戦争・平和特集 5/10
出征兵士の記録|「山内哲手記」にみるマニラへの道
大正9年(1920年)生まれの山内哲氏は、陸軍船舶兵第1連隊補充隊に所属し、昭和19年(1944年)にマニラへ向かう輸送船団に加わった。遺族への聞き取りをもとに構成された手記から、出征兵士が見た航海の記憶を読む。
「山内哲手記」という一次資料
「マニラへ向けて〜山内哲手記より〜」は、山内哲氏(大正9年〈1920年〉生まれ、当時24歳、陸軍船舶兵第1連隊補充隊所属、伍長)が残した記録を、遺族である弟・妹への聞き取りをもとに再構成したものである。昭和19年(1944年)5月から8月にかけて、門司港を出発し、上海、高雄港を経てマニラ港へ向かう輸送任務の航海記録であり、船団の隊形図や航路図が付されている。
この航路の途上、輸送船の被雷・沈没という事態にも遭遇したことが記されている。玉津丸など複数の船が失われたことが手記の中で語られており、輸送任務がいかに危険と隣り合わせであったかを伝えている。航路はその後、ハルマヘラ港や伊万里湾も経由しており、広い範囲にわたる移動であったことがわかる。
内地勤務と終戦、そして戦後
手記には、内地勤務時の食糧事情に関する記述も残されている。前線だけでなく、後方の勤務地でも物資が乏しかった様子がうかがえる。終戦後、山内氏は帰還を果たし、軍刀を竹刀に持ち替えて戦後を生きたという逸話が伝えられている。武器を手放し、日常へと戻っていく一人の兵士の姿として、この逸話は特に印象深い。
宿町・水野雅子氏の証言
宿町の水野雅子氏は、学徒動員の歌として知られる「あああ紅の血は燃えゆる」を紹介しながら、自身の出征に関わる体験を記している。横浜での勤労動員、空襲下の生活を経て、戦後に抱いた平和への思いを綴っており、出征兵士を送り出す側、あるいは動員される若者の立場からの証言として、山内氏の手記とあわせて読むことができる。
この記事で扱う範囲
本項は、遺族への聞き取りをもとに構成された「山内哲手記」という一次資料の性格を持つ記録であることを明示した上で紹介した。要約にあたっては、船団の航路や被害状況など、確認できる事実関係を優先して整理している。
家・土地・空き家の整理について相談する
戦争を体験した世代が暮らした家や土地には、地域の記憶を伝えるものが残されていることがあります。相続した家、空き家、土地の整理についてご相談をお受けしています。
参考資料
- 『二十一世紀に伝えたい戦争体験』磐田市総務部総務課発行、平成14年(2002年)8月
- 山内哲「マニラへ向けて〜山内哲手記より〜」(遺族による聞き取り構成)、水野雅子「あああ紅の血は燃えゆる」歌の紹介ほか(同書所収)
本文は各証言の転載ではなく、事実関係を確認しながら磐田物語用に要約・再構成したものです。