失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

戦争・平和特集 3/10

学徒動員と対空戦|見付中学生と少年たちの戦争

戦争末期、東海道の鉄道防衛のため、見付中学校の生徒たちが対空機関砲陣地に配属された。学業半ばの少年たちが担った任務と、その記憶を今に伝える証言を読む。

見付中学校の学徒動員

見付中学校区に住んでいた鈴木直之氏は、当時42歳で本証言を執筆しており、自身を含む見付中学校の生徒たちが学徒動員によって対空戦闘に組み込まれていった経緯を記している。東海道の鉄道は軍需輸送の要であり、その防衛のために機関砲陣地が各所に置かれた。中学生たちは、その陣地への配属という形で、教室を離れて戦争の現場に立たされることになった。

齋藤清氏も同様に見付中学校区の在住者として、対空戦に備えた学徒動員の様子を書き残している。授業のかわりに陣地での訓練や警戒任務が日課となり、艦載機との交戦を経験した生徒もいたという。戦友との別れ、すなわち同年代の生徒の死に立ち会った記憶は、証言の中でも特に重く語られている。

東塚町・佐藤博幸氏の場合

東塚町の佐藤博幸氏は、名古屋市立工業学校に在学中に学徒動員を経験した。軍需工場での勤務にあたる中で、名古屋への空襲を目の当たりにし、B29の編隊を工場の敷地から見上げた記憶を記している。見付中学校の生徒たちとは異なる形の学徒動員だが、学業を離れて戦時体制に組み込まれた少年という点で共通する体験である。佐藤氏は戦後、家族との再会と、平和への思いを証言の結びに記している。

この記事で扱う範囲

本項では、見付中学校の生徒が対空機関砲陣地に配属された経緯(鈴木直之・齋藤清の証言)と、名古屋の軍需工場に動員された佐藤博幸氏の体験を紹介した。名古屋空襲そのものについては、次の「戦地からの証言」でもあわせて触れる。

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参考資料

  • 『二十一世紀に伝えたい戦争体験』磐田市総務部総務課発行、平成14年(2002年)8月
  • 鈴木直之「学徒動員と対空戦」、齋藤清「学徒は対空戦に備える」、佐藤博幸「私の戦争体験を記録として残したい」(同書所収)

本文は各証言の転載ではなく、事実関係を確認しながら磐田物語用に要約・再構成したものです。