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磐田物語中泉地区 / 神宮寺

中泉宗教史 / 神仏習合・神仏分離

府八幡宮の神宮寺と神仏分離

現在の府八幡宮からは想像しにくいが、江戸時代の境内には寺があり、僧が住み、仏像を祀る本地堂があった。神と仏は別々の制度ではなく、同じ境内で祭られていたのである。本稿は神宮寺の位置と運営、本地堂の阿弥陀三尊、慶応4年(1868年)の神仏分離で何が移されたかをたどる。

1. 楼門東側にあった「神宮寺中」

『府八幡宮ものがたり』が掲載する江戸時代の絵図では、楼門の東側に「神宮寺中」と書かれた広い区画がある。現在の社務所付近に当たり、僧が住む庫裏と仏像を安置する堂2棟が描かれるという。寺の中に僧がいて仏を祭りながら、神社の祭りや事務にも携わった。

近世の神仏習合では、神社に僧が住み、寺院の境内で神を祭ることは珍しくなかった。一家に神棚と仏壇が並ぶように、神と仏を同じ生活世界で受け止めていたのである。明治以後の境内だけを基準にすると、この複合した姿を見失う。

2. 本地堂と阿弥陀三尊

神宮寺だけでなく、本地堂も境内にあった。冊子によれば、現在も本殿東側に宝珠を載せた四角錐形の屋根を持つ堂があり、阿弥陀如来をこの八幡神の本地仏として祭った建物と説明される。本地垂迹説では、神は仏が人々を救うために現した仮の姿と考える。

神宮寺が管理した阿弥陀三尊像は、神仏分離後に泉蔵寺へ移され、のち本堂内へ戻されたと『中泉町誌』を引いて冊子は述べる。この三尊像は、府八幡宮の神仏習合を物として裏づける資料である。社宝と棟札で扱う僧形八幡像も、神が仏の姿を取る信仰を伝える。

用語:本地垂迹説は、仏を本来の姿(本地)、日本の神を仏が現した姿(垂迹)と見る考え方である。府八幡宮の阿弥陀如来をめぐる説明は、この枠組みに基づく。

3. 神宮寺の僧は誰が選ばれたのか

神宮寺は真言宗であったため、江戸時代の寺院統制のもとで真言宗智山派の西楽寺に属した。神宮寺にあった仏像・仏具として、胎蔵界大日如来、地蔵菩薩、不動明王2体、弘法大師像、弁財天、八祖掛軸、護摩器などを冊子は列挙し、天明6年(1786年)の「神宮寺常什物記」を典拠に挙げる。

神宮寺僧の選任も普通の寺僧と大きく変わらない。冊子が紹介する嘉永4年(1851年)の例では、尾張出身の僧が近隣寺院で修行し、京都智積院でも学んだ後、真言宗神宮寺の留守居となって中泉へ赴任した。任職時には幕府への忠誠、本寺との関係維持、寺門興隆を誓ったという。

神宮寺は八幡社領250石のうち10石分の分け前を得ていたと冊子は記す。秋鹿神主家大場家だけでなく、僧侶も境内運営の一角を担ったことになる。

4. 慶応4年、神と仏を分ける命令

慶応4年(1868年)3月、新政府は神社を古代の姿へ戻す方針を掲げ、社僧を復飾させ、権現・牛頭天王など仏教的な神号を改め、仏像・梵鐘・仏具を撤去するよう命じた。一般に神仏判然令と呼ばれる一連の命令である。

府八幡宮も混乱した。冊子が引用する西楽寺文書によれば、神主秋鹿内匠は大場図書を使者として西楽寺へ走らせ、「本地堂をすぐ壊す必要はないが、仏像だけでも預かってほしい」と求めた。西楽寺は当初、復飾するかを迷う社僧が7人いることなどを理由に返事を留保した。

最終的に、阿弥陀三尊、大日如来、地蔵尊、不動尊、仏器、半鐘などを西楽寺へ運ぶことになったと文書は伝える。制度の変更が、境内の物の移動として具体化した瞬間である。

段階記録される動き史料上の注意
3月13日以後神社・僧侶・仏像を分離する命令複数の布告を総称して扱う
4月11日秋鹿家から西楽寺へ使者西楽寺文書に基づく
4月12〜14日受入れをめぐる返答と調整日付と文面の全文照合が必要
4月15日仏像・仏具を西楽寺へ移送移送品目と現所在を再確認

5. 消えた寺、残った築地塀と仏像

神宮寺の仏像は処分を免れ、東照宮は本社西側へ移された。神宮寺の土塀の一部と、泉蔵寺へ移された阿弥陀三尊が、かつての神仏習合を伝えると冊子は述べる。本地堂と神宮寺が直ちに取り壊されたわけではなかったという点も、命令と現場対応の時間差を示す。

全国では神仏分離の過程で廃仏毀釈が起こり、仏像・仏具・建物が失われた。府八幡宮でも宗教空間は大きく変わったが、移送によって残った物がある。現在の境内を「最初から神社だけだった場所」と見ず、失われた寺域を重ねて歩く必要がある。

6. どこまで史実として言えるか

基礎資料の『府八幡宮ものがたり』は2007年に神社が編纂した二次資料であり、絵図、『中泉町誌』、西楽寺文書、「神宮寺常什物記」を要約している。本稿では、冊子が文書名・日付を示す事項と、一般的な神仏習合の説明を分けた。

今後の核心は、西楽寺文書の全文翻刻、天明6年什物記と現存品の照合、神宮寺僧の歴代、本地堂・庫裏の建築調査、阿弥陀三尊の現所在と修理歴である。府八幡宮総合史楼門奉納絵馬へつなぐことで、失われた境内の構成を復元できる。

参考資料

  • 府八幡宮編・発行『府八幡宮ものがたり』2007年10月1日、60〜63頁
  • 同冊子が引用する『中泉町誌』、天明6年「神宮寺常什物記」、西楽寺文書(原本未照合)

更新履歴

  • 初版公開。神宮寺から神仏分離までを整理した。