明治初めの教科書は、東京から届く本だけではなかった。見付の古澤書店は教科書の翻刻に関わり、地元の教師と書家が習字の教材を作った。学校を開くための校舎や寄付に加え、児童の手元へ本を届ける仕事があったのである。『磐田人物往来』の記述と図書館の書誌情報を照らし、編む人、書く人、出版する人を分けてたどる。
学校に本を届けた古澤書店
松下正「近代教育の黎明期に学校を支えた人々」は、明治初期の学校を支えた住民や教員を描くなかで、見付の古澤書店による教科書出版を取り上げる。『磐田人物往来』(磐田歴史の会、2001年)の68頁にある記述で、古澤良作の名とともに、教科書を地域へ行き渡らせる仕事を紹介している。学校を建てた人の歴史に、学ぶための本を供給した人の歴史を加える手掛かりになる。[松下、68頁]
松下が挙げるのは、『小学読本』『書牘』『地理初歩』『児童心得』『習字臨本』などである。読む、書く、地理を学ぶ、学校生活の心得に触れるという異なる用途の本が並ぶ。すべてを一冊の総合教科書のように扱うのではなく、学習内容に応じて複数の教材が必要だったことを押さえたい。書名の列挙だけでは、各校が何冊ずつ購入したかまでは分からない。
ここで重要になる語が「翻刻」である。既にある本をもとに、別の出版者が刊行する行為を指す。古澤良作が出版者として現れるからといって、その本の内容をすべて独自に書いたことにはならない。文部省や師範学校に関わる原版と、地域でそれを刊行する人の仕事を分けると、全国的な教育内容と地方の出版活動が同時に存在したことが見える。
本を作る仕事には、内容を整えること、文字を版にする準備、紙や印刷、製本、販売など複数の段階がある。ただし、古澤書店がそのすべてを自店で行ったとは本資料から確認できない。出版者の名は責任の所在を知る入口になるが、印刷場所や職人、費用の内訳まで自動的に説明するものではない。本稿は出版と印刷を同義にせず、確かめられる役割を示す。
松下の記述は、学校が始まれば必要な教科書も自然にそろった、という理解を改めさせる。校舎があり、教員がいても、授業で使う教材を調達する仕事は残る。旧見付学校と学びのまちが扱う学校づくりを、出版という側面から見ると、商店の仕事も教育を支える条件の一つだったことが分かる。
本稿では、松下の地域史の叙述に、図書館が公開する刊本の書誌情報を組み合わせる。人物や地域のつながりは前者が詳しく、書名、出版者、刊行年、所蔵先は後者で確認できる。異なる種類の資料を合わせても、売上帳や学校の購入記録が確認できたわけではない。実際にどの教室へ何冊届いたかは、出版の存在とは分けて扱う。
また、明治・大正期の学校生活には別の文脈で古沢脩の名が登場する。姓が似ているからといって、本稿の古澤良作と同一人物としてまとめたり、家族関係を補ったりはしない。人物をつなぐには名簿や家の記録などの裏付けが必要である。ここでは、刊本の出版者名と松下論考に明記された良作を対象とする。
教師が編み、書家が書く
古澤書店の仕事のうち、地元の教員との協働が具体的に見えるのが『下等小学習字臨本』である。松下は、塚原重応と山内天見が編纂し、古田桂所が書を担当し、古澤良作が出版したと記す。編纂、筆写・揮毫、出版を異なる仕事として捉えることで、表紙に一人の名だけを探して終える読み方から離れられる。[松下、68頁]
塚原重応は中泉学校の初代校長として、山内天見と古田桂所は見付の教員として同論考に登場する。学校が違っても、教材を作る仕事では人がつながった。中泉学校の成立と旧校舎で扱う塚原を、校長就任や校舎の歴史だけでなく、児童が文字を学ぶための教材に関わった人として読むことができる。
習字の教材では、何を書くかに加えて、文字がどのような形で示されるかが学習に関わる。古田桂所が書を担ったという記述は、単に著名な書家の名前を添えたということではない。学ぶ人が見てまねる字を用意する仕事として意味を持つ。ただし、どの字を誰が選んだか、校正を誰が行ったか、学年ごとにどう使ったかまでは、松下の短い紹介からは確定できない。
