失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語豊岡地区 / 豊岡地区の生い立ち
豊岡地区 | 敷地村・広瀬村・野部村・町村沿革

豊岡地区の生い立ち
── 三つの村が一つになった山あいのまち

豊岡は、平成17年(2005)の磐田市合併まで「豊岡村」という独立した村だった。天竜川上流の山あいと川沿いに、谷の集落と田畑が点在するこの地域は、敷地村・広瀬村・野部村という三つの旧村が昭和30年(1955)に合併してできた。山と川の地形、そして三つの村が一つになった経緯を追うと、豊岡という土地の輪郭が見えてくる。
この記事の方針。豊岡村の成立を「敷地・広瀬・野部」という三つの旧村の合流として整理する。地名の由来は、確認できる沿革と、地域に伝わる伝承を分けて記す。

「村」であって「町」ではなかった豊岡

磐田市南端の福田・竜洋、中心部の見付・中泉に対し、豊岡は市の北端、天竜川上流の山あいに位置する。合併までの名称は「豊岡村」であり、「豊岡町」ではない。この違いは小さいようで、豊岡が最後まで農山村としての性格を保ち続けたことを示している。磐田市の統計でも、豊岡地区は旧豊岡村域にあたる独立した地区として、他の8地区とは別に人口が集計されている。

三つの村が一つになるまで

明治22年(1889)の町村制施行により、岩室村・大平村・大当所村・家田村・万瀬村・虫生村が合併して豊田郡敷地村が発足した。同じ年、広瀬村・野部村もそれぞれ成立している。三つの村は、それぞれ谷筋に沿った小集落の集合体であり、山と川に囲まれた地形のなかで、独立した生活圏を築いていた。

昭和30年(1955)、この敷地村・広瀬村・野部村が合併し、「豊岡村」が誕生する。三つの村がひとつになったのちも、地名、祭礼、学校、水利、山仕事の単位は、谷や集落ごとに異なる記憶を残し続けた。平成17年(2005)、豊岡村は旧磐田市・豊田町・竜洋町・福田町とともに新設合併し、現在の磐田市の一部となって、村としての歴史を終える。

1889(明治22)
敷地村(岩室・大平・大当所・家田・万瀬・虫生が合併)が発足。広瀬村・野部村も同年成立。
1955(昭和30)
敷地村・広瀬村・野部村が合併し、豊岡村が誕生。
2005(平成17)
5市町村の新設合併により磐田市が発足。豊岡村廃止、豊岡地区へ。

敷地村 ── 山あいの六つの谷

敷地村を構成した岩室・大平・大当所・家田・万瀬・虫生は、いずれも敷地川沿いの谷に点在する小集落である。山あいの水がつくった谷筋に沿って田畑と集落が並び、山仕事と農業を組み合わせた暮らしが営まれてきた。万瀬・虫生・大平のような小さな集落の名は、地形と生活が密接に結びついた土地であることを物語っている。

広瀬村 ── 神増・社山の記憶

広瀬村は、上神増・下神増・神増・社山などの大字にまとまる、山すその集落である。「社山」という地名は、山と信仰の結びつきを感じさせるが、由来を断定できる資料は確認できていない。旧村のまとまりとしての広瀬村は、豊岡村成立後も、祭礼圏や生活圏として独自の性格を保ち続けたと考えられる。

野部村 ── 上野部・下野部と鉄路の記憶

野部村は、上野部・下野部を中心とする集落である。旧国鉄二俣線、現在の天竜浜名湖線(天浜線)が敷地村・野部村の谷筋を縫うように走り、豊岡駅・敷地駅・上野部駅が置かれた。山あいの村に鉄路が通ったことは、豊岡の暮らしと外の世界を結ぶ大きな転機だったと考えられる。

山と川に祈る暮らし ── 獅子ヶ鼻と里山信仰

豊岡地区を象徴する景観のひとつが、岩山として知られる獅子ヶ鼻である。里山としての利用と、山への信仰が重なり合う場所として、地域の記憶に残ってきた。豊岡の祭礼や寺社は、山と川という二つの自然条件に祈りを捧げる形で受け継がれており、講や祭礼の記憶は、確実な史料と地域の伝承を分けて記録する必要がある。

また、向笠の丘に位置する新豊院山古墳群は国指定史跡であり、弥生時代から古墳時代へかけての墓制の変化と、三角縁神獣鏡の出土が、この地に有力な支配者がいたことを示している。豊岡の歴史は、近世以降の村の記憶だけでなく、古代の丘の記憶とも重なっている。

現在の学校区・大字・人口

現在の豊岡地区は、豊岡中学校区、豊岡南小学校区・豊岡北小学校区にあたる。人口は10,250人(男5,250人/女5,000人)、世帯数4,062世帯(磐田市「地区別人口」令和8年5月末現在)で、磐田市統計上、他の8地区とは独立した「豊岡地区」として集計されている。

主な大字は、上神増、社山、壱貫地、神増、惣兵衛下新田、平松、掛下、松之木島、三家、下神増、上野部、下野部、合代島、新開、大当所、敷地、家田、岩室、大平、虫生、万瀬である。

史実・伝承・推定の整理

区分内容この記事での扱い
史実1955年の敷地村・広瀬村・野部村の合併による豊岡村成立、2005年の磐田市合併、新豊院山古墳群が国指定史跡であること。磐田市公式資料・文化財資料を軸に記述する。
資料に基づく地域史敷地村を構成した6村の名、天竜浜名湖線(旧二俣線)の駅の配置。旧村誌・鉄道資料の記述として扱う。
伝承社山の名と山岳信仰の関係、獅子ヶ鼻をめぐる里山の言い伝え。「伝えられる」と表現し、史実と混同しない。
推定三つの旧村の生活圏が、合併後も祭礼・生活単位として残り続けたと読むこと。地域資料からの考察として提示する。

参考資料・作成方針

本記事は、資料の丸写しではなく、豊岡地区の入口ページと関連記事群をもとに、敷地・広瀬・野部という三つの旧村が一つになっていく過程として再構成したものである。地名由来は、確認できる沿革と地域の伝承を分けて扱う方針をとった。

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