失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

見付地区 | 古写真と失われた建物

見付の古写真・絵葉書から消えた建物を復元する

今の見付を歩いても、もう見ることのできない建物がある。明治の地図に記された役所、絵葉書に写り込んだ町並み。史料という「窓」を通してだけ確かめられる、失われた見付の姿を、断定を避けながら丁寧にたどる。

戸別明細図に記された「今はない施設」

明治42(1909)年の『見付町戸別明細図』(磐田物語 m001.html・m004.html)には、当時の見付の町なかに、磐田郡の役所である郡役所、土地や建物の権利を記録する登記所、ものづくりの製造所が記されている。これらは、旧見付学校のように今も建物として現存し、国の史跡として大切に保存されているものとは対照的に、現在その建物がどこにどう残っているのか、あるいは既に失われているのかを、本記事の調査だけでは確認できていない。

ただし、一つだけ確実に言えることがある。郡役所という機関そのものは、大正時代に全国的に郡制が廃止されたことで、制度として姿を消した。建物が現存するかどうかにかかわらず、「郡役所」という機能そのものが見付から失われたことは、近代の地方行政史の一般知識として確認できる事実である。地図の上に記された文字は、建物の記憶であると同時に、制度の記憶でもある。

建物が失われる理由は一つではない。制度の廃止によって用途を失う場合もあれば、火災や老朽化、あるいは道路拡幅のような都市計画上の理由で取り壊される場合もある。戸別明細図に記された郡役所・登記所・製造所が、それぞれどの理由で今の姿から消えていったのかを個別に特定することは、本記事の調査だけでは難しい。しかし、地図の上に「たしかにあった」という記録が残っていること自体が、これらの施設が見付という町の一時代を支えていたことの動かぬ証拠である。

絵葉書という「窓」から見る明治・大正の見付

見付の旧家・佐口行正氏が遺した史料には、大正期の見付の祭礼やまちなみを写した絵葉書が含まれている(磐田物語 m018.html・c019.html)。私製の絵葉書は明治33(1900)年に使用が認められて以降、風景や人物を題材にした絵葉書が大衆文化として広まったとされる。見付の絵葉書もまた、この時代の流れのなかで作られ、当時の人々が「これは残しておきたい」と感じた町の姿を、写真として今に伝えている。

絵葉書に写った建物や町並みのうち、どれが今も残り、どれが姿を消したのかを一枚ずつ照合していく作業は、まだ十分に行われていない。しかし、絵葉書という媒体が「記録に値する風景」を選び取って写し取っていたという事実そのものが、当時の見付の人々がどんな風景を誇りに思っていたかを物語っている。

屋台祭礼写真という、動く記憶

佐口行正氏所蔵の史料には、中川町の屋台を写した祭礼写真も含まれている(磐田物語 m018.html)。建物のように定位置にとどまるものと違い、屋台は祭りのたびに町なかを練り歩く「動く記憶」である。写真に写った屋台の意匠、曳き手の装束、沿道に並ぶ人々の姿は、その瞬間の見付の賑わいを閉じ込めた貴重な記録である。屋台そのものが今も同じ姿で残っているとしても、それを取り囲んでいた町並みが変わってしまえば、写真に写る風景は二度と再現できない一回性を帯びる。建物の復元と、行事の記録は、性格の異なる二つの「消えたものへの手がかり」として、あわせて読むべきものである。

浮世絵に描かれた、さらに古い見付宿

佐口行正氏所蔵の史料には、歌川広重の「狂歌入り東海道五十三次 見附」、渓斎英泉の「美人東海道 見附駅」といった浮世絵も含まれている(磐田物語 m018.html)。これらは絵葉書よりもさらに古い、江戸期の見付宿を描いた作品である。浮世絵は写実的な記録というより、絵師の解釈を経た表現だが、当時の見付宿がどのような姿で描かれ、どのような場面が「見付らしさ」として選ばれていたかを知る手がかりになる。写真以前の時代における、いわば「絵による記録」として読むことができる。

拡幅で失われた本通りの姿

見付宿場通り、すなわち旧東海道の本通りは、昭和期の道路拡幅によって、宿場町らしい町並みの密度感が薄れていったとされる(磐田物語 m083.html「見付の路地裏と生活道路」参照)。拡幅以前の本通りがどのような姿だったかは、まさに古写真や絵葉書が残っていれば、最も雄弁に物語ってくれる部分である。現存する古写真・絵葉書のなかに、拡幅前の本通りを写したものがどれだけあるかは、今後の史料調査によって明らかにしていくべき課題である。

史料から建物を「復元」することの難しさ

古写真や絵葉書、古地図から失われた建物を「復元」するという作業は、想像以上に慎重さを要する。一枚の史料に写っているものが、本当にその場所・その建物を指しているのか、撮影者や絵師がどこまで正確に描いたのか、といった検証を積み重ねなければ、単なる思い込みで語ってしまう危険がある。本記事では、確認できた史料の存在(戸別明細図の記載、絵葉書・浮世絵の実在)を出発点に、まだ照合しきれていない部分は「今後の課題」として明示することを心がけた。

見付の消えた建物を本当の意味で復元していくには、佐口行正氏所蔵の史料をはじめとする古写真・絵葉書・古地図を、一枚ずつ現在の地図と突き合わせていく地道な作業が欠かせない。この記事が、その作業の入口の一つになれば幸いである。史料をお持ちの方、当時の建物についてご存知の方は、磐田物語の掲示板からの情報提供もお待ちしている。

個人の家に眠る古い写真や絵葉書は、公的な文化財のように整理・保存されているわけではないため、持ち主が代替わりする際に散逸してしまうことが少なくない。見付に限らず、地域の記憶を伝える一次資料の多くは、こうした形で静かに失われていく危機にさらされている。佐口行正氏のように所蔵資料を地域に開いてくださる存在は、決して当たり前のものではなく、貴重な例外である。こうした史料をどう次の世代へ引き継いでいくかも、見付の記憶を守るうえで考えていくべき課題である。

参考資料・作成方針

  • 磐田物語 m001.html・m004.html(戸別明細図の郡役所・登記所・製造所の記述)
  • 磐田物語 m018.html(佐口行正氏所蔵の浮世絵・引札・絵葉書の紹介)
  • 磐田物語 c019.html(佐口行正氏所蔵史料 目録)
  • 磐田物語 m083.html(見付の路地裏と生活道路:本通り拡幅の記述)
  • 一般的な絵葉書史・郡制史の知識

著者:大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)。個々の建物(郡役所・登記所等)の正確な現存有無・取り壊し時期は本記事の調査時点では断定できていない。確認できた史料の存在(戸別明細図の記載、絵葉書・浮世絵の実在)と、そこから考えられる推測を明確に分けて記述した。

この地域の家・土地・空き家について

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。