失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

INOTANI MEDIEVAL CEMETERY 10

出土遺物から見る中世見付

土器、陶器、金属器、骨、蔵骨器などの出土遺物から、中世見付の生活と葬送を読みます。

一の谷中世墳墓群と見付の中世墓域、地形、道、葬送、保存運動から、見付の中世をたどる。
特集の扉。写真ではなく、CSSで描いた見出し用の図版です。

出土遺物は、一の谷の墓域で行われた葬送や、見付周辺の暮らしを考える手がかりです。このページでは、遺物を美術品としてではなく、墓域を読むための資料として扱います。

器や骨、石、火の痕跡は、墓の形式だけでは分からない葬送の細部を補います。

遺物が示すこと

出土遺物は、そこに人の行為があったことを示します。器があれば納骨や供献を考える手がかりになり、火を受けた痕跡があれば火葬や儀礼の可能性を考える材料になります。

ただし、遺物の意味を一つに決めることはできません。報告書の分類や出土位置を確認しながら、墓域全体の中で考える必要があります。同じ器でも、蔵骨器として骨を納めるために置かれたのか、供献のために墓のそばに据えられたのかで、意味は変わります。出土した位置と、周囲の遺構との関係を確認しない限り、その区別はつきません。

何が出ているのか

磐田市教育委員会文化財課が一ノ谷公園の現地案内でまとめている整理によれば、一の谷からは次のようなものが出土しています。焼骨を納める蔵骨器として使われた甕や壺、中国から輸入された青磁・白磁、そして遺体とともに納められた副葬品としての鎌、瓦器、硯、銅製五輪塔、鉄鏃、短刀、剃刀、和鏡です。ほかに、供養のために建てられたと考えられる石塔も確認されています。

出土品性格
蔵骨器(瀬戸産・渥美産・常滑産の甕・壺)焼骨を納める容器として転用された、東海地方の窯業地の製品
輸入陶磁器(青磁・白磁)中国から運ばれてきたもの
鎌・瓦器・硯暮らしの道具や文具にあたる副葬品
銅製五輪塔供養のための小型の塔
鉄鏃・短刀・剃刀武具・刃物類の副葬品
和鏡遺体とともに納められた鏡
石塔供養のために建てられたと考えられる石造物

蔵骨器の産地として挙がる瀬戸・渥美・常滑は、いずれも現在の愛知県にあたる、中世を代表する窯業地です。これらは骨を納めるために特別に作られた器ではなく、日常的に流通していた甕や壺が、その用途に転用されたものと考えられています。

見付との関係

一の谷の遺物を、見付の町から切り離して見るべきではありません。町に近い墓域から出たものは、見付周辺で暮らした人々の葬送や信仰を考える手がかりになります。

とりわけ注意を引くのは、東海地方の窯業地の製品と、中国からの輸入陶磁器が同じ墓域から出ていることです。この時期の見付には遠江の国府や守護所が置かれ、東海道の宿駅としても機能していました。窯業地の製品が届き、輸入陶磁器までもが副葬されるという状況は、この町が遠方との流通の中に置かれていたことと切り離して考えることはできません。

遺物は、名前の分からない人々の生活や弔いを直接語るわけではありません。それでも、器や骨、石の出土状況は、文字史料だけでは見えない中世の見付を補ってくれます。副葬品の中に鎌や硯といった日常の道具が混じることは、ここに葬られたのが特別な身分の人だけではなかった可能性を示しています。

火の痕跡という「遺物」

器や金属器のように形の残るものだけが、墓域を読む材料ではありません。一の谷では、火葬を行った跡そのものが遺構として記録されています。報告書にもとづく整理では茶毘跡が五十八基、現地案内資料の整理では火葬遺構が四十六か所とされています。

これらは、浅めの穴を掘って、その中で遺体を焼いた跡と考えられています。中央に細い溝を掘って煙道をつけたり、一段掘りくぼめたりして火力を高める工夫が見られる例もあり、地面の上で直接行われた場合もあったとされます。工夫の跡があるということは、火葬が行き当たりばったりの処置ではなく、手順の分かっている作業として行われていたことを示します。

焼かれた骨は、蔵骨器に納められる場合もあれば、直接納められる場合もありました。木箱や曲物のような容器に入れられたと思われる例も確認されています。器が残らなくても、骨のまとまり方や火を受けた土の色から、そこで何が行われたかを推し量ることができます。土や火の痕跡もまた、読むべき資料です。

石塔をどう位置づけるか

出土品の中には、供養のために建てられたと考えられる石造物、すなわち石塔が含まれています。中世の墓や供養の場に立てられた石造物としては、五輪塔、宝篋印塔、板碑がよく知られています。一の谷から出土した銅製五輪塔は、これらを小型化して副葬したものと考えられます。

石塔が墓域に立てられるということには、意味があります。古代において手厚い供養や立派な墓は、限られた身分の人々のものでした。中世になると、武士や有力な農民、商人といった層まで、石塔を建てて死者を供養するようになります。背景には、念仏によって誰もが救われるとする教えが庶民へ広がったことがあると説明されています。

ただし、この一般的な説明を一の谷の個々の石塔にそのまま当てはめることはできません。どの石塔が誰の供養のために、いつ建てられたのかは、資料からは分かりません。石造物の形式と意味については中世の墓制と石造物で、一般的な概説としてまとめています。

断定しない読み方

出土品から分かることには限界があります。誰が使ったのか、どの家に関わるのか、なぜその場所に置かれたのかは、資料だけで確定できない場合があります。輸入陶磁器が出たからといって、そこに葬られた人が直接大陸と交易していたと結論づけることはできません。器は人の手を何度も渡って、この地に届いたと考えるほうが自然です。

副葬品の種類から被葬者の身分を推し量る読み方も、慎重さを要します。副葬品は、葬られた本人の持ち物とは限らず、送り出す側が選んだものである可能性もあるためです。武具が出たから武士、硯が出たから文筆に関わる人、という単純な対応づけは避けなければなりません。

磐田物語では、遺物を物語の飾りにせず、資料として扱います。分かること、推定できること、まだ分からないことを分けて読むことが大切です。一の谷の遺物についてより詳しい整理は、一の谷中世墳墓群遺跡のページであわせて読むことができます。

この地域の家・土地・空き家について

見付のように古くから町が続いてきた地域では、家や土地にも、古い道、町内、寺社、地形との関係が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地をどうするか考えるときは、価格だけでなく、その場所の成り立ちも含めて整理することが大切です。磐田市内の家・土地・空き家については、富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。

参考資料・文献目録・資料紹介

本文は、発掘調査報告書や見付周辺の地域資料をもとに、磐田物語として要点を整理したものです。断定できない部分は、推定として扱っています。

  • 『一の谷中世墳墓群』(発掘調査報告書)
  • 『遠江見付の中世と一の谷遺跡』
  • 『一の谷中世墳墓群と見付の中世』
  • 磐田市教育委員会文化財課『一の谷中世墳墓群遺跡』現地案内パンフレット(平成21年3月発行、平成31年1月改訂)
  • 磐田市埋蔵文化財センター関連資料(遺跡全体の縮尺1/75模型を展示)

著者欄:磐田物語編集部。地域資料、現地の地形、公開資料を照合しながら、一般読者に読める形で整理しています。断定しきれない点は、可能性として慎重に記述しています。

見付のように古くから町が続いてきた地域では、家や土地の背景にも、古い道、町内、寺社、地形との関係が残っていることがあります。相続した家、空き家、使わなくなった土地を整理するときは、価格だけでなく、その場所の成り立ちも含めて考えることが大切です。

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