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磐田物語 / 組合役場と役場実務
磐田共通・近代行政史

組合役場と役場実務 ── 戸長の仕事から近代町村行政へ

明治の町村役場は、現在の市役所を小さくしただけの組織ではない。戸籍、徴税、兵事、学校、土木、財産管理を少人数で担い、町村によっては隣村と組合役場を置いた。磐田地方の役場が、地域の寄り合いから規程と簿冊で動く行政へ移る過程をたどる。
組合役場と役場実務の三つの論点組合役場、役場実務、戸長を順に検討する構成図組合役場役場実務戸長
組合役場と役場実務を、制度・地域での運用・史料の確度に注意して読み進める。

戸長職務概目が示した行政の輪郭

明治11年(1878年)の戸長職務概目は、地方行政の末端に何を求めるかを列挙した。熊切正次『磐田ことはじめ(第二編・現代編)』28頁は、戸籍、租税、勧業、土木、衛生、教育などへ仕事が分かれていく出発点としてこれを紹介する。制度一般については国立公文書館の公文書群で確認できるが、個々の村でいつ同じ分掌が実働したかは、役場日誌や発受文書で別に確かめなければならない。

戸長以前にも村役人は年貢や宗門人別帳を扱った。しかし近代の違いは、国・県・郡から届く命令を同じ書式で処理し、期限を守って報告する連続性にあった。大区小区制と戸長役場で見た制度変更は、窓口の名称だけでなく、仕事を記録へ変える圧力を村に持ち込んだのである。

ここでいう「役場」は、専用庁舎と多数の職員を当然に備えた場所ではない。個人宅や借家を用いた時期もあり、村長・助役・収入役と書記が複数分野を兼ねた。したがって、現代の課名を過去へ当てはめると実態を見誤る。職務規程に部門名があっても、担当者が一人で幾つもの簿冊を抱えた可能性がある。

町村制と組合役場――合併とは別の共同処理

明治22年(1889年)の町村制は町村長の役割を明示し、自治体規模が大きくなるにつれて役場事務も増やした。同書28頁は、磐田地方で新町村が独立していく一方、近接する町村が組合をつくって共通事務を処理した例を挙げる。組合役場は町村そのものを一つにする合併ではなく、独立した法人格や区域を残しながら、庁舎・職員・特定事務を共同で担う仕組みであった。

同書が示す中泉町・梅原村の組合、向笠村・大藤村の組合は、同じ時期に解消されたわけではない。前者は比較的早く、後者はより長く続いたという記述からは、人口、財政、地理、既存の付き合いによって共同処理の必要度が異なったことが読み取れる。ただし、解散理由を単一の対立や財政難に求める根拠は本文にないため、本稿ではそこまで断定しない。

旧磐田市の成り立ちが扱う区域再編と組合役場を並べると、行政区域は一直線に大きくなったのではないことが分かる。共同化し、解き、別の組合を結ぶ過程があった。組合役場の議決書、経費分担規約、職員辞令が見つかれば、どの事務を共同化し、どこを各町村に残したかを具体的に復元できる。

簿冊がつくった行政の継続性

同書29頁は、明治38年(1905年)に磐田郡内で簿冊調査が行われ、役場庶務規程、沿革誌、基本財産蓄積条例、財産管理規程、町村税賦課規程、罹災救助規程、勤倹督励関係の簿冊などが整えられていたと記す。これは一つの役場の完全な文書目録ではなく、著者が確認した例示である。それでも、役場が住民票の前身だけを扱う場所ではなかったことは明瞭である。

沿革誌は出来事を後世へ伝え、財産台帳は土地・建物・基金の帰属を固定し、督促や救助の規程は権限の範囲を定めた。村長が交代しても仕事を続けられるのは、記憶ではなく簿冊があるからである。町村財政の成立で扱う予算と決算も、この記録体系の一部であり、数字だけ切り離して読むことはできない。

