LOCAL HISTORY | 福田の先覚者たち ⑧
豊浜の温室栽培をひらいた伊藤家の人びと
温室栽培をはじめた伊藤家の四人
『郷土の先覚者たち 第一集』の第8項は、「豊浜における温室栽培の創始者」と題して、四人の人物の写真を並べる。伊藤真一・伊藤次平・伊藤孝作・伊藤照作。いずれも伊藤を姓とする豊浜の人びとで、巻末近くに四人それぞれの略歴も載る。ひとりの英雄を立てるのではなく、同じ村で同じ仕事に取り組んだ複数の人を「創始者」として並べているところに、この項目の性格がよく表れている。新しい栽培法は、ひとりの思いつきではなく、村の何人かが手を携えて育てたものだったのである。
四人の略歴には、共通して大きな節目が記されている。明治の後半に生まれ、見付の高等小学校などで学んで家業の農業を継ぎ、大正の中ごろ(大正7年〔1918年〕前後と読める[要確認])に温室の成育に着手した、という流れである。露地での野菜づくりや葡萄の栽培で評判を得ていた者もいたと記されるが[要確認]、彼らはそこにとどまらず、ガラス温室という当時の最新の施設へと踏み出していった。没年は四人それぞれ異なり、いちばん遅い人で昭和55年(1980年)ごろまで生きたと読み取れる[要確認]。
伊藤真一(いとう しんいち)
温室栽培の創始者のひとり
明治の後半の生まれと記される[生年要確認]。見付の高等小学校に学んで家業を継ぎ、大正の中ごろに温室の成育をはじめた一人として描かれる。昭和43年(1968年)に76歳で生涯を閉じたと読める[要確認]。
伊藤次平(いとう じへい)
温室栽培の創始者のひとり
四人のなかでは年長で、明治2年(1869年)の生まれと読める[要確認]。葡萄などの園芸で早くから名を知られ、のちに温室栽培へと進んだ。昭和33年(1958年)に生涯を閉じたと記される[要確認]。
伊藤孝作(いとう こうさく)
温室栽培の創始者のひとり
明治26年(1893年)、伊藤五左衛門の二男として豊浜村に生まれたと読める[要確認]。見付の高等小学校に学んで家業を継ぎ、大正の中ごろに温室の成育をはじめた。没年は四人のうちで遅く、昭和55年(1980年)ごろまで生きたと読める[要確認]。
伊藤照作(いとう しょうさく)
温室栽培の創始者のひとり
明治25年(1892年)、鈴木嘉次郎の二男として生まれ、のちに伊藤家へ入ったと読める[要確認]。大正のなかばに伊藤家を継ぎ、温室栽培に取り組んだ。昭和35年(1960年)ごろに生涯を閉じたと記される[要確認]。
四人の名や生没年には、縦書き・旧字のスキャンから読み取るかぎりの不確かさがある。ここでは確実に読める骨格だけを示し、細かな年や続柄には[要確認]を付した。むしろ大切なのは、明治生まれの世代が、大正から昭和にかけて、海辺の村に温室という新しい設備をそろえて園芸に挑んだ、という事実そのものだろう。
砂地の村・豊浜という土地
豊浜は、遠州灘に面した砂の村である。東に太田川が流れ、海からは絶えず風が吹きつけ、砂が飛んでくる。海岸の砂防林がなければ、田畑も家も砂に埋もれてしまいかねない土地だった。同じ福田の項で語られる伊藤五郎が豊浜海岸に松を植えて砂防に努めたのも、この風と砂の厳しさがあったからである。海は恵みであると同時に、暮らしをおびやかすものでもあった。
ところが、その砂地は園芸にとっては必ずしも不利ではなかった。砂質の土壌は水はけがよく、根が腐りにくい。遠州の温暖で日照に恵まれた気候とあわせれば、野菜や花、果樹を育てるのに向いた条件がそろっていた。重い水田には向かない土地でも、砂を生かした畑作・園芸であれば力を発揮できる。豊浜の人びとは、砂という弱みを園芸という強みに読みかえていったのである。葡萄や野菜の栽培で評判を得た者がいたのも、この土地の性質と無縁ではない。
とはいえ、露地での栽培は天候に大きく左右される。海風が作物を傷め、季節が来なければ作れない。砂地の利点を生かしきるには、もう一段の工夫が必要だった。その答えのひとつが、温室だった。
露地から施設へ──ガラス温室が意味したもの
ガラス温室を建てるということは、ただ屋根をかけること以上の意味を持っていた。屋外(露地)の栽培では、人は季節と天候に従うほかない。寒い時期には作物は育たず、強い風が吹けば苗も実も傷む。これに対して温室は、ガラスで風雨をさえぎり、内側の温度を保つことで、季節の枠を外して作物を育てられるようにする。露地から施設への転換は、自然まかせの農業から、人が条件を整える農業への一歩だった。
もっとも、当時の温室は高価で手がかかった。ガラスや骨組みをそろえる費用は大きく、温度の管理にも経験と苦労がいる。資料には、最初の温室を手にするまでの試行錯誤や、苗を移植し収穫まで運ぶ難しさがうかがえる記述があり、「植え水大入れ」といった現場の言葉らしきものも見える[要確認]。一棟の温室を立ち上げるだけでも、相応の覚悟と元手が必要だったことが伝わってくる。
