失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語福田地区 / 福田の暮らしと食文化

福田地区の記憶 第十回 | 暮らし

福田の暮らしと食文化 ── カツオ・シラスの海の幸と砂地が育んだ芋の記憶

遠州灘の新鮮な魚介類と、沿岸部の乾燥しやすい砂地がもたらした福田の「郷土の食」。釜揚げシラス、塩カツオ、そして砂地農業が生んだ甘いサツマイモの暮らしの生活史をまとめます。

地域がどのような「食」を育んできたかは、その土地の地理と歴史を最も雄弁に語る鏡です。福田地区の食文化は、遠州灘がもたらす新鮮な「海の幸」と、漂砂によって作られた水はけの良い「砂地の大地」がもたらした農産物という、海と陸の二つの個性が絶妙に調和して形成されました。

本稿の要点
  • 黒潮の恵みと福田のカツオ・シラス食:新鮮なカツオの刺身や、港のすぐ横で茹で上げられる「釜揚げシラス」は、福田の日常の暮らしに欠かせない極上のごちそうです。
  • 砂地が産み出した甘いサツマイモと干し芋:水が得にくい沿岸の砂地を活かしてサツマイモの栽培が盛んに行され、冬の保存食・おやつとして「干し芋(角切り)」が定着しました。
  • 自然のサイクルと調和した沿岸の生活史:漁の季節、芋の収穫期、そして厳しい冬のからっ風。自然のバイオリズムに寄り添い、賢く生きた人々の食の知恵が息づいています。

海の恵みをそのまま食卓へ ── 福田のカツオとシラス

福田地区の暮らしにおいて、食の最大の贅沢は「獲れたての鮮度」にありました。江戸時代から続くカツオ漁の伝統により、春から夏にかけての福田の食卓には、モチモチとした食感と深い旨味を持つ新鮮なカツオの刺身やタタキが並びました。地元の漁師たちは、カツオの血合いを醤油と生姜で甘辛く煮た「角煮」などの家庭料理を開発し、余すことなく海の恵みを味わいました。福田の漁師町に伝わる料理として「たんたん」と呼ばれる一品も知られている。カツオの身を味噌や薬味とともに包丁で細かく叩いて仕上げるもので、まな板の上で包丁を打ち付ける「タンタンタンタン」という音が、そのまま料理名の由来になったと伝えられる。獲れたばかりの魚をその場で手早くさばき、無駄なく食べ尽くす漁師の知恵が、擬音語の料理名にそのまま表れている。

そして現代の福田を代表するのがシラスです。港で水揚げされてからわずか数十分で茹で上げられる「釜揚げシラス」は、ふわふわとした柔らかい食感と、海の優しい塩気が特徴です。温かいご飯の上にたっぷりと乗せ、地元のネギと醤油を少し垂らして食べる「シラス丼」は、シンプルながらも他の追随を許さない、福田の最高の郷土食なのです。福田港のシラス漁は、2そうの船が息を合わせて1つの網を引く「船引き網」という漁法で行われ、1回の操業時間はおよそ30分から40分とされる。もっとも、静岡県全体のシラス漁獲量は、2015年ごろには年間約8,500トンあったものが、2022年以降は急激な不漁に見舞われ、2023年には2,134トンにまで落ち込んだと報告されており、豊かな海の幸も、決して当たり前に続くものではないことを、近年の数字は物語っている。

水なき砂地を豊かな畑に変えたサツマイモの導入。 海がもたらす塩害と、水の確保が難しかった沿岸の砂地エリア(豊浜や中野周辺)において、救世主となった作物が「サツマイモ(薩摩芋)」でした。江戸時代後期に導入されたサツマイモは、乾燥に強く、痩せた砂地でも丸々と大きく、しかも非常に甘く育つという地学的特性を持っていました。

静岡県への甘藷伝来には、次のような伝承が残る。1766年(明和3年)の春、御前崎沖で遭難した薩摩の船乗りを地元の大澤権右衛門が助け、そのお礼としてサツマイモの苗と栽培法を譲り受けたのが始まりとされる。それから60年ほど後、栗林庄蔵という人物が、サツマイモを一度煮てから薄く切って干す「煮切り干し法」を考案し、これが今日の干し芋づくりの原型になったと伝えられる。福田を含む遠州の海沿いの畑は、太平洋からわずかな距離にある砂地で、水はけの良さと昼夜の寒暖差がサツマイモの甘みを引き出す条件を備えていたという。

福田の人々は、収穫したサツマイモを冬の貴重な保存食として加工する知恵を発達させました。サツマイモを蒸して皮をむき、細長くカットして冬の冷たい「からっ風」と強いお日様に晒して乾燥させる「干し芋(地元では『ひらのす』や『いも切り』などと呼びます)」づくりです。この地域特有の冬の季節風「遠州のからっ風」と長い日照時間は、天日干しの工程にちょうど適していたとされ、静岡での天日干しはおよそ3日間が目安になっていたと伝わる。強風と乾燥という過酷な冬の気候を逆手にとり、サツマイモの甘みを極限まで凝縮させるこの干し芋は、子供たちの栄養豊富なおやつとして、また冬の貴重な現金収入源として、福田の家庭生活に深く定着しました。もっとも、干し芋の生産量で全国一を誇っていたのはかつての静岡県であり、戦後、温室メロンやいちご、花卉といった高付加価値な作物へ生産の軸足を移していったことなどから、現在の生産量では茨城県が全国一位となっている。福田・遠州の干し芋づくりは、こうした産地の移り変わりのなかで、地域の記憶として今も受け継がれている手仕事だと言える。

自然のバイオリズムと調和する豊かな暮らしの知恵。 福田の食文化を振り返ると、そこには「自然のサイクルに完璧に調和した暮らしの知恵」が見えてきます。春にはシラスの声を聴き、夏にはカツオの到来を喜び、秋には砂地からサツマイモを掘り出し、冬には激しいからっ風を利用して干し芋を干し、温かいストーブの横で別珍織りの内職に精を出す。

自然の厳しさを呪うのではなく、その変化を五感で受け止め、美味しい食や豊かな産業へと変換してきた福田の人々の生活史は、現代の私たちが忘れかけている「地域と共生して豊かに生きる」ための大切なヒントに満ち溢れています。浜風が運ぶ潮の香りと、甘い焼き芋の匂い。その二つの重なりこそが、福田の暮らしの最も愛おしい記憶の風景なのです。

食文化を根拠から読み直す。 福田の食文化は、海の幸だけでなく、砂地の畑作、干物・釜揚げ・保存食、家庭料理、漁期と農期のリズムを合わせて読む必要があります。料理名や名物化された表現は、地域の記憶として大切にしつつ、魚種、加工方法、流通、家庭での食べ方を分けて記録します。

今後は、現地写真、石造物や屋台の刻銘、漁港・産地資料、町史の該当箇所を照合し、確認済みの事実、資料からの解釈、地域に伝わる記憶を分けて追記します。

この地域の家・土地・空き家について

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主な参考資料

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