一方、簿冊が存在したことと、規程どおりに運用されたことは同義ではない。保存された規程は行政が目指した姿を示すが、日々の遅延、口頭処理、未記帳までは映さない。規程、日誌、収支証憑、住民からの願書を突き合わせて初めて、制度と実務の距離が測れる。この留保は、役場文書を学術資料として用いる際の基本である。

勤務時間と給与――公務員になる前の役場職員

同書29〜30頁は、明治初年の浜松県で封建期から近代への切替えに伴い事務が増え、町村同士が組合をつくって処理したこと、役場業務の分課や服務規定が細かくなったことを記す。役場の開庁時間は季節で変わり、六日働いて一日休む勤務が基本であった。夏の早い始業は、照明や冷房のない庁舎と生活時間を考えれば合理性があった。

大正13年(1924年)の見付町では、執務日数の整理、土曜の短縮、季節に応じた始業・終業が定められたと同書はいう。これは全国一律の「役所時間」ではなく、見付町史料に見える例である。昭和6年(1931年)の支給規程改正や期末手当の記述も、職員が名望家の無償奉仕から給与を受ける専門職へ変わる一端を示す。

ただし「公務員」という現在の身分制度をそのまま明治・大正期へ遡らせるべきではない。任用方法、身分保障、退職金、政治的中立は時代ごとに異なる。同書が示す勤務時間と手当は、専門化の徴候としては確かであるが、現代地方公務員制度の完成を意味しない。

組長申合せ規定に残る近隣統治

同書32〜33頁によれば、組長会は役場が直接招集し、行政の決定事項を各組へ伝える位置にあった。日露戦争後、戊申詔書発布の翌明治42年(1909年)、中泉町で組長申合せ規定がつくられ、各組内で公選し、長く重任させず、毎年会合を開き、公安や公設への便宜、寄附の勧誘、災害防止などを扱う事項が列挙された。ここには近隣の互助と行政末端の統治が同居している。

組長が住民に最も近い代表であったことは確かだが、明治42年という成立年を外して現代と同じ民主的自治と評価することはできない。その後、戦時下の動員や物資配給に近隣組織が使われたことは、部落会・町内会から自治会へで詳しく扱う。規定の文言と実際の住民参加を区別する必要がある。

役場実務の歴史を追うと、自治は「上から」か「下から」かの二択では整理できない。国県の命令を伝える組織であると同時に、道路、消防、学校、救助を地域で実行する仕組みでもあったからである。どちらの側面が強かったかは時期と事業ごとに異なり、史料を離れて一括評価はできない。

窓口の向こう側を調べるために

役場史を庁舎の移転年表だけにすると、行政を担った人と文書が見えなくなる。残存する事務報告書、職員録、例規、議決書、給与簿、往復文書を年度ごとに並べれば、制度改正が現場へ届く時間差を確認できる。家に残る辞令や徽章、出勤簿の写真も、公文書を補う手掛かりになる。

また、組合役場は構成町村側の文書が分散して残る可能性がある。一方の町村史料だけで「共同運営は円滑だった」「対立して解散した」と結論づけず、双方の負担金、議会記録、県の認可文書を照合すべきである。未確認の解散理由は推定にとどめる。

現在の市役所業務を歴史化することは、過去を懐かしむためだけではない。なぜ同じ申請に証拠書類が必要か、なぜ会計年度と文書保存が行政の骨格なのかを知る作業である。小さな組合役場の簿冊には、今日の窓口へ続く「手続による継続性」が刻まれている。

用語を分ける――戸長、町村長、組長

戸長は明治初期の行政区で戸籍・徴税などを担った官吏的な役職、町村長は町村制下の自治体執行機関、組長は町内の小単位をまとめる役であり、同じ「地域の代表」として一括できない。任命者、選任方法、給与、責任の根拠が違う。史料に「長」とあるだけで現代の自治会長へ置き換えず、文書の年月日と制度名を確認する。