それでも彼らが温室に踏み込んだのは、砂地と温暖な気候という豊浜の素地を、最大限に生かす道がそこにあったからだろう。露地では出せない時期に、露地では難しい作物を育てて市場に出す。施設園芸は、土地の不利を補うだけでなく、新しい商品作物への扉をひらくものだった。海岸を守る松林、村に響く織機の音、そしてガラス温室。同じ砂と海の条件のうえに、漁業とも織物とも違う産業の芽が、こうして育っていった。
温室組合と市場へ──個人の畑から産地へ
豊浜の温室栽培は、四人の畑のなかだけで完結したのではない。資料には、温室の農家が組合をつくり、東京・横浜・大阪といった大消費地の市場へ作物を送り出していく動きが記される。大正の終わりごろには関東方面の温室の組合(東京・横浜などを含むもの)に名をつらね、村ごとに温室の数が数えられ、年を追って増えていったと読み取れる[数値・組合名要確認]。
昭和に入ると、静岡県内の温室の組合(昭和25年〔1950年〕に設立されたと読める静岡の温室組合[要確認])も整い、出荷の枠組みが広がっていく。メロンをはじめとする温室の作物が、遠州の砂地から都市の市場へと運ばれていった[品目要確認]。個人の工夫として始まった温室栽培は、組合という共同の仕組みを得て、豊浜という「産地」の輪郭をかたちづくっていったのである。
四人を「創始者」と呼ぶとき、そこには技術を最初に持ち込んだ人という意味だけでなく、その技術を村に広げ、共同の販路へとつなげていった人という意味も重なっている。先覚者の仕事は、自分の畑の成功にとどまらず、後に続く者の道をならすところまで及んでいた。
豊浜村の成り立ち
温室栽培の舞台となった豊浜村そのものも、それほど古い名ではない。資料には、豊浜村(現在の福田町豊浜)は明治22年(1889年)に、大新村・小島方村・中野方村などが合併して自治体として発足した、という主旨の記述がある[村名の細部は要確認]。明治22年は、全国で町村制が施行され、小さな村々が合わさって近代的な「村」へと編成された年である。豊浜村も、その大きな流れのなかで生まれた。
合併でできた新しい村は、東に太田川を控え、西に砂地と松林を広げる、海と川にはさまれた土地だった。温室栽培の四人は、この明治の合併で生まれた村に暮らし、その土地条件のうえで園芸に挑んだことになる。村の成り立ちと産業の歩みは、別々の話ではない。砂と海に向き合う村が、自分たちの暮らしをどう立てるかという問いの延長線上に、温室という答えがあった。
いまの福田・豊浜の農業へ
福田・豊浜と聞いて、いまの人が思い浮かべるのは、遠州灘のシラスや、海辺の風景かもしれない。だが、この一帯はメロンをはじめとする施設園芸でも知られてきた。温暖な気候と水はけのよい砂地という条件は、いまも変わらず園芸を支えている。大正・昭和のはじめに伊藤家の四人がガラス温室を立てたことは、その長い歩みの、ごく初めの一歩だったとみることができる。
福田町は、平成17年(2005年)に磐田市・竜洋町・豊田町・豊岡村とともに合併し、現在の磐田市となった。行政の名は変わっても、砂地のうえで育まれた園芸の伝統は地域に残っている。露地から施設へ、個人の工夫から組合・産地へと進んだ豊浜の温室栽培は、海と砂という同じ条件を、漁業とも織物とも違うかたちで暮らしに変えていった一例である。『郷土の先覚者たち』は、その出発点に立った四人の名を、写真とともに書きとめている。
- 主題
- 豊浜(現・磐田市福田豊浜)における温室(施設)園芸の創始
- 人物
- 伊藤真一・伊藤次平・伊藤孝作・伊藤照作(いずれも豊浜の人)
- 関係地
- 豊浜村(明治22年〔1889年〕に大新村・小島方村・中野方村などが合併して発足。村名の細部は[要確認])/遠州灘・太田川
- 時期
- 温室の着手は大正の中ごろ(大正7年〔1918年〕前後と読める[要確認])/組合化は大正末〜昭和
- 分野
- 施設園芸(ガラス温室)・地方産業
- 出典
- 『郷土の先覚者たち 第一集』第8項「豊浜における温室栽培の創始者」
参考資料
- 福田町史編纂委員会 編『郷土の先覚者たち 第一集』福田町教育委員会、昭和55年(1980年)11月15日発行。第8項「豊浜における温室栽培の創始者」(伊藤真一・伊藤次平・伊藤孝作・伊藤照作)。
本ページは上記資料をもとに、磐田物語が独自に整理・再構成した地域史コンテンツである。本文の丸写しではなく、人名・地名・年号は資料で確認できる範囲を軸とし、判読に迷う箇所は「[要確認]」と記している。スキャン画像は縦書き・旧字でかすれもあり、生没年や組合の数値・地名には読み取りの限界がある。誤りにお気づきの場合は掲示板からお知らせいただきたい。
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