失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

INOTANI MEDIEVAL CEMETERY 07

土壙墓とは何か

一の谷に見られる土壙墓を、考古学用語ではなく人を弔う行為として解説します。

一の谷中世墳墓群と見付の中世墓域、地形、道、葬送、保存運動から、見付の中世をたどる。
特集の扉。写真ではなく、CSSで描いた見出し用の図版です。

土壙墓とは、地面に穴を掘り、そこに死者を葬る墓の形式です。一の谷では多数の土壙墓が確認されており、墓域の中心的な要素の一つになっています。

土壙墓を見ることは、派手な遺物よりも、弔いの基本的な形を確認する作業です。

土壙墓の基本

土壙墓は、土を掘った穴を墓として用いる形式です。石室を持つ古墳のような大きな構造物ではなく、地面の中に残る掘り込みや埋葬の痕跡から確認されます。地表を歩いても目印になるものは残っておらず、発掘調査で断面や平面を確認してはじめて、そこが墓であったと分かる種類の遺構です。

掘り込みの平面は、長方形に近いものや、隅の丸い楕円形に近いものなど一様ではありません。深さも場所によって差があります。こうした形や深さの違いは、その時々の葬送のやり方や、掘る場所の地質の違いを反映していると考えられますが、一つの理由に決めることはできません。

なお、同じ遺構を指す言葉として「土壙墓」と「土坑墓」の二つの表記が使われています。一の谷の発掘調査報告書をもとにした整理では「土壙墓」、磐田市教育委員会文化財課が一ノ谷公園の現地案内で用いる整理では「土坑墓」と書かれます。字は違いますが、いずれも「掘った穴を墓とした形式」を指しており、別の種類の墓を意味するものではありません。

どのように造られたか

穴の中に遺体を納める際、木製の棺が用いられた例があったと考えられています。棺そのものは土の中で失われますが、棺があったとみられる位置や、棺を固定するために詰められたと考えられる石が、穴の底の縁に沿って並んで残ることがあります。こうした石の並び方は、埋葬の手順を推し量る数少ない手がかりです。

穴の底に小さな石を一面に敷き並べた例も確認されています。棺を用いず直接埋葬したと考えられる例もあり、同じ土壙墓という括りの中にも、手の掛け方の差があったことがうかがえます。ただし、その差が身分の差なのか、時期の差なのか、あるいは埋葬した側の事情によるものなのかは、資料から一つに絞ることはできません。

一の谷で確認された数

一の谷の土壙墓の数については、参照する資料によって整理の仕方が異なります。発掘調査報告書にもとづく整理では、墳墓等が約百七十基、土壙墓が約百九十墓、造付け墓が十九基、茶毘跡が五十八基、集石墓が約千六百基とされています。一方、磐田市教育委員会文化財課が一ノ谷公園の現地案内で示す整理では、塚墓百六十二基、土坑墓二百七十七基、集石墓四百二十八基、コの字形区画墓二十基の合計八百八十八基、ほかに火葬遺構四十六か所、溝十四条とされています。

この二つの数値は、どちらかが誤りというより、集計の対象範囲や分類の基準が異なるためだと考えられます。磐田物語では、どちらか一方を正解として採らず、出典を示したうえで併記します。数の大小そのものより、複数の形式の墓が同じ丘陵にまとまって営まれていたという事実のほうが、一の谷を読むうえでは重要です。

墓域の中での位置づけ

土壙墓は、見た目には目立ちにくい墓です。しかし数がまとまって確認されると、そこに人々の葬送が繰り返されたことが分かります。一の谷では、土を盛り上げた塚墓、石を積んだり並べたりした集石墓、斜面を削ってコの字形に溝をめぐらせた区画墓など、複数の形式が同じ範囲に共存しています。

現地案内資料の整理では、最初に造られたのは塚墓で、その後に土坑墓や集石墓が加わり、最後まで造られ続けたのは集石墓だとされています。この見方に立てば、土壙墓は墓域が使われはじめた最初期のものではなく、墓の営まれ方が広がっていく途中の段階に位置づけられることになります。

一の谷の土壙墓を読むときは、個々の墓だけでなく、丘陵や谷の中でどの範囲にまとまるのかを見る必要があります。配置は、墓域の範囲や利用の変化を考える手がかりです。平安時代末頃から室町時代中頃までという長い幅の中で、どの位置がいつ使われたのかは、報告書の図面と照らし合わせてはじめて見えてきます。

土葬と火葬が併存していたこと

土壙墓は、穴を掘って遺体をそのまま納める形式です。しかし一の谷の墓域には、これと並んで火葬の痕跡がまとまって残っています。報告書にもとづく整理では茶毘跡が五十八基、現地案内資料の整理では火葬遺構が四十六か所とされ、いずれの数え方でも、決して例外的な数ではありません。