組合役場も、現在の一部事務組合と完全に同じではない。複数町村が共同で事務を処理する発想はつながるが、根拠法、議会、職員身分、扱う事業が異なる。本稿で「共同処理」と表現した箇所は、この連続と相違の双方を含む。

役場庶務規程に見える「庶務」は雑務という意味ではない。文書の収受、議会、職員、学務、兵事など行政全体をつなぐ中枢であった。現在の課名から重要度を逆算せず、当時の分掌表で仕事の広がりを読む必要がある。

一日の仕事を復元する

役場の一日を復元するには、まず収受印のある文書を日付順に並べ、県・郡から届いた命令と、役場から各組へ出した通知を対応させる。次に出勤簿、出張命令、会計伝票を重ねれば、少人数の職員がどこへ出向き、何を支払ったかが見える。

農繁期、台風、伝染病、選挙、徴兵検査のある日は、通常の服務規程どおりに仕事が終わらなかったと推定される。だが「役場職員は常に夜遅くまで働いた」と一般化せず、当直日誌や時間外手当の記録を探す。季節別の執務時間は基準であり、実働時間そのものではない。

住民側の経験を知るには、願書の提出日と決裁日、補正を求めた付箋、印鑑証明や戸籍謄本の手数料を調べる。役場の制度史が、窓口を利用した人の待ち時間や負担へ結びつく。公文書を作った側と受け取った側の両方から見ることで、行政の実像に近づける。

役場文書が残る条件

町村合併や庁舎移転のたびに簿冊は引き継がれるが、すべてが保存されるわけではない。保存年限を過ぎた廃棄、火災・水害、紙の再利用、個人宅への持ち出しで欠落が生じる。ある年度の文書がないことを、その仕事が行われなかった証拠にはできない。

逆に一冊の規程集が残っていても、町村名、改訂年、押印を確認しなければ、その役場で有効だったとはいえない。郡内共通のひな型、隣村から借りた写し、後年の編纂物の可能性がある。表紙・奥書・朱書訂正も含めて記録する。

磐田地方の役場史をつなぐには、旧町村名ごとに文書群の来歴を整理し、合併時の移管目録を探す必要がある。個々の文書を面白い話として抜き出すだけでなく、どの組織が、どの目的で、どの順番に綴じたかを残すことが、行政実務の復元につながる。

1878戸長職務概目により、末端行政の職務が整理される。
1889町村制施行。磐田地方でも町村役場と組合役場が組み直される。
1905同書によれば磐田郡内の簿冊調査が行われる。
1924見付町で執務時間・休日等が整理される。
1909中泉町で組長申合せ規定がつくられる。
組合役場と役場実務の年表図記事中の主要な三時点を示す1878戸長職務概目により、末端行政の職務が整理される。1889町村制施行。磐田地方でも町村役場と組合役場が組み直される1905同書によれば磐田郡内の簿冊調査が行われる。
年表は出来事の前後関係を示す。制度の開始と地域での実施が同時とは限らない。

『磐田ことはじめ(第二編・現代編)』は、磐田市役所勤務31年間の経験と行政資料、聞き取りをもとに熊切正次がまとめ、平成8年(1996年)3月に刊行した地域史資料である。本稿が参照したのは同書28〜33頁である。同時代を知る実務者の記録として具体性がある一方、出典注が簡略な箇所、回想と公文書の区別が本文だけでは確定できない箇所もある。

本稿では、同書に記された規程名と磐田地方の事例を史料で確認できる記述として扱う。一方、組合解散の理由や規程の実施状況は未確定であり、可能性と史実を分けた。町村制一般の説明で地域固有の実態を置き換えず、双方を照合する立場をとる。

年代・制度名は資料に記された時点を優先した。現在の制度や区域へ直結させず、改称・統合・廃止を別の出来事として扱っている。
  • 初版公開。『磐田ことはじめ(第二編・現代編)』と公的資料を照合して構成。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。