磐田物語
磐田物語磐田の祭り掛塚まつり / 貴船神社

掛塚まつり特集|子ページ1

貴船神社の由緒と、水神への祈り

湊町の富は水によって運ばれ、水の荒れによって失われもした。貴船神社への信仰は、その両面を抱えた掛塚の生存の知恵である。

確かなこと

水運の町に必要だった水神

掛塚は天竜川河口に開けた湊町である。川は木材や物資を運び、遠州灘へ船を送り出す道であった。同時に、天竜川は水害をもたらす川でもあった。水を司る高龗神を祀る貴船神社は、廻船業者や湊町の人びとにとって、富をもたらす水と、生活を脅かす水の双方に向き合う場所であった。

静岡県内の貴船神社29社のうち20社が県西部、特に天竜川水系に集中するとされる。水神信仰は抽象的な信仰ではなく、川と海のそばで暮らす人々の切実な感覚に根ざしていた。

社殿と末社群

貴船神社には厳島、愛宕、伊雑宮、神明、白山、東照宮、住吉、多度などの末社が伝わる。海上安全、水防、防火、防疫、国家祭祀など、湊町に必要な祈りが境内に重ねられていった。

明治16年の大火は社殿と神木を焼失させたが、明治20年に本殿、明治30年に拝殿・幣殿が再建された。昭和10年には幣殿の大改築も行われ、現在の祭礼空間へつながっている。

津島社と祇園祭

明治6年、掛塚9ヶ町の津島神社が境内に合祀された。尾張の津島神社から勧請された信仰であり、港町における防疫の祈りと結びつく。

大当町・新町・蟹町・東町には現在も津島社が残り、6月14・15日に祇園祭が行われる。茅の輪くぐりは蘇民将来の故事に由来し、長さ二丈六尺、約7.8メートルの輪をくぐる民俗的な痕跡である。

伝承として扱うこと

創建年代は不詳である。徳川家康の遠江平定、すなわち天正年間以前の創建と伝わるが、これは伝承として扱う。往古は「貴布祢明神」「木船」「黄船」などとも記され、明治4年(1871年)の太政官達で「貴船神社」に統一されたとされる。

以下は地域に伝わる言い伝えを含み、史実として確認された創建年代ではない。

編集メモ

水運の富と水害の恐れは表裏一体だった。龍神、水神への祈りは、掛塚の人々にとって信仰であると同時に生存の知恵でもあった。

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