磐田市立図書館の人物紹介「古田桂所」も、桂所が見付学校の教員となり、『下等小学習字臨本』の一~三を執筆したこと、資料が静岡県立中央図書館に所蔵されることを記す。人物紹介では「執筆」、松下では書の担当を示す説明になっている。これを直ちに編纂者の違いと考えず、役割を記す言葉の粒度が異なると捉え、書誌と刊本の記載をさらに照合する余地を残す。[磐田市立図書館「古田桂所」]
| 人名 | 松下論考での役割 | 学校との接点 |
|---|---|---|
| 塚原重応 | 編纂 | 中泉学校の初代校長 |
| 山内天見 | 編纂 | 見付の教員 |
| 古田桂所 | 書を担当 | 見付の教員・書家 |
| 古澤良作 | 出版 | 教材を刊行する側 |
この分担からは、教育内容を知る教員、字を示す専門性を持つ書家、本として届ける出版者が接点を持ったと読める。教師が教室の中だけで教材を使う立場ではなく、教材を作る側にもいたことが、この事例の特徴である。一方、編纂者の肩書だけで、児童にとって学びやすい本だったかどうかを判定することはできない。使用した子どものノートや教師の日誌が別の証拠になる。
また、松下が記した役割を、現在の出版社の編集部、著者、デザイナーと一対一で対応させるのも慎重でありたい。仕事の区切り方は同じとは限らないからである。この記事の図は四人の名と資料にある役割を見やすく整理したものにとどめ、契約関係や報酬の流れを示していない。確かめられる協働の姿を、その時代の言葉に即して伝える。
現存本の書誌から版を見分ける
古澤良作の出版を、後年の人物紹介以外からも確かめられる例が『萬國地誌略 巻之1』である。東京学芸大学教育コンテンツアーカイブは、師範学校の編輯、古澤良作の出版、1879年の刊行としてこの本を公開している。原版刊行者には文部省が記され、所蔵は同大学附属図書館の望月文庫、資料IDは10681374である。[東京学芸大学、資料ID10681374]
この書誌は、内容を編む主体、原版に関わる機関、手元の版の出版者を区別する手掛かりになる。「文部省の本」と「古澤良作の本」は、必ずしも相反する説明ではない。どの役割を指しているかが違うからである。古い本を調べる際に、表紙に目立つ名だけで著者と出版者を決めると、地方で刊行された版の存在を見落とすことがある。
もう一つの例が、国立情報学研究所のCiNii Booksに登録された『地理初歩』である。師範学校編纂、出版者は古澤良作、出版地は東阪町(静岡県)、出版年月は推定を示す角括弧付きの「1879.4」とされる。国立教育政策研究所教育図書館に所蔵がある。この書誌上の年を、根拠が確定した印刷日であるかのように書き直さないことが重要である。[CiNii Books、BB1376592X]
同書誌の注記では、見返しに文部省刊行の表示と、明治7年8月の改正、古澤良作の翻刻を示す記載があるとされる。ここには、内容が改められた時期と、所蔵本の刊行時期という別の時間が重なる。「明治7年」と「1879年」が同じ本の情報に現れても、ただちに誤りや矛盾とはいえない。まず、それぞれが改正、翻刻、刊行のどれを示すかを見分ける必要がある。
| 書名 | 刊行年の表示 | 出版者・所蔵 |
|---|---|---|
| 萬國地誌略 巻之1 | 1879年 | 古澤良作/東京学芸大学附属図書館・望月文庫 |
| 地理初歩 | [1879.4] | 古澤良作/国立教育政策研究所教育図書館 |
以上は所蔵機関等が公開する書誌情報との照合であり、二冊の奥付をすべて独自に翻刻したものではない。公開画像と書誌情報は確認の手段として役割が異なる。本文の文字や図の特徴を論じるにはページの確認が必要であり、所蔵や請求記号を知るには書誌が役立つ。今回の記事では出版者と版の違いを中心に扱い、教科書全体の内容分析まで行ったとの表現はしない。
市の資料に載る教科書の図版も参照できる。磐田市教育委員会『史跡旧見付学校附磐田文庫保存活用計画』(2024年3月)の資料編32頁(PDF36頁)は、学校関係資料の教科書を写真で示し、その一つに「小学読本 見付・古澤書店翻刻」と説明を添えている。遠方の所蔵機関の書誌に加え、市の資料からも見付で刊行された本の姿をたどれる。現物の展示・閲覧の可否は、訪問時点の公式案内で別に確認する。[磐田市教育委員会、資料編32頁]
