本特集第2部は、一冊の郷土史とそこに引かれた宿方文書に全面的に依拠している。だとすれば、その史料そのものをどう扱うかを最後に整理しておかなければならない。『東海道遠州見付宿』(田中友次郎編著、1974年)が引く史料を性格別に分け、数値が食い違う例を確認し、そして記録されなかった領域を一覧する。見付宿の交通史がどこまで分かっていて、どこから先が未確認かを示すことが本稿の目的である。
- 同書がもっとも多く引くのは見付宿問屋御用留で、継立・報酬・賦課・宿泊の手配まで実務の全域を含む。
- 史料は届出文書・内部記録・日記・絵図に分けられ、それぞれ信頼できる範囲が異なる。
- 天保11年の大火の出火日、寺院朱印高の合計など、同書は数値の食い違いを隠さず記している。
- 記録の空白は、経営と時間にかかわる領域 ── 実費・待機・損得 ── に偏っている。
問屋御用留という記録
『東海道遠州見付宿』(田中友次郎編著、1974年)がもっとも繰り返し引く史料が、見付宿問屋御用留である。「御用留(ごようどめ)」とは、役所から達せられた御用の文書や、それに対する宿の応答を書き留めておく帳面をいう。問屋場で継立の事務にあたる者が、日々の必要から作り続けた記録である。
同書がこの帳面から引いている事項を挙げるだけでも、その守備範囲の広さがわかる。御伝馬御合印之御朱印と中泉代官彦坂九右衛門の添書、寛文5年(1665年)の問屋給米の証文、貞享元年(1684年)の役金の取立て、天保15年(1844年)の省光寺の休泊請書 ── 継立の手続き、報酬、賦課、宿泊の手配まで、宿の実務のほぼ全域が一つの帳面に集まっている。
同書が引く史料を性格で分ける。 史料は、書かれた目的によって信頼できる範囲が変わる。同書が引く主な史料を、その性格ごとに整理すると次のようになる。
| 性格 | 史料 | 読むうえでの注意 |
|---|---|---|
| 役所へ差し出す届出文書 | 明和7年(1770年)見付宿明細差出帳、天保13年(1842年)書上帳、年貢割付状・皆済目録、御普請出来形帳 | 公式の報告であり数値は整理されているが、宿にとって不利な事実は現れにくい |
| 宿の内部で作られた実務記録 | 見付宿問屋御用留、御上洛御宿割下帳 | 実務の必要から作られるため具体的だが、記録される項目は用途に限られる |
| 町内の記録・個人の日記 | 東坂庚申帳、水野日記 | 公式文書に現れない出来事を伝えるが、書き手の見聞の範囲に左右される |
| 絵図 | 伝馬役人軒別絵図、天保13年宿表通軒別職業別絵図、御伝馬自林絵図、御普請所及ビ自普請所絵図 | 作図の目的(訴訟・届出・取締への提供)によって描かれる対象が選ばれている |
田中友次郎編著『東海道遠州見付宿』の各章に引かれる史料を、本稿で性格別に整理した。同書がこの分類を明示しているわけではない。
この分類が実際に効いてくる場面がある。先触れから出発までで述べた「問屋場はいつからあったか」という論点では、伝馬役人軒別絵図に問屋場が描かれていないことが根拠とされた。しかし右の表のとおり、絵図は作図の目的によって描く対象を選ぶ。伝馬役を負う家を軒別に示すための図に、役を負わない施設が載らないことは、施設の不在を意味しない可能性がある。史料の性格を押さえることは、そのまま推論の妥当性を左右する。
数値が食い違うとき。 同書の美点は、史料どうしの食い違いを隠さないことである。二つ例を挙げる。
一つは、天保11年(1840年)の大火の出火日である。火事・洪水・祭礼で見たとおり、庚申帳と水野日記とで記載が異なり、同書は「何れが真なるや不明」と注記している。同じ町の、同じ年の、同じ火事について、二つの記録が一致しない。町内記録と個人の日記という性格の違いを考えれば不思議ではないが、どちらが正しいかは決められない ── その事実をそのまま示している。
もう一つは、寺院の朱印高である。十一ヶ寺と二社で確認したとおり、同書本文は「右十一寺の朱印高総計は百九十一石二升一合である」と記すが、掲載された一覧表の各値を単純に合計すると約192石8斗となり、総計と一致しない。複写資料からの判読か、原典の集計のいずれかに誤差がある可能性がある。磐田物語では、個々の値と総計の双方をそのまま示すにとどめている。
数値が合わないとき、どちらかに寄せて辻褄を合わせるのは容易である。しかしそれは、後から読む者が誤差の存在に気づく手がかりを消すことでもある。同書の態度と、それにならう本特集の方針は、合わないものは合わないまま示す、というものである。
何が記録されなかったか
