『東海道遠州見付宿』(田中友次郎編著、1974年)は第二章の末尾に「見付町地名一覧」を掲げている。同書はこれを「現在の土地台帳から集めたもの」と説明し、宿政に因む地名で当時も残っているものを挙げておく、と述べる。宅地・畑・田の三つに分けて並べられたこの一覧は、それ自体は名前が羅列されているだけの素っ気ない資料である。しかし本書の他の章と突き合わせて読むと、一つひとつの名が、宿場町の建物や出来事の記憶を抱えていることが見えてくる。本稿ではまず一覧を地目ごとに翻刻し、次にいくつかの名を本書の記述と結びつけて読む。
- 同書の一覧は宅地5・畑約70・田約20の小字名からなり、1974年時点の土地台帳にもとづく。
- 鐘鋳塚は宿の御囲蔵が置かれた場所、元天神は天神社の旧祠の地と、いずれも本書の他の節に対応する記述がある。
- 城ノ腰・城山は中世の城の、護摩堂・薬師堂・地蔵小路・護世寺は堂庵の記憶を残す。
- 作兵衛新田・平次谷新田・桜新田など、開発者の名や新開を示す地名が田畑に残る。
一覧 ── 宅地・畑・田
同書の掲載順にしたがい、地目ごとに示す。複写資料からの翻刻であり、一部に判読の難しい字がある。疑わしいものには注を付した。
宅地。 向荒子/権現/東光寺/東光寺下/上ノ山
畑。 的場/住吉/東坂/川尻/地蔵小路/三本松/南天満/北天満/経塚/天神平/天神下/薬師堂/景ノ宮/一本杉/北野/茨気/川原山/桧子ヶ谷/元天神/大谷口/大善坊/狐塚/城ノ腰/寺小路/北井上/塔ノ壇/玄妙小路/出口/宮小路/馬場/西坂/蔵小路/南小路/西川尻/清水小路/横町/只来/境松/尼寺/蛇堀/川原/護摩堂/中道/茶碗焼/四ツ塚/護世寺/大明神下/川原出口/不動下/不動上/一本松/大明神上/甲塚/油殿/上野/一ノ谷/水堀/大上野/赤髭/枇杷打/大井戸/桜新田/鐘鋳塚/大谷平/広海道/大明神/化粧坂
田。 天王/国分寺西/境松/国分寺/尼寺/小悪路/小金堂/桑木海道/高山/吹付/城山/今ノ浦/作兵衛新田/平次谷新田/次郎太夫/菜莫ノ木(判読不確か)/鳥ノ瀬/方先/会下西
出典:田中友次郎編著『東海道遠州見付宿』所載「見付町地名一覧」。同書は現在(1974年当時)の土地台帳から集めたものと注記する。「出口」は原表に複数箇所現れるが、本稿では一度のみ掲げた。
本書の記述と結びつく地名。 この一覧の価値は、同じ本の他の節と突き合わせたときに現れる。いくつか挙げてみよう。
| 地名 | 本書の他の節に見える対応 |
|---|---|
| 鐘鋳塚(畑) | 宿の御囲蔵が置かれ、安政5・6年頃に米339石が詰め置かれた場所(中泉代官と見付宿の年貢) |
| 元天神(畑) | 天神社の北方にあった旧祠「元天神」の地(十一ヶ寺と二社) |
| 薬師堂・護摩堂・地蔵小路・護世寺・大明神・不動上/不動下(畑) | 十一ヶ寺の外に点在した堂庵と、その帰属先の寺(同上) |
| 玄妙小路・寺小路・尼寺(畑・田) | 玄妙寺ほか、街道から引き込んだ寺の門前小路 |
| 東坂・西坂・馬場・横町(畑) | 伝馬役を負った宿の中心三町と横町(宿を動かした人々) |
| 三本松・一本松・一本杉・境松(畑・田) | 宿の東西の目印となった街道の松。三本松は東の宿境、境松は西の入口(見付宿のすがたと戸口) |
| 只来(畑) | 境松から宿へ下る只来坂。茶店が並び名物の蕎麦を売った(同上) |
| 城ノ腰(畑)・城山(田) | 中世の城の記憶。見付城・見付端城をめぐる論点(遠江今川氏と見付端城) |
| 国分寺・国分寺西(田) | 聖武天皇天平年間の創建にかかる遠江国分寺の寺域(遠江国分寺跡) |
| 今ノ浦(田) | 宿の南に広がった今之浦の低湿地。今之浦流新田の開発地 |
| 作兵衛新田・平次谷新田・桜新田(田・畑) | 慶長から安永にかけての新田開発。人名を冠する新開地名(見付宿のすがたと戸口) |
| 甲塚(畑) | 磐田原台地の縁に築かれた古墳の記憶とみられる |
右欄のうち、鐘鋳塚・元天神・只来・国分寺・今ノ浦・作兵衛新田などは、同書の本文に直接その名が出てくるため、対応は確かである。一方、城ノ腰・城山・甲塚については、地名の字面と地形から想定される対応であって、同書がそう明記しているわけではない。ここでは推定として示すにとどめる。
地名が語る三つの層。 一覧全体を眺めると、見付の小字名にはおおよそ三つの層があることに気づく。
第一に、信仰の層である。薬師堂、護摩堂、地蔵小路、護世寺、大明神上、大明神下、不動上、不動下、権現、天王、住吉、景ノ宮、宮小路 ── 堂や社の名を冠した地名が、宅地・畑を通じてきわめて多い。十一ヶ寺と二社で見たとおり、宿には十一の寺と二つの社、そのほかに松尾院・十王堂・金仙寺・地蔵堂・徳宿院・不動堂明王寺といった堂庵があった。堂そのものが失われても、土地の名は残る。地名は、消えた建物のいちばん長持ちする痕跡なのである。
第二に、街道と宿の層である。東坂、西坂、馬場、横町、只来、境松、三本松、一本松、中道、広海道、川原出口、出口 ── 宿の町割りと街道の道すじが、そのまま畑の名になっている。宿場町という人工的な空間の輪郭が、農地の区画名として保存されているわけである。
第三に、地形と開発の層である。川尻、西川尻、川原、川原山、水堀、大井戸、蛇堀、一ノ谷、大谷口、大谷平、桧子ヶ谷、上野、大上野、北野、高山、吹付 ── 台地と谷と水の名。そして作兵衛新田、平次谷新田、桜新田、次郎太夫のように、開発にあたった人の名を残すもの。見付宿のすがたと戸口で見た慶長から安永にかけての新田開発が、田の小字として刻まれている。
なお、茶碗焼という畑の名も見える。焼物にかかわる場所であった可能性があるが、同書に説明はなく、本稿では由来を断定しない。化粧坂、赤髭、枇杷打、茨気といった名も、由来を伝える記録が同書には見当たらない。地名の意味を推し量ることは楽しいが、根拠のない語源説を重ねることは、かえって土地の記憶を曇らせる。ここでは名前をそのまま記録しておくことに徹したい。磐田市域の地名研究全般については全記事一覧の小字・地名資料の各ページもあわせて参照されたい。
更新履歴:2026年8月6日 新規公開(特集『東海道遠州見付宿』を読む・第9ページ)。