明治元年(1868年)12月、新政府は伝馬宿の改革法を示した。問屋役人・助郷惣代など旧来の呼称を改め、宿駅役人と助郷惣代を組織し、駅逓司の下で交通を運営しようとした。『東海道遠州見付宿』250〜266頁は、改革法書、見付宿附属新助郷、駅逓役所の文書、旅行帳を並べる。宿場は一夜で消えず、旧制度を組み替えながら駅逓へ移った。
- 明治元年12月の改革法は、旧役職名を改め、宿と助郷を一体の組織へまとめようとした。
- 問屋・年寄の世襲に限らず役人を選び、旧弊と不正を整理する方針が示された。
- 助郷は直ちに廃止されず、見付宿附属の新助郷が加えられ、四歩勤などの割付が命じられた。
- 駅逓司・駅逓役所への改称は、郵便を含む近代制度への移行過程を示す。
「御一新」は改称だけではない。 同書250〜251頁の伝馬宿改革法は、宿場と助郷の間で生じた雑費、不正、紛争を整理することを課題に掲げる。問屋役人、助郷惣代などの呼称を改め、宿駅役人と助郷惣代を一体に組織し、伝馬所取締役を置く。名称変更は、幕府の宿駅機構を新政府の行政へ接続し直すための操作であった。
改革法は、役人を従来の問屋・年寄の家筋だけに限定せず、宿と助郷の事情に通じた者から選ぶ方向を示す。世襲を全面否定したというより、急な継立に支障を出さない実務能力を優先した。旧制度を担った人材を用いながら、権限と会計を組み替える移行期の特徴が表れている。
改革法の八つの要点
| 論点 | 改革の方向 | 見付での意味 |
|---|---|---|
| 組織 | 宿と助郷を一体の組へ | 対立する会計を共同管理へ近づける |
| 役職 | 宿駅役人・助郷惣代・取締役 | 旧問屋役の権限を再編 |
| 選任 | 世襲に限らず適任者 | 急継立の実務を優先 |
| 会計 | 雑費・借財・不正の整理 | 宿と助郷の負担争いを減らす |
| 助郷 | 勤高に応じて組み替え | 廃止ではなく再配分 |
同書は改革法を八ヶ条として紹介する。ここでは条文を現代語へ逐語訳せず、組織・選任・会計・助郷の四領域に整理した。細かな語句には複写で判読しにくい部分があるため、原文引用は避けた。
助郷は残り、範囲が変わる。 新政府になれば助郷が即時廃止された、という理解は第七章の文書と合わない。同書252〜253頁は、従来の助郷制を改めながら、新たな見付宿附属助郷を加えた記録を掲げる。遠州磐田郡の村々へ、残高の四歩勤など、勤高に応じた割付を命じている。
これは制度の連続と転換を同時に示す。宿駅の人馬需要は政権交代で消えない。東京と京都を結ぶ移動が続く以上、沿道から人馬を集める必要があった。新政府は助郷の名称や組合、賃銭、取締を改めたが、地域の労働力に依存する構造を引き継いだ。
助郷68ヶ村が江戸後期の68・84・123ヶ村への変遷を扱うのに対し、本稿は明治初年の再編を見る。数字を連結する場合は、指定年、勤高、附属先をそろえなければならない。
中泉役所と駅逓役所
同書252頁は、明治2年(1869年)7月、見付宿の吉田宗平・森下善助らが中泉役所から新たな役へ任命された文書を紹介する。見付の交通行政は、旧宿役人の内部だけでなく、中泉の新政府地方機構との関係で再編された。
同書250頁は、駅逓司が明治元年の会計官に新設され、翌年8月に駅逓寮と改称された経過を記す。駅逓は人馬継立だけでなく、後の郵便制度へつながる行政分野である。見付の文書に「駅逓役所」「駅逓御役所」が現れることは、宿駅が近代交通通信機構へ組み込まれつつあったことを示す。
旅費帳が示す制度の実際。 法令だけでは改革が現場でどう働いたか分からない。同書257〜266頁は、慶応4年正月の上村清兵衛出府小遣帳などを用い、見付から江戸への往復旅程、宿、駕籠、人足、食費を表にする。旅行帳は、宿駅制度を利用者側から測る資料である。
同書257頁は、16日間の旅費を金21両とする例を掲げ、当時の小遣帳が宿代、昼食、駕籠、雇人足を細かく記したことを述べる。ただし旅人数、身分、荷物、経路、物価が限定された一例である。一般旅人の平均費用とは見なさない。
表に並ぶ宿名と支払項目は、改革後も東海道の宿泊・継立網が機能していたことを示す。一方、同書266頁は明治2年の旅行で助郷がほとんど機能せず、伝馬費用を負担する状況も記す。法令の公布と現場の実施には時間差があった。
法令・任命書・旅行帳の三層。 制度移行は三種類の史料を分けると読みやすい。法令は政府が目指した原則、任命書は地域で責任を負った人、旅行帳は旅人が実際に支払った金額と手続きを示す。三層が一致すれば改革の実施を確認でき、ずれれば旧慣の継続や地域的な調整を探る手掛かりとなる。
郵便制度への接続を急がない。 駅逓という名称が現れたことと、近代郵便が見付で同じ日に始まったことは同義ではない。継立の行政改革、郵便取扱所の設置、料金制度、消印の使用にはそれぞれ時期がある。郵便史へ接続するには、県の布達、取扱所文書、郵便印を別に確認しなければならない。
旧幕府と新政府の違い。 水野氏記録が見た幕末では、幕府軍と新政府軍の通行が同じ宿へ連続して来る様子を見た。新政府は賃銭支払と役人選任を改め、旧弊の整理を掲げた。しかし宿附助郷の追加と四歩勤は、負担そのものがなくならなかったことを示す。
したがって本稿は「新政府が宿場を解放した」とも「名称だけ変えて何も変わらなかった」とも断定しない。賃銭、選任、会計監督は転換であり、人馬供給を沿道へ依存する点は連続である。二面を分けて記述する。
明治5年の伝馬制廃止へ。 見付宿の伝馬制で示したとおり、宿駅伝馬制は明治5年(1872年)に廃止される。だが明治元年から5年までの間、旧宿場は役職と附属村を改めながら交通を担った。この移行期を飛ばして江戸の宿場から近代郵便へ一足に進むと、見付で続いた実務が見えなくなる。
駅逓司、駅逓寮、駅逓役所という名称の変化は、中央制度の改編を反映する。見付側では、伝馬所の帳面、人馬の調達、助郷の割付、旅費清算が新しい用語へ移し替えられた。制度転換は看板の掛け替えではなく、帳簿の項目と責任者を変える作業であった。
本稿の立場と史料の限界。 本稿の立場は、明治初年を旧制と新制が重なる移行期として捉えることである。改革法の理想と、見付宿附属新助郷・旅行帳が示す運用を分ける。法令に書かれた不正防止が実際に達成されたかは、会計帳簿と訴願書を照合しなければ分からない。
今回確認したのは『東海道遠州見付宿』250〜266頁の画像であり、所引文書原本は未照合である。旅行表の細字には判読困難箇所があるため、全宿の費目合計を再計算しなかった。次の課題は、改革法の原文、任命書、見付宿附属助郷帳、明治5年廃止時の引継文書を年代順に並べることである。
その照合ができれば、役人の交代、助郷範囲、賃銭、郵便取扱がいつ変わったかを一つの年表にできる。現段階では、旧宿駅が新政府の駅逓へ段階的に組み替えられたことを確定する。
更新履歴
- 『東海道遠州見付宿』250〜266頁を全頁画像照合し、新規公開。