火葬遺構は、浅めの穴を掘って、その中で遺体を焼いた跡とされています。中央に細い溝を掘って煙道をつけたり、一段掘りくぼめたりして火力を高める工夫が見られる例もあり、地面の上で直接行われた場合もあったと考えられています。焼かれた骨は、甕や壺を転用した蔵骨器に納められたり、直接まとめて埋められたりしました。

つまり、この墓域では土葬と火葬が同じ時期に、同じ丘陵で並んで行われていたことになります。土壙墓だけを取り出して「一の谷の墓のかたち」とすることはできません。土壙墓を読むときは、そのすぐ隣に火の痕跡があったことを前提に置く必要があります。両者の使い分けが何によるものだったのか――時期なのか、家ごとの慣習なのか、身分なのか――は、資料からは決められていません。

いつからいつまで使われたのか

一の谷中世墳墓群は、平安時代末頃から室町時代中頃にかけて使われた墓域として整理されています。年数にすればおよそ三百年から四百年、現在から数えれば八百年前から四百年前ほどの幅にあたります。ひとつの世代が使った墓地ではなく、十世代以上にわたって使われ続けた場所だということです。

この長さは、土壙墓を読むうえで重要な条件になります。同じ丘陵にある墓でも、造られた時期が二百年離れていることがありえます。掘り方や石の使い方の違いを、身分や家の違いとして読む前に、まず時期の違いとして検討しなければならないのは、このためです。

また、これだけの期間ひとつの場所が墓域として使われ続けたということは、その場所が「ここは弔いの場である」と地域に共有され続けていたことを意味します。土地の使い方の記憶が、何世代にもわたって受け渡されていたと考えられます。

現地で見られるもの

一の谷の墓域が見つかったのは、水堀土地区画整理事業の地区内でした。発掘調査は昭和五十九年(一九八四年)から昭和六十三年(一九八八年)まで、五年間にわたって行われています。開発によって失われる前に記録するという性格の調査でした。

調査後、代表的な遺構を型取りして移築し、調査記録にもとづいて復元したものが、一ノ谷公園として公開されています。土の中にあった土壙墓そのものを地表で見ることはできませんが、復元された遺構を通して、掘り込みの大きさや配置の感覚をつかむことはできます。遺跡全体のようすは、縮尺七十五分の一の模型として磐田市埋蔵文化財センターに展示されています。

現地を歩く際は、住宅地や道路に接する場所もあるため、私有地への立ち入りを避け、文化財と地域の生活に配慮してください。歩き方の詳細は一の谷・見付散策ガイドにまとめています。

名前のない死者をどう扱うか

土壙墓から、そこに葬られた人の名前まで分かるわけではありません。だからといって、匿名の墓として片づけるべきではありません。文字史料に残るのは、国府や守護所に関わった一部の人々や、寺社に名を残した人々に限られます。土の中の墓は、その記録から漏れた大多数の人々が、確かにこの土地で生き、弔われたことを示す資料です。

見付の近くで、これだけの数の土壙墓が確認されることは、中世の人々がこの地を弔いの場として使い続けたことを示しています。資料から言える範囲を守りながら、その事実を丁寧に扱う必要があります。誰の墓かを想像で埋めるのではなく、分かること、推定できること、まだ分からないことを分けて記述することが、この墓域に対する誠実な向き合い方だと考えます。

この地域の家・土地・空き家について

見付のように古くから町が続いてきた地域では、家や土地にも、古い道、町内、寺社、地形との関係が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地をどうするか考えるときは、価格だけでなく、その場所の成り立ちも含めて整理することが大切です。磐田市内の家・土地・空き家については、富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。

参考資料・文献目録・資料紹介

本文は、発掘調査報告書や見付周辺の地域資料をもとに、磐田物語として要点を整理したものです。断定できない部分は、推定として扱っています。

  • 『一の谷中世墳墓群』(発掘調査報告書)
  • 『遠江見付の中世と一の谷遺跡』
  • 『一の谷中世墳墓群と見付の中世』
  • 磐田市教育委員会文化財課『一の谷中世墳墓群遺跡』現地案内パンフレット(平成21年3月発行、平成31年1月改訂)
  • 磐田市埋蔵文化財センター関連資料(遺跡全体の縮尺1/75模型を展示)

著者欄:磐田物語編集部。地域資料、現地の地形、公開資料を照合しながら、一般読者に読める形で整理しています。断定しきれない点は、可能性として慎重に記述しています。

見付のように古くから町が続いてきた地域では、家や土地の背景にも、古い道、町内、寺社、地形との関係が残っていることがあります。相続した家、空き家、使わなくなった土地を整理するときは、価格だけでなく、その場所の成り立ちも含めて考えることが大切です。

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