第一高校から女子生徒の入学へ

旧制見付中学校は、戦後の学制改革の中で新制高校になり、やがて現在の磐田南高校となった。その変化を、制度名だけでなく生徒の記憶から読む。

学校の歴史では、昭和23年に磐田第一高等学校、昭和24年に磐田南高等学校と改称、とだけ書かれがちである。しかし創立80周年記念誌を読むと、この時期は、旧制中学の記憶、戦争の影、進駐軍の時代、男女共学化、新しい部活動や科学活動が同時に動いた転換期だったことが分かる。

本稿の要点
  • 昭和23年(1948年)、新学制により見付中学校は磐田第一高等学校となった。
  • 昭和24年(1949年)、磐田南高等学校へ改称し、女子生徒が入学した。
  • 男女共学化は制度だけでなく、トイレ・更衣室・教室の空気まで変えた。
  • 第一期の女子生徒の回想には、「男子と同じ内容を学びたい」という戦後教育の感覚が表れている。
  • 科学班・地学部・読書・討論など、戦後の自由な学びも記念誌から読み取れる。

旧制中学から新制高校へ

創立80周年記念誌の年表は、昭和22年(1947年)に陸上競技部が全国中等学校陸上競技大会で学校対抗優勝したことを記した後、昭和23年(1948年)4月に新学制により磐田第一高等学校へ改称したと整理する。旧制中学として始まった学校は、戦後改革の中で新制高校へ移った。

同じ年には、高等学校としての第一回卒業式、陸上競技部の全国高等学校陸上競技大会での活躍、そして「はぐま」の校章制定が並ぶ。校名と制度が変わるだけでなく、学校の象徴も新しい時代に合わせて整えられていった。昭和24年(1949年)4月には、現在の静岡県立磐田南高等学校へ改称される。

戦後の学校生活は何を引き継いだか

戦中・戦後をまたいだ卒業生の回想には、空襲、動員、物資不足、戦後の虚脱感といった言葉が現れる。見付中学校の生徒は、学徒勤労動員の時代を経験し、終戦後に学校へ戻った。戦争の終わりは、校名の変更よりも深く、生徒の生活感覚を変えたはずである。

それでも、すべてが断絶したわけではない。記念誌には、水泳や陸上、部活動への思い出、古い実験室の匂い、体育祭や球技大会の記憶が残る。旧制中学以来の身体を鍛える気風は、新制高校でも部活動や学校行事の形で続いた。戦後の自由な空気は、旧制中学の規律を消したというより、別の学びの形へ組み替えていった。

女子生徒が入学した昭和24年

昭和24年の改称と同時に、女子生徒が入学した。創立80周年記念誌のインタビューでは、第一期の女子生徒の一人が当時を振り返っている。記念誌本文には、当時の定員の中で女子は約60名だったという趣旨の説明が見える。男子校の伝統をもつ旧制中学に、少数の女子生徒が加わったのである。

制度としての男女共学化は一行で書ける。しかし当事者の記憶では、変化はもっと具体的だった。女子用トイレや更衣室は最初から十分だったわけではなく、職員用トイレを使いながら短期間で女子用設備を整えた、保健室の一部を仕切って更衣室にした、といった回想が残る。共学は理念だけでなく、校舎の使い方を変える作業でもあった。

女子生徒の側にも緊張はあった。当時の小学校や地域には、男子と女子を分ける感覚がまだ強く残っていた。高校生になって急に男子と同じ教室で学ぶことは、まぶしさや戸惑いを伴ったと語られる。一方で、男子と同じ机に並び、同じ教科を学び、同じように理解できると感じた経験は、戦後の女子教育にとって大きな意味をもった。

科学班と読書のある学校

このインタビューで興味深いのは、共学化の話が、科学班や地学部の活動、読書の話へつながっていく点である。女子生徒は地学部に属し、物理・化学・生物・地学の各分野が協力しながら研究したこと、科学展のような発表の場があったことを語っている。戦後の磐南では、理科系の探究がすでに生徒の活動として息づいていた。

読書についての回想も重要である。太宰治やシェイクスピア、松本清張などをめぐる会話があり、国語の授業だけでなく、個人の読書が学校生活の一部になっていた。旧制中学の漢文朗読や厳しい規律とは違う形で、戦後の高校生は本を読み、討論し、自分の考えを持とうとしていた。

男女共学化を地域史として読む

磐田南高校の男女共学化は、全国的な学制改革の一例である。しかし地域史として見ると、見付・中泉周辺の女子教育、磐田北高校の前身である高等女学校、戦後の普通科再編と関わる。女子がどの学校で何を学ぶのか、家庭科か普通科か、進学か就職かという選択は、各家庭の判断と地域の空気の中で決まっていった。

第一期女子生徒の回想には、「女の子は洋裁学校や料理学校へ行く」という時代感覚と、「男子と同じ内容で学びたい」という希望が並んでいる。ここに、戦後の磐田の教育が変わる瞬間がある。磐田南高校の歴史を男子旧制中学の伝統だけで語ると、この転換点が抜け落ちる。

このページは、磐田南高等学校の歴史のうち、戦後改革と男女共学化に焦点を当てた深掘りである。親記事では通史を扱うため、ここでは昭和23年から24年の制度変更と、そこから広がる生徒の生活記憶を中心に整理した。

共学化を一つの制度名で終わらせない

男女共学化は、国の制度改革によって進められた。しかし地域の学校で起きた変化は、制度名よりもずっと細かい。どの教室で学ぶのか、どこで着替えるのか、男子が多い学校で女子がどのようにふるまうのか、家族や親戚がその進学をどう受け止めたのか。創立80周年記念誌のインタビューは、そうした生活の細部を伝える。

この細部は、磐田北高校の前身である高等女学校の歴史とも重なる。戦前には、男子の中等教育と女子の中等教育は別々の制度として組み立てられていた。戦後、普通科で男女が同じ机を並べるようになることは、学制改革の理念だけでなく、地域の家族観や進路観を少しずつ動かす出来事だった。

また、第一期女子生徒の回想に科学班や地学部の話が出てくることは見落とせない。女子が男子と同じ内容で学びたいと考え、理科の研究や読書、討論の場に参加していたことは、磐南の戦後史を理解するうえで大きい。ここには、後の理数科やSSHに直結する以前の、戦後の自由な学びの気配がある。

出来事地域史としての意味
1945終戦。動員解除により生徒が学校へ復帰。戦時下の学校生活から戦後教育へ移る。
1948新学制により磐田第一高等学校へ改称。旧制中学から新制高校への転換。
1948「はぐま」の校章制定、高校第一回卒業式。新しい学校の象徴と卒業の形が整う。
1949磐田南高等学校へ改称。女子生徒が入学。男女共学化が校舎・授業・生徒生活を変えた。
1950年代部活動、科学班、読書、討論などの学校生活。戦後の自由な学びが定着していく。

更新履歴:2026年7月12日 新規公開。

参考資料

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