学校で使われた本を探すときには、書名だけでなく巻数、出版者、刊行年、所蔵先を控えると、同じ題名の別版を混同しにくい。明治の教材は内容を引き継ぎながら地域ごとに刊行された場合がある。この見付の事例は、本が全国的な教育制度と地域の仕事の双方に支えられていたことを、具体的な資料名から考える入口になる。
出版と教室の間にある仕事
松下は『天竜市史』の記述を引き、天竜学校で古澤良作の翻刻本が使われたことを紹介する。見付の出版活動が他の地域の学校にも関わったことを示す記述である。ただし本稿は『天竜市史』の該当原文や学校の購入簿を直接照合していないため、松下による紹介として示す。一校の記述を、静岡県全域で採用された証拠へ拡張しない。[松下、68頁]
刊行されたこと、販売されたこと、学校が購入したこと、児童が授業で使ったことは、それぞれ別の段階である。出版者名のある本が残っていても、刷った部数や売れた数は分からない。学校の蔵書印があれば、その学校が所蔵した手掛かりになるが、全児童に配られたことまで証明するとは限らない。教材の普及を語る際には、資料が示す段階をそろえる必要がある。
この区別は、学校組合と教育財政ともつながる。学校を支える費用には、校舎を一度建てる支出だけでなく、教材を調達する支出がある。教科書代を学校、家庭、寄付者の誰が負担したかによって、学ぶ機会の条件は変わる。今回の資料では古澤本の価格や学校ごとの購入額が分からないため、安価だった、誰もが買えた、といった評価は加えない。
また、教師が教材制作に関わることは、授業で感じた課題が本の形になる可能性を示す。ただし『下等小学習字臨本』について、特定の児童の困りごとを解決するために編纂されたとまでは記録されていない。編纂者が地域の教育に携わっていた事実と、制作の動機に関する推測を区別することで、具体性を保ちながら過度な物語化を避けられる。
見付の教科書出版を特徴づけるのは、学校、書家、商店が同じ町の歴史の中で結びつくことである。校舎の保存や教員の顕彰に比べ、出版者の仕事は紙の本が残らなければ見えにくい。遠くの図書館に所蔵される刊本も、見付の教育史を考える資料になる。現在の所蔵地と、かつて出版された場所を分けて把握すれば、地域の記憶を地域内の現物だけに限定せずに済む。
現地の学校跡を訪ねる際にも、建物がどのように作られたかに加え、そこへ持ち込まれた教材を想像する手掛かりとして書誌が役立つ。ただし、本稿の図は当時の教室の再現ではなく、本文にある制作の役割と情報の読み方を整理したものである。原資料の紙面を見せる代わりに、読者が所蔵先へたどれる書名と識別情報を示した。
学校の成立を支えたのは、寄付者や建築の担い手だけではない。内容を編む教師、字を書く人、本として送り出す出版者もいた。古澤良作と地元の教員たちの事例を通じて、その仕事を分けて記録することができる。現存本の書誌で確かめられる出版の事実と、今後購入簿などで追うべき流通の実態を分けたうえで、見付の学びを支えた紙の仕事として位置づけたい。
- 松下正「近代教育の黎明期に学校を支えた人々」『磐田人物往来』磐田歴史の会、2001年、43–71頁、特に68頁。提供紙面を確認。引用先『天竜市史』の原文は未照合。
- 磐田市立図書館「古田桂所」。教員歴と『下等小学習字臨本』の紹介・所蔵情報を参照。
- 東京学芸大学教育コンテンツアーカイブ『萬國地誌略 巻之1』。望月文庫、資料ID10681374、請求記号T1A11/33/Sh31b。公開書誌を参照。
- CiNii Books『地理初歩』、書誌ID BB1376592X。国立教育政策研究所教育図書館所蔵、請求記号K110.25||82。公開書誌を参照。ウェブ資料は2026年10月18日閲覧。
- 磐田市教育委員会『史跡旧見付学校附磐田文庫保存活用計画』資料編、2024年3月、32頁(PDF36頁)。教科書図版と古澤書店翻刻の説明を参照。2026年10月19日閲覧。
更新履歴
- 市の保存活用計画資料編32頁の教科書図版への参照を追補。
- 作成。資料の性格、活動の経過、役割の分担を整理。