戦争・平和特集 2/10
空襲の記憶|浜松大空襲と磐田・見付の空
昭和20年(1945年)、磐田市周辺の空にも米軍機が飛来した。隣接する浜松市への大空襲、そして磐田・見付の上空を通過した艦載機による攻撃。市民が地上から見た戦争の記憶を、複数の証言から読む。
浜松大空襲を見た人々
昭和20年(1945年)6月18日未明、浜松市は大規模な空襲を受けた。東塚町に住んでいた鈴木知行氏は、空襲で負傷し入院していた兄をこの空襲で亡くしたと記録している。氏は戦後、その記憶を残すために体験を書き記した。同じく東塚町の崎山は満子氏は、当時浜松高等学校に在学しており、空襲の当夜、防空壕の中で過ごした恐怖を証言している。崎山氏の証言には、空襲だけでなく、後述する東南海地震の記憶も併せて記されている。
浜松市は磐田市の隣接都市であり、磐田側からも空襲の炎や爆音を体感した住民が少なくなかった。鈴木氏・崎山氏の証言は、直接被災した側からの記録として、当時の空襲の規模と激しさを伝えている。
磐田・見付上空の艦載機
刑部島に住んでいた大庭ひろ子氏は、当時12歳。磐田市内での空襲警報が日常となっていた日々を振り返り、家族とともに防空壕で過ごした夜、B29編隊の飛来、幼い弟妹を連れて避難した記憶を記している。梅屋町の髙橋定子氏は、見付国民学校4年生のときに昭和20年5月19日の空襲に遭遇した体験を、詩の形式を交えて回想している。
この5月19日の空襲は、本特集ポータル(h001)でも触れた、磐田北高校正門付近での爆弾投下と重なる出来事である。この空襲では、下田中早苗先生と児童6名が犠牲になった。後にこの地には「子どもやくよけ地蔵」が建立され、今も毎年慰霊祭が営まれている。髙橋氏の証言は、同じ日に見付地区で空襲を体験した住民の記憶として、この出来事を別の角度から補うものである。
この記事で扱う範囲
本項では、浜松大空襲(昭和20年6月18日)と、磐田・見付周辺での空襲体験(同年5月19日ほか)について、鈴木知行・崎山は満子・大庭ひろ子・髙橋定子の4氏の証言を横断的に紹介した。名古屋空襲については、次項「学徒動員と対空戦」および「戦地からの証言」であわせて扱う。
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参考資料
- 『二十一世紀に伝えたい戦争体験』磐田市総務部総務課発行、平成14年(2002年)8月
- 鈴木知行「私の戦争体験を記録として残したい」、崎山は満子「昭和20年6月18日浜松大空襲」、大庭ひろ子「空襲のこと」、髙橋定子「私の戦争体験記」(同書所収)
本文は各証言の転載ではなく、事実関係を確認しながら磐田物語用に要約・再構成したものです。