失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語福田地区東屋台と西屋台 / 戦時記憶と故郷の祭り
福田・戦時記憶 / 六社神社の秋祭り

福田の祭りと戦時記憶 - 伊東金平氏の体験記から読む

『東屋台と西屋台』の冒頭には、伊東金平氏による「私の戦争体験記 第三次ソロモン海戦」が置かれている。ここでは戦記そのものを再録するのではなく、故郷福田の祭りが、戦時下の記憶のなかでどのように現れるのかを読む。

このページの位置づけ

このページは、寺田勝彦氏編集・発行『東屋台と西屋台』(郷土史探訪別冊第三集、昭和60年11月20日発行)をもとにした分割ページです。六社神社の由緒や現代屋台の構造説明は既存記事と重なるため、ここでは冊子固有の記録を中心に扱います。

総論ページは 東屋台と西屋台 - 六社神社の秋祭りを支えた福田の二つの屋台 です。

戦場の記憶に入り込む故郷。 体験記は、海戦時の緊張、艦内の様子、夜間の不安を記す。その中で、福田の祭りの進行時間や屋台の位置が思い出される。遠い海の上で、故郷の屋台の場面が浮かぶこと自体が、この資料の重要な点である。

祭りは、平時の楽しみとしてだけではなく、危機の中で心が戻る場所として描かれている。これは、福田の祭りが身体的な記憶として残っていたことを示す。

人は、極限の状況に置かれたとき、しばしば故郷の風景を思い浮かべるという。命の危険と隣り合わせの戦場にあって、伊東氏の心に浮かんだのが、生まれ育った福田の祭りの光景だった。それは、幼いころから毎年繰り返し体験し、体の奥深くに刻み込まれた記憶である。頭で覚えた知識ではなく、屋台の囃子の音や、道のにぎわいや、夜の灯りのゆらめきといった、五感を通して体の奥にしみ込んだ記憶だからこそ、遠い海の上でも、ふとした折によみがえってくる。祭りが、その人にとっていかに大切なものであったか ── それは、こうした極限の場面で心に浮かんだという事実に、何よりもはっきりとあらわれている。故郷の祭りは、その人の心の奥にある、いちばん安らかな風景だった。生きるか死ぬかという状況にあってなお、その光景が支えとなったこと ── そこに、人にとっての故郷というものの、はかりしれない意味の深さがある。

「屋台は動き出しているころか」という時間感覚。 体験記には、夕方から夜へ向かう時間の中で、故郷の屋台が今ごろ動いているのではないかという想像が重ねられる。祭りの日の時刻、屋台の進行、家の前や役場前を通る風景が、戦場の時間と並んで現れる。

ここで語られる祭りは、後年の統一行動の案内ではない。どこを通り、誰が見て、どの屋台がどちらへ向かうのかという、生活者の記憶である。

「今ごろ、故郷では屋台が動き出しているだろうか」── 戦場の時間の流れのなかで、伊東氏はそう思い描く。この時間感覚は、たいへん興味深い。祭りを毎年経験してきた人にとって、その日の時刻と、屋台の進み具合とは、体のなかで一つに結びついている。夕方になれば、屋台に灯がともり、動き出す。夜が更ければ、どの屋台がどのあたりを進んでいる ── そうした祭りの時間の流れが、体に染みついているのである。だからこそ、遠く離れた戦場でも、時計の針が進むにつれて、「今ごろは故郷であの場面か」と、故郷の祭りの時間が、自然に重なってくる。戦場の張りつめた時間と、故郷の祭りののどかな時間。その二つが、一人の人の心のなかで、静かに並んで流れていたのである。この対比は、読む者の胸を打つ。命の危険にさらされた海の上で、心はふるさとの穏やかな祭りへと向かう。戦場という極限と、祭りという安らぎ ── その二つの時間の落差そのものが、故郷を思う気持ちの、はかりしれない深さを、静かに物語っている。

二つの時間 ── 戦場と故郷 戦場の時間 故郷の祭りの時間(心に浮かぶ) 屋台に灯がともる 屋台が町を進む
図1 二つの時間。戦場で時が進むにつれ、心のなかには「今ごろ故郷では」と、祭りの時間が重なって流れた。

