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磐田物語 / 秋葉常夜灯
磐田共通 | 旧東海道・石造物

秋葉常夜灯 ──
石の灯台が守った、火伏せの遠州

遠州を歩くと、街道の辻や集落のはずれに、古い石の灯籠が立っているのに気づく。「秋葉常夜灯(あきはじょうやとう)」である。火を防ぐ神への祈りであると同時に、夜の闇を照らす街灯でもあったこの石造物は、遠州だけで約1000基も建てられた。誰が、なぜ、これほど多くの灯りを掲げたのか。

火は、共同体を一瞬で焼き尽くす

木と紙と藁でできた家が密集する江戸時代の宿場町や集落にとって、火災は共同体を一夜で壊滅させる最大の脅威だった。そこで爆発的に広まったのが、火防(ひぶせ)の神である秋葉山(現在の浜松市天竜区)への信仰、すなわち「秋葉信仰」である。各地から秋葉山を目指す「秋葉道」や「塩の道」が網の目のように形成され、人々は競って秋葉山へ参詣した。その信仰の証として、村々の辻に建てられたのが秋葉常夜灯であった。遠州地域には、実にさまざまな形の秋葉灯籠が、約1000基も建てられたと伝えられる。

祈りの灯籠が、街灯を兼ねた

秋葉常夜灯は、単なる宗教的なモニュメントではなかった。夜になれば火がともされ、暗闇に包まれた街道を照らす「常夜灯(街灯)」として、極めて実用的なインフラの役割も果たしていた。火事から守ってほしいという祈りの灯りが、そのまま夜道を行く旅人や村人の安全を守る灯りでもあった。祈りと実用が一つになったこの石の灯籠は、いわば「陸の灯台」だったのである。磐田物語の別稿(敷地・岩室廃寺と古代の灯台)で扱った古代の燈明台が海の船を導いたとすれば、秋葉常夜灯は陸の旅人を導いた。磐田では、海にも陸にも、灯りをめぐる祈りの歴史が刻まれている。

宮之一色の「龍燈」── 鞘堂に守られた石の灯

磐田の秋葉常夜灯のなかでも、特に知られているのが、豊田地区の宮之一色(みやのいっしき)に立つ秋葉山常夜灯である。文政11年(1828年)に建立されたこの常夜灯は、石灯籠を風雨から守るために板で囲った木造の「鞘堂(さやどう)」のなかに収められている。内部の石灯籠に竜の彫り物があることから、「龍燈(りゅうとう)」と尊称されてきた。鞘堂の上部は、灯りが漏れるように格子状になっており、暗い街道をぼんやりと照らした。石の堅牢さと、木の覆いというきめ細かな配慮とが組み合わさった、遠州の常夜灯文化を代表する一基である。

確認できること・できないこと
遠州各地に秋葉常夜灯(秋葉灯籠)が多数現存すること、秋葉信仰と火防の関係、可睡斎が秋葉総本殿であることは、静岡県・浜松市の資料等で確認できる。竜洋地区にも高木秋葉灯籠(明治元年)・川袋(野崎)秋葉灯籠(明治4年)など市指定文化財の灯籠がある。宮之一色の常夜灯の建立年(文政11年)や「龍燈」の呼称、鞘堂の構造は、調査過程で提供された資料や地元の記録に基づく記述であり、細部は原資料により確認の余地がある。

誰が灯りを守ったのか ── 講と自治会の200年

ここで注目すべきなのは、これらの常夜灯を建て、維持してきたのが、幕府や藩の公的な資金ではなかったという事実である。常夜灯を支えたのは、地域の「講(こう)」や自治会だった。講とは、同じ信仰を持つ人々が集まって費用を出し合い、参詣や祭祀を営む民衆の組織である。石という朽ちにくい素材を使っても、その火を絶やさずに灯し続けるには、油を用意し、掃除をし、御札を受けに行く人手が要る。それを担ったのが、地域の結びつきそのものだった。宮之一色では、建立から約200年が経った今も、毎年、自治会の代表が袋井の可睡斎(秋葉総本殿)に参拝して御札を受け、この灯籠に奉納し続けているという。

ハードとソフトが結ばれた、持続するインフラ

石造物という堅牢な「ハードウェア」に、講や自治会という共同体の祭祀という「ソフトウェア」が結びつくことで、数百年にわたって機能し続ける防災・安全インフラが成り立ってきた。行政が上から整えた一里塚や本陣とは対照的に、秋葉常夜灯は、民衆が自分たちの手で建て、守り継いできた、ボトムアップ型のインフラである。立派な設備を一度つくるだけでは、インフラは生きない。それを使い続け、手入れし続ける共同体の力こそが、持続の鍵である――200年灯り続ける宮之一色の龍燈は、そのことを静かに証明している。

なぜ「秋葉」だったのか

火防の神は各地にあるが、遠州でこれほどまでに秋葉信仰が広まったのには理由がある。秋葉山は遠州の北部、天竜川をさかのぼった山中にあり、遠州の人々にとって最も身近な霊山だった。江戸時代の秋葉山は神仏習合の姿をとり、火の神「三尺坊(さんじゃくぼう)大権現」を祀っていた。明治の神仏分離の際、この三尺坊大権現は袋井の可睡斎(かすいさい)へと移され、可睡斎は「秋葉総本殿」として火伏せの祈りの中心となった。宮之一色の自治会が今も可睡斎へ参拝を続けているのは、この明治以来の火防信仰の系譜を受け継いでいるからである。街道を照らした一基の石灯籠の背後には、遠州の山と里を結ぶ、大きな信仰の地図が広がっている。

秋葉常夜灯とは火防の神・秋葉山への信仰から、街道の辻に建てられた石灯籠。遠州に約1000基。夜間は街灯を兼ねた
宮之一色の龍燈豊田地区、文政11年(1828年)建立。木造の鞘堂に収まり、竜の彫り物から「龍燈」と呼ばれる
維持のしくみ幕府・藩ではなく、地域の講・自治会が自律的に維持。宮之一色では約200年、可睡斎参拝と奉納を継続
竜洋地区の例高木秋葉灯籠(明治元年)・川袋(野崎)秋葉灯籠(明治4年)など、市指定文化財

主な参考資料

本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。個別の常夜灯の建立年・呼称・構造など、地元記録や提供資料に依拠する細部は、原資料により確認の余地がある旨を本文中に記している。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。