ファッションの街、パリやミラノの高級ブランドの衣服にも使われる上質なコーデュロイ(コールテン)やベルベット(別珍)。その生地のほとんどが、実は静岡県磐田市の「福田地区」でつくられていることをご存知でしょうか。なぜ、この海辺の小さな町が「世界の高級織物の聖地」となったのか。そこには、伝統の「遠州綿紬」から始まった職人たちの飽くなき技術革新の歴史がありました。
- 遠州綿紬から世界ブランドへの飛躍:明治時代、伝統的な家庭織物であった「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」の技術をベースに、より付加価値の高い起毛織物(別珍・コールテン)の製造に挑戦しました。
- 命を吹き込む「パイルカッティング」の神技:織り上げた平らな生地の極小のループ(輪)に針を通し、高速回転する刃で均一に切り開いて美しい畝(うね)を作るカッティング技術は、福田が誇る世界唯一の超絶技巧です。
- 水資源と職人の分業ネットワーク:太田川の良質な水を利用した「染色・整理(洗い)」のプロセスと、機屋(織元)が緊密に連携する、地域一体の分業システムが競争力の源泉です。
機織りの羽音が響く「遠州綿紬」のルーツ
福田地区を含む遠州地方は、温暖な気候と水はけの良い砂地が広がっていたため、江戸時代から綿花の栽培が極めて盛んでした。農家の女性たちは、自宅の木製織機で衣服用の「遠州綿紬」を織り、これが地域の貴重な収入源となっていました。明治時代に入り、豊田佐吉による動力織機の開発などによって日本の繊維産業が爆発的な近代化を遂げると、福田の織物職人たちは「他所と同じ安い綿布を作っていては生き残れない。より難しく、より美しい高級織物に挑戦しよう」と決意しました。
こうして明治の中期、日本国内ではまだ誰も成功していなかった、独特の光沢と柔らかい肌触りを持つ「別珍(ベルベット)」や、立体的な縦畝を持つ「コールテン(コーデュロイ)」の本格的な研究と製造が始まったのです。福田でコール天の研究が始まった当初、需要を支えたのは洋服地ではなく、下駄の鼻緒の材料としての需要であったとされる。丈夫で滑りにくいコール天は鼻緒に適した生地として重宝され、この実用需要が製織技術を磨く土台になった。静岡県の資料によれば、福田地区でコール天の製造が始まったのは明治29年(1896年)、別珍の製造が始まったのは大正元年(1912年)とされ、コール天の製品化自体は明治28〜29年(1895〜1896年)頃と伝わる。別珍とコール天とで製造開始の時期に十数年の開きがあるのは、織り方や仕上げの難度が異なり、別珍の量産技術の確立により時間を要したためと考えられる。
極細の糸を切り開く「カッティング」の超絶技巧。 別珍やコールテンの最大の特徴である、ふっくらとした美しい起毛(パイル)は、単に織るだけでは生まれません。織り上がった段階では、生地の表面には無数の極細の糸のループ(輪)が並んでいるだけです。このループの真ん中を、金属製の鋭い針と回転刃を用いて、一本一本正確に「切り開く(カッティング)」ことで、初めて毛羽立ち(パイル)が誕生します。福田では、この工程はコール天では「カッティング」、別珍では「シャーリング」と呼び分けられており、いずれも熟練と根気を要する手仕事として今日まで受け継がれている。福田地区には、このパイルカッティングを専門に手がける企業も残り、二代目・三代目にあたる若い世代の職人が技術を引き継いでいるという。
特にコールテンの畝(うね)を作るカッティングは、コンマ数ミリの狂いも許されない極限の精密作業である。刃の角度、生地を引っ張るテンション、職人の手の感覚。このカッティング技術において、福田の職人たちは高い精度を誇っており、織りから製品化までを地域内で一貫して手がけられる体制が、福田の産地としての強みになっている。
太田川の水が育んだ染色技術と未来への挑戦
別珍やコールテンを極上の風合いに仕上げるためには、もう一つ重要な要素があります。「水」です。カッティングされた生地は、太田川の水系から得られる豊富な軟水を用いて丁寧に洗浄され、独自の技術で染色(カラーリング)されます。水質が少しでも異なると、起毛が美しく立ち上がらず、色ムラが発生してしまいます。福田の地で繊維産業がこれほど栄えたのは、織る技術、切る技術、と洗って染める技術が、すべて太田川の水と大地の恩恵によってリンクしていたからなのです。
静岡県の資料によれば、明治30年(1897年)頃には科学染料の研究が始まり、大正4年(1915年)には静岡県染織講習所が設立されて、技術者を育てる体制が整えられた。昭和30年代(1955〜1964年頃)には、ブロードやポプリンとともに別珍・コール天が新製品として高い評価を受けたと伝わる。旧福田町を中心とする織物工業の流れをくむ組合には、麻やウールを用いたドビー織・ジャガード織の生地も手がける組合があり、別珍・コール天だけでなく多様な生地づくりの技術が地域に蓄積されてきたことがうかがえる。現在、福田は国内における別珍生産の9割以上を占めるとされ、世界的に見ても高級コーデュロイの産地としては数少ない存在になっているという。
現在、世界の繊維市場は安価な海外産製品に押されていますが、福田のメーカーは、極細の糸を用いた軽量コーデュロイの開発や、オーガニックコットンを用いた環境配慮型製品、さらには欧州のハイブランドとの直接取引などを進め、「高品質・高付加価値」のプレミアムブランドとして、その不滅の職人魂を世界へと発信し続けています。
別珍・コールテンを根拠から読み直す。 福田の別珍・コールテンは、産地としての評判だけでなく、綿織物の歴史、起毛・カッティングの後加工、染色整理、機屋と職人の分業を分けて読む必要があります。国内シェアや世界的評価の表現は、産地組合資料、企業資料、行政資料で確認し、技術の説明は工程名と実際の作業を混同しないように整理します。
今後は、現地写真、石造物や屋台の刻銘、漁港・産地資料、町史の該当箇所を照合し、確認済みの事実、資料からの解釈、地域に伝わる記憶を分けて追記します。
確認できること:福田地区でのコール天製造開始(明治29年頃)と別珍製造開始(大正元年)、科学染料の研究開始(明治30年頃)、静岡県染織講習所の設立(大正4年)、現在の国内生産シェアの高さは、静岡県および産地の公開資料から確認できる。確認できないこと:どの家、どの機屋が最初にコール天やベルベットの製織に着手したのか、下駄の鼻緒需要から洋服地需要へ転換した具体的な時期については、今回のWeb調査の範囲では確認できていない。
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