東西屋台の位置をめぐる身体感覚

体験記では、西組屋台、太郎衛門様前、右前島道路といった場所の名が出る。これらは地図上の地点というより、祭りの日に人が集まり、屋台を待ち、道の向こうから音や姿を感じる場所であった。

東屋台・西屋台の記憶は、二台の屋台名だけでは完結しない。道、家の前、広場、夜目にも見える灯り、声をかける若者たちがまとまって、祭りの風景を作っていた。

体験記に出てくる「西組屋台」「太郎衛門様前」「右前島道路」といった名は、地図の上の点として覚えられているのではない。それは、祭りの日にその場所で見た光景、聞いた音、感じた空気とともに、体に刻み込まれた記憶である。あの角を曲がれば屋台が見える、あの家の前で人が集まる ── そうした身体感覚としての土地の記憶が、遠い戦場でもありありとよみがえる。祭りとは、屋台という「もの」だけでできているのではない。それを取り巻く道や家、そこに集う人々、夜の灯り、若者たちの声 ── そうしたすべてが一つになって、祭りの記憶を形づくっている。だからこそ、その記憶は、これほどまでに濃やかで、長い年月を経ても消えることがないのである。地名の一つ一つが、その人にとっては、かけがえのない情景の入り口になっている。私たちが今、何気なく通り過ぎる道の名や広場にも、誰かにとっては、こうした深く、かけがえのない記憶が、静かに結びついているのかもしれない。

戦後に書き残すということ。 この体験記が小冊子に収められた意味は、戦争の記憶と祭りの記憶を無理に一つにすることではない。遠く離れた場面でも故郷の祭りがよぎったという事実を、地域の記録として残すことにある。

福田の祭りを読むとき、屋台の数や構造だけでは見えない層がある。祭りは、帰る場所、思い出す場所、生き延びたあとに語り直される場所でもあった。

戦後、生きて故郷へ戻った伊東氏が、その体験を書き残し、それが地域の祭りの冊子に収められた ── この事実には、深い意味がある。戦争の悲惨さを語り継ぐことも、もちろん大切である。しかしこの体験記が伝えているのは、それだけではない。極限のなかで一人の人間の心を支えたのが、故郷の祭りの記憶だったということ。そして、生き延びた人が、その記憶を言葉にして残そうとしたということ。祭りが、単なる年に一度の行事ではなく、人の一生を、時に命さえも支える、心の拠りどころであったこと ── そのことが、この一編の体験記から、静かに、しかし確かに伝わってくる。

祭りの冊子に、こうした戦争体験記が収められていることを、意外に思う人もいるかもしれない。屋台の構造や祭りの由緒を記した書物に、なぜ海戦の記憶が並んで置かれているのか。しかし、編集にあたった寺田勝彦氏は、あえてこの体験記を冒頭に置いた。そこには、祭りというものを、行事の手順や道具立てとしてだけでなく、そこに生きた人々の心とともに記録しようとする、確かな思いがあったのだろう。祭りは、それを担い、楽しみ、そして時に遠い異郷から思い焦がれた、一人ひとりの人生と、決して切り離すことはできない。屋台の記録の傍らに、一人の若者が遠い戦場で故郷の祭りを思った記憶を、あえて残すこと ── それは、祭りの本当の姿を後世に伝えるための、静かで深い配慮だったといえる。祭りの記録とは、屋台の寸法や順路を書きとめるだけのものではない。そこに生きた人々が、その祭りに何を託し、どんな思いを重ねてきたか ── その目に見えない心の記録でもあるのだ。

祭りがもった、いくつもの意味 楽しみの場 平時のにぎわい 帰る場所 危機に心が戻る 思い出す場所 遠い戦場でも 語り直す 場所 祭りは、人の一生を支える心の拠りどころでもあった
図2 祭りがもった、いくつもの意味。楽しみの場であるだけでなく、帰る場所、思い出す場所、そして語り直す場所でもあった。

この冊子から分けた追加ページ

主な参考資料

← 総論へ戻る 福田地区の入口へ →

この地域の家・土地・空き家について

古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。

この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。