史料批判のもう半分は、書かれていないものを数えることである。本特集第2部の各ページで確認できなかった事項を並べると、記録の空白がどこにあるかが見えてくる。
| 確認できなかった事項 | 関連するページ |
|---|---|
| 見付宿の常備人馬の実数 | 人足100人・馬100疋とは何か |
| 馬の購入価格・更新の周期・飼料費の実額 | 馬をどう補ったか/伝馬を飼う |
| 相対賃銭の実際の契約額 | 御用継立の実務 |
| 待機・川留めの日数と、それに対する扱い | 待つことも負担だった |
| 天竜川渡船の運営組織・船数・渡船賃 | 見付宿から天竜川へ |
| 天保10年の宿の賄帳の収支、宿の借財 | 見付宿の財政 |
| 助郷村ごとの割当数 | 大通行の人馬数を比べる |
これらは同書に記載がないことを意味しない。同書第三章から第七章の本文および原本にあたっての照合が未了であることを示すものである。
この一覧を見ると、空白には偏りがあることに気づく。制度の枠組み ── 誰が役を負い、いくらの賃銭で、どういう手続きで継ぐか ── はよく記録されている。記録が薄いのは、実際にいくらかかり、どれだけ待ち、誰が損をしたかという、経営と時間にかかわる領域である。見付宿の伝馬制で整理した学説の対立 ── 宿駅を公用交通体系とみるか運輸機構とみるか ── が容易に決着しないのは、決着に必要な数値が、まさにこの空白の側にあるためでもある。
『東海道遠州見付宿』という二次文献。 最後に、本特集が全面的に依拠している同書そのものについて記しておく。
同書は、旧制見付中学の教員であった田中友次郎が長年の郷土史研究をまとめたもので、自序の末尾には「昭和二十年九月」とある。終戦の翌月に擱筆された原稿が、磐田市誌シリーズ第二冊として刊行されたのは1974年(昭和49年)3月であった。特集トップで述べたとおり、擱筆から刊行まで約30年の間がある。
同書は近世文書の翻刻を大量に含み、著者自身「蒐集し得た資料は史料尊重の意味から本文のままで、できるだけ多く各所に挿入しておいた」と自序に述べている。この方針のおかげで、原本を見られない者にも史料の文面が伝わる。しかし同書はあくまで二次文献であり、翻刻の底本となった原本の現在の所在、異本の有無については別途の確認を要する。また本特集では頁の照合ができていないため、出典は章名で示している。
それでも、同書の価値は減じない。宿方文書が散逸する前に、一人の教員がそれを読み、書き写し、体系づけた。その仕事があったからこそ、二百年前の宿場町の帳簿の中身を、いま私たちは読むことができる。史料批判とは、その仕事を疑うことではなく、どこまでが確かでどこから先が未確認かを線引きすることである。
先行研究のなかの『東海道遠州見付宿』。 児玉幸多『近世宿駅制度の研究』(1957年)が幕府の制度を全国的に整理したのに対し、田中友次郎の仕事は見付宿の文書群から一宿の運用を組み立てた地域史研究である。刊行は1974年だが、自序は1945年9月に擱筆されており、調査と刊行のあいだに約30年ある。この時間差は、引用された原文書の所在を現在たどる際の重要な条件となる。
国立国会図書館は同書を278頁の図書として登録し、個人送信・図書館送信の対象としている。CiNii Booksは折込図7枚、見付宿資料目録・参考文献267〜272頁と記す。つまり本文だけでなく、巻末目録と折込図を合わせて読む構成の本である。本特集の再査読時点では頁画像への照合を完了していないため、章名と史料名を示し、頁番号を推測で補わない。
史料批判の手順
| 手順 | 確認すること | 判断できない場合 |
|---|---|---|
| 1 成立 | 誰が、いつ、何のために作ったか | 「年代不詳」「作成目的未確認」と記す |
| 2 系統 | 原本・写本・翻刻のどれか | 同書所引であることを明示する |
| 3 数値 | 単位・年次・合計が一致するか | 異同を併記し、合計を直さない |
| 4 空白 | 記録の目的から漏れる事項は何か | 一般論で補わず調査課題に残す |
| 5 照合 | 別系統の帳簿・日記・絵図と合うか | 史実・推定・伝承を分ける |
本特集の各ページもこの手順で読み直した。数値のある段落は出典となる帳簿名を残し、帳簿の用途から導けない経営損益や待機時間は未確認とした。史料批判は文章を弱くする作業ではなく、確かな範囲を狭く正確に定める作業である。
更新履歴:2026年8月8日 初版公開。2026年8月9日 全面改稿。史料の性格別分類表、数値の食い違いの実例、未確認事項の一覧表、二次文献としての位置づけを追加した。 2026年8月10日、学術記事スキルv5.1で再査読し、根拠範囲・比較表・検証課題を追記。