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磐田物語 / 磐田北高等学校の歴史

SCHOOL HISTORY | 磐田の高等学校

磐田北高等学校の歴史

磐田市見付にある磐田北高等学校は、明治42年に磐田郡立実践高等女学校として開かれた女子教育の学校を出発点とする。高等女学校から保育科・衛生看護科へ、そして平成の男女共学化を経て福祉科へと、この学校が一貫して受け継いできたのは「人を支える学び」である。本稿では、磐田北高校の歩みを学校案内としてではなく、見付に根づいた地域教育の歴史として読む。
本稿は学校の宣伝や受験情報を目的としない。年号・学科名・施設名は静岡県立磐田北高等学校の公式沿革および静岡県・磐田市の公開資料に基づいて整理したが、改称や設置年には資料によって表記の差がある。本文では確認できる範囲で年号を併記し、断定を避けるべき箇所はその旨を記した。
人を支える学びの系譜 明治42年・実践高等女学校 見付に生まれた女子教育の拠点。家政・実践の学び。 昭和・保育科/衛生看護科/附設幼稚園 子どもと病者をケアする専門の学び。 平成11年・男女共学化 校訓「優しく 逞しく 誠実に」。女子校からの転換。 平成14年〜・普通科と福祉科 介護福祉士の養成と、見付分校との共生共育。
実践高等女学校から保育・看護・福祉へと続く「人を支える学び」の流れを示す模式図。年代の前後関係を整理したもので、各時期が重なり合っていた点は本文で補う。

明治42年、見付に生まれた女子教育の拠点

磐田北高等学校の歴史は、明治42年(1909年)4月に磐田郡立実践高等女学校として開校したところから始まる。場所は東海道の宿場町であった見付。当時の磐田郡が、郡立の女子教育機関を見付に置いたという事実は、この地域が古くから国府・宿場として人と情報の集まる場所であったことと無関係ではない。

「実践高等女学校」という名は、当時の女子教育の性格をよく表している。裁縫・家事・育児といった家庭生活に直結する技能を中心に据えた学校であり、暮らしの中で身につける知と技を「実践」として教えるものであった。明治末から大正にかけての日本では、女子に高等教育を開く動きと、良妻賢母を育てる教育観とがせめぎ合っていた。見付の実践高等女学校も、その時代の空気の中に置かれていた。

開校から二年後の明治44年(1911年)5月には磐田郡立高等女学校と改称している。「実践」の語が外れたことは、家事技能の養成にとどまらず、より広い教養を含む高等女学校へと性格を移していったことを示すと読める。

高等女学校から磐田北高等学校へ

大正期に入ると、この学校は名称と設置者を何度か変えていく。大正8年(1919年)9月に静岡県磐田高等女学校と改称し、大正11年(1922年)4月には県立に移管されて静岡県立見付高等女学校となった。郡立から県立へという移管は、女子の中等教育が地域の任意の取り組みから、県が担う制度へと位置づけ直されていった流れの一部である。

昭和14年(1939年)11月には新校舎の落成式が行われ、現在地へ移転している。見付の地で校地を構え直したこの移転は、戦前の女子教育がひとつの完成を見た時期にあたる。

戦後の学制改革は、この学校を大きく組み替えた。昭和23年(1948年)4月、新制高等学校への移行にともなって静岡県立磐田第二高等学校となり、翌昭和24年(1949年)4月には磐田実業高等学校と統合して、静岡県立磐田北高等学校と改称した。「磐田北」という現在の校名は、このときに生まれている。女子だけの高等女学校から、商業課程を含む新制高校へ。校名の変化は、戦後教育の再編をそのまま映していた。

もっとも、新制高校になっても、この学校が女子の学校であった時間は長く続く。昭和27年(1952年)には商業科が独立し、磐田北高校は普通科を中心とする女子校として歩んでいくことになる。

保育科・衛生看護科・附設幼稚園の記憶

磐田北高校を「人を支える学び」の学校として性格づけたのは、戦後に置かれた専門の学科である。昭和28年(1953年)4月、校内に附設幼稚園が設置認可された。高等学校に幼稚園が併設されるという形は、いまでは珍しい。この幼稚園は、地域の幼児を受け入れる場であると同時に、生徒が保育を学ぶための実践の場でもあった。

昭和38年(1963年)4月には保育科が設置された。子どもの発達や保育の方法を学ぶ専門学科であり、隣にある附設幼稚園は、教科書の中だけでない学びを支える存在だった。保育を志す女子生徒が、見付の校舎で幼児と向き合いながら学ぶ。その光景は、長く磐田北高校らしさの一部であった。

昭和49年(1974年)4月には衛生看護科が設置されている。看護を学ぶ学科の設置によって、磐田北高校は「子どもを育てる学び」と「病む人を看る学び」の双方を持つことになった。家政から保育へ、保育から看護へ。学科の広がりは、この学校が一貫して、人の生活と命に関わる仕事を支える人材を育ててきたことを示している。

これらの学科は、時代の変化の中でやがて役割を終える。保育科は平成8年(1996年)3月に閉科し、附設幼稚園も平成10年(1998年)3月、年長クラスの園児を送り出して閉園した。衛生看護科は平成16年(2004年)3月に閉科している。学科としては姿を消したが、保育・看護を通じて積み重ねられた「人を支える学び」の蓄積は、のちの福祉科に受け継がれていく。

男女共学化と校訓の変化

磐田北高校の歴史で最大の転換点は、平成11年(1999年)4月の男女共学化である。明治42年の実践高等女学校以来、九十年にわたって女子の学校であった磐田北高校が、この年から男子を迎えることになった。高等女学校を起点とする学校にとって、共学化は単なる制度変更ではなく、学校の成り立ちそのものを問い直す出来事であった。

