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磐田物語磐田の祭り掛塚まつり / 九町の屋台

掛塚まつり特集|子ページ2

九町の屋台と、名工たちの系譜

総漆塗りに金箔、彫刻と刺繍天幕。掛塚の屋台は、湊町の経済力と各地の名工を結ぶ海運ネットワークが生んだ動く美術館である。

確かなこと

巨大なダシから、美術工芸の屋台へ

初期の掛塚まつりは、二階造りの曳舞台の上に巨大なダシを立てる形態であった。徳川末期にダシの慣習が廃れ、屋台本体を恒久化し、美術工芸を施す方向へ転換したとされる。

海運で栄えた掛塚には、信州、尾張、三河、遠州の技術が流れ込んだ。商人たちは競うように彫刻、塗り、金箔、天幕に力を注ぎ、町ごとの誇りを屋台に刻んだ。

九町の屋台一覧

町別の色は読みやすさのための識別色であり、掛塚九町に公式色が存在することを示すものではない。

町(組)制作年主な彫刻師代表意匠
大当町(大組)寛政10年(1798年)頃彫雲堂吉門、立川和四郎富惇ら掛塚最古とされる。鬼板・懸魚「龍」、欄間「二見が浦」
新町(志組)慶応2年(1866年)立川和四郎冨重・冨種鬼板・懸魚「石橋山合戦」、欄間「虎の子渡し」。腰板「浪に千鳥」
本町(ほ組)明治13年(1880年)立川専四郎冨種、鈴木伝十ら鬼板・懸魚「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」、欄間「牡丹に獅子」
砂町(寿組)明治29年(1896年)伊藤松治郎(彫松)、大村善太郎ら鬼板「坂上田村麻呂」、懸魚「蛇化美女」
中町(な組)明治39年(1906年)伊藤松治郎(彫松)、早瀬利三郎鬼板「天岩戸開き」、懸魚「天鈿女命」
横町(よ組)明治40年(1907年)伊藤松治郎(彫松)、野々垣清三郎ら鬼板「黄石公」、懸魚「張良」、欄間「青砥藤綱」
蟹町(可組)大正6年(1917年)新美常次郎(彫常)、伊藤松治郎ら鬼板「日本武尊と賊」
田町(田組)昭和27年(1952年)浦部一郎鬼板・懸魚「源頼光 大江山の鬼退治」
東町(ひ組)平成9年(1997年)早瀬宏鬼板「司馬温公 甕割の図」、欄間「桐に鳳凰」

意匠を読む

屋台彫刻には、二十四孝、司馬温公、黄石公と張良などの中国故事、素戔嗚尊、天岩戸、日本武尊などの神話、源頼光らの武者絵が並ぶ。商人が儒教的道徳や英雄譚を選んだ背景には、装飾欲求だけでなく、地域の秩序維持や子弟教育、教養を示す機能があったと推察される。

編集メモ

親ページや市文化財表記では「屋台8基が市指定」とする資料と「屋台9基」とする資料がある。本ページでは「九町が屋台を曳く」を基本とし、市指定の基数は資料により8基・9基の表記があると注記する。

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