確かなこと
- 主祭神は水を司る高龗神である。
- 慶安元年(1648年)、徳川家光より社領8石の朱印状を受けた。
- 明治6年(1873年)郷社、明治40年(1907年)神饌幣帛料供進社、大正13年(1924年)県社、昭和56年(1981年)神社本庁5級社となった。
- 天正4年(1576年)社殿再建の記録があり、明治16年(1883年)の大火後、明治20年に本殿、明治30年に拝殿・幣殿を再建した。
- 明治6年、掛塚9ヶ町の津島神社が境内に合祀された。
水運の町に必要だった水神
掛塚は天竜川河口に開けた湊町である。川は木材や物資を運び、遠州灘へ船を送り出す道であった。同時に、天竜川は水害をもたらす川でもあった。水を司る高龗神を祀る貴船神社は、廻船業者や湊町の人びとにとって、富をもたらす水と、生活を脅かす水の双方に向き合う場所であった。
静岡県内の貴船神社29社のうち20社が県西部、特に天竜川水系に集中するとされる。水神信仰は抽象的な信仰ではなく、川と海のそばで暮らす人々の切実な感覚に根ざしていた。
社殿と末社群
貴船神社には厳島、愛宕、伊雑宮、神明、白山、東照宮、住吉、多度などの末社が伝わる。海上安全、水防、防火、防疫、国家祭祀など、湊町に必要な祈りが境内に重ねられていった。
明治16年の大火は社殿と神木を焼失させたが、明治20年に本殿、明治30年に拝殿・幣殿が再建された。昭和10年には幣殿の大改築も行われ、現在の祭礼空間へつながっている。
津島社と祇園祭
明治6年、掛塚9ヶ町の津島神社が境内に合祀された。尾張の津島神社から勧請された信仰であり、港町における防疫の祈りと結びつく。
大当町・新町・蟹町・東町には現在も津島社が残り、6月14・15日に祇園祭が行われる。茅の輪くぐりは蘇民将来の故事に由来し、長さ二丈六尺、約7.8メートルの輪をくぐる民俗的な痕跡である。
伝承として扱うこと
創建年代は不詳である。徳川家康の遠江平定、すなわち天正年間以前の創建と伝わるが、これは伝承として扱う。往古は「貴布祢明神」「木船」「黄船」などとも記され、明治4年(1871年)の太政官達で「貴船神社」に統一されたとされる。
以下は地域に伝わる言い伝えを含み、史実として確認された創建年代ではない。
編集メモ
水運の富と水害の恐れは表裏一体だった。龍神、水神への祈りは、掛塚の人々にとって信仰であると同時に生存の知恵でもあった。
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