この共学化に合わせて、校訓も改められている。現在の校訓「優しく 逞しく 誠実に」は、この時期に定められたものとされる。「優しく」という言葉を最初に置く校訓は、女子教育として培ってきた、人を思いやり支える学びの伝統を、共学の新しい学校にどう引き継ぐかという問いへの答えだったと読むことができる。

静岡県内では、高等女学校を前身とする学校が平成の後半にかけて次々と共学化していった。磐田北高校の共学化も、その県全体の流れの中にある。女子校という形は時代とともに減っていったが、磐田北高校の場合、女子教育の蓄積はその後の福祉科という具体的な形で残ることになった点に特徴がある。

福祉科と共生共育の現在

共学化からほどなく、平成14年(2002年)4月に福祉科が設置された。閉科していく保育科・衛生看護科に代わって、介護と福祉を専門に学ぶ学科が置かれたことは、磐田北高校が「人を支える学び」を放棄せず、高齢化の時代に合わせて作り直したことを意味する。現在の磐田北高校は、普通科と福祉科を併せ持つ学校である。

福祉科では、施設での実習や介護の実技を重ねながら、卒業時に介護福祉士の国家試験受験につながる学びを進める。介護福祉士は、高齢者や障害のある人の生活を支える国家資格である。高等学校の段階でこの資格に向けた専門教育を受けられる学校は限られており、福祉科は磐田北高校の現在を代表する学科となっている。

そして、磐田北高校を語るうえで欠かせないのが、同じ敷地内にある静岡県立袋井特別支援学校磐田見付分校の存在である。この分校は平成22年(2010年)4月、磐田北高校の校地内に設置された。高校生と特別支援学校の生徒が同じ場所で学校生活を送ることから、両校は日常的な交流を「共生共育」と呼んで取り組んでいる。福祉を教科書で学ぶだけでなく、すぐ隣に共に学ぶ仲間がいるという環境は、磐田北高校の福祉教育を支える土台になっている。

共生共育は、福祉科の生徒だけの取り組みではない。普通科を含む学校全体の行事や日常の中で、磐田見付分校の生徒と交流が重ねられている点に、この学校の特徴がある。

学校の外へ開かれた学びも進んでいる。文化祭である「さみどり祭」では、生徒が日頃の学びの成果を地域に向けて発表している。また、磐田市が高校生の発想を市のまちづくりに生かそうと設けた「いわた高校生まちづくり研究所」には、市内の高校生とともに磐田北高校の生徒も関わってきた。福祉科を持つ学校として、地域の福祉や暮らしの課題を、生徒自身が考える機会が広がっている。

所在
静岡県磐田市見付
起源
明治42年(1909年)磐田郡立実践高等女学校
現校名
静岡県立磐田北高等学校(昭和24年・1949年〜)
共学化
平成11年(1999年)4月
現在の学科
普通科・福祉科
同一敷地
袋井特別支援学校磐田見付分校(平成22年・2010年設置)

「人を支える学び」が地域に残したもの

明治42年の実践高等女学校から数えて、磐田北高校は百十年を超える歴史を持つ。令和元年(2019年)11月には創立110周年の記念式典が営まれた。校名も学科も時代に応じて変わってきたが、その流れを一本の線として読むと、家政、保育、看護、福祉という、いずれも人の生活と命に寄り添う学びが受け継がれてきたことが見えてくる。

磐田北高校で保育や看護、福祉を学んだ人たちは、磐田を中心とする地域で、幼稚園・保育園、病院、高齢者施設などの担い手になっていったと考えられる。学校の歴史は校地の中だけで完結するものではなく、卒業した人々がどこで誰を支えたかという形で、地域の暮らしの中に残る。磐田北高校の場合、その残り方が「人を支える仕事」という具体的な姿をしている点に、この学校の地域史としての意味がある。

見付という土地が、古くは国府の置かれた地域の中心であり、東海道の宿場として人を迎えてきた場所であったことを思えば、その見付に女子教育の拠点が生まれ、やがて福祉と共生共育の学校へと育っていったことは、偶然の積み重ね以上の連なりに見える。磐田北高校の歴史は、磐田が人を育て、人を支えてきた土地であることを、教育の側から静かに語っている。

沿革のあらまし

できごと
明治42年(1909)磐田郡立実践高等女学校として開校
明治44年(1911)磐田郡立高等女学校に改称
大正8年(1919)静岡県磐田高等女学校に改称
大正11年(1922)県立に移管、静岡県立見付高等女学校に
昭和14年(1939)新校舎落成、現在地へ移転
昭和23年(1948)学制改革により静岡県立磐田第二高等学校に
昭和24年(1949)磐田実業高等学校と統合、静岡県立磐田北高等学校に改称
昭和28年(1953)附設幼稚園を設置認可
昭和38年(1963)保育科を設置
昭和49年(1974)衛生看護科を設置
平成8年(1996)保育科 閉科
平成10年(1998)附設幼稚園 閉園
平成11年(1999)男女共学開始、校訓を改定
平成14年(2002)福祉科を設置
平成16年(2004)衛生看護科 閉科
平成22年(2010)袋井特別支援学校磐田見付分校を校地内に設置
令和元年(2019)創立110周年記念式典

年号は静岡県立磐田北高等学校の公式沿革を基本とし、一部の設置・改称年については静岡県・磐田市の公開資料および公開された百科事典類の記述と照合した。資料により表記が分かれる箇所があるため、細部は各一次資料での確認をすすめる。

参考資料

この地域の家・土地